寒露(かんろ)
2014-10-8 UP
10月8日 寒露(かんろ)
ご機嫌よろしゅうございます。
今日は二十四節気の寒露に当たります。
寒露は秋分から数えて15日目頃のことをいい
晩夏から初秋にかけて野草に宿る冷たい露のこと
を指します。
秋の長雨が終わり、大気の状態も安定し、
秋晴れの日が多くなります。
本格的な秋の始まりです。
初夏に感じた清々しさとはまた違った
美しく過ごしやすい季節。
いよいよ草木は色づき始め、夏鳥が別れを告げ
雁などの冬鳥がやってきます。
2014-10-8 UP
10月8日 寒露(かんろ)
ご機嫌よろしゅうございます。
今日は二十四節気の寒露に当たります。
寒露は秋分から数えて15日目頃のことをいい
晩夏から初秋にかけて野草に宿る冷たい露のこと
を指します。
秋の長雨が終わり、大気の状態も安定し、
秋晴れの日が多くなります。
本格的な秋の始まりです。
初夏に感じた清々しさとはまた違った
美しく過ごしやすい季節。
いよいよ草木は色づき始め、夏鳥が別れを告げ
雁などの冬鳥がやってきます。
2014-10-7 UP
10月7日 亥の子餅(いのこもち)
ご機嫌よろしゅうございます。
今日は亥の子餅のお話を。
西日本では刈り入れの終わった収穫祭として
亥の子祭りが行われます。
特に農家では10月の亥の日、
亥の刻(午後9時から11時)
新しく刈った穀物で猪型の餅やぼた餅を作り
田の神様に供え、それを家族で食べるという習わしがありました。
また東日本でも10月10日に「10日夜」と呼ばれる
同じような行事が行われます。
こちらの行事は田の神の帰る人される10日に
案山子(かかし)を持ち帰り、その傘を焼き
焼き餅を作って供えるそうです。
案山子は神様がこの世に現れた姿なのだとか。
お菓子屋さんでもこの頃に亥の子餅を
店先に並べますが、
こちらは新暦の10月より、旧暦の10月に
合わせて売り出すことが多いようです。
2014-10-6 UP
10月 6日 十三夜(じゅうさんや)
ご機嫌よろしゅうございます。
今日は十三夜。
今宵も月を眺めるよい日です。
皆さん先月の十五夜はご覧になりましたか?
もしご覧になった方は今宵も是非
お月見を。
というのも
昔から十五夜に月見をしたら、必ず同じ場所で
十三夜にも月見をするものともされ、
どちらかだけ見るのは
「片月見」といって忌まれていたからです。
旧暦の毎月13日の夜を「十三夜」といっていましたが、
9月13日の夜は、「十五夜」についで美しい月とされ、
宮中では、古くから宴を催すなど月を鑑賞する風習があった
そうです。
そもそも中国から「十五夜」の風習が入ってくるよりも
前に、「十三夜」の風習は民間に広く普及していたのだとか。
2014-10-5 UP
10月5日 龍光院(りょうこういん)
ご機嫌よろしゅうございます。
日曜日になりましたので
軍師 官兵衛の時代のお話を。
官兵衛改め如水の子である黒田長政は
初代 黒田藩主となり、遠州公との深い縁もあります。
慶長九年(1604)三月二十日如水(官兵衛)は
京都伏見藩邸で亡くなります。
59歳でした。
1606年、如水の子・黒田長政が、三回忌のため
父の墓を塔頭・玉林院南に建てたました。
院名は、如水の院号「龍光院殿如水圓清大居士」から
龍光院とされました。
勧請開祖は春屋宗園、開山は江月宗玩。
1608年に春屋宗園の隠居所となり
1612年に遠州公が自らの菩提所として、
江月宗玩を開祖に、龍光院内に
「孤篷庵(こほうあん)」を建立しました。
1628年以降、現在の茶室「密庵」が建てられたと
されています。
毎年10月1日には開山忌法要が営なわれて、
宗実御家元もお参りされています。
2014-10-4 UP
10月 4日 遠州公の愛した茶入
「正木(まさき)」
ご機嫌よろしゅうございます。
今日は遠州蔵帳所載の茶入「正木」をご紹介します。
この茶入は釉薬のかかり具合が片身かわりとなって
おり、その景色の美しさを正木のかづらの
紅葉に見立てて
深山には霰ふるらし
外山なる正木のかづら色つきにけり
古今集
神無月時雨降るらし
佐保山の正木のかづら色まさりゆく
新古今和歌集
このともに同じような歌意を持つ二首の和歌から遠州公がつけた銘
といわれています。
遠州公所持の後、土屋相模守、細川越中守等の手を経て
現在は根津美術館に収蔵されています。
2014-10-3 UP
10月 3日 三条西実隆(さんじょうにしさねたか)
ご機嫌よろしゅうございます。
今日は三条西実隆についてのお話を。
享徳4年(1455)4月25日生まれ。
飛鳥井雅親(あすかいまさちか)に和歌をまなび
四十七歳で宗祇(そうぎ)から古今伝授をうけます。
一条兼良(かねよし)からは古典学を学び、
和漢の学に通じた当時最高の権威・文化人
として知られました。
茶の湯においては、利休の師匠であり連歌師でもある武野紹鴎が
実隆に和歌を学び、「詠歌大概序」の講義を受け
茶の湯の極意を悟ったと言われています。
また聞香にも優れ、後柏原天皇から
「御香所預(ごこうしょあずかり)」にも任じられました。
御家流香道の祖とも言われます。
天文六年(1537)の10月3日 83歳でなくなります。
最後に実隆の和歌を一首ご紹介します。
花も木もみどりに霞む庭の面(も)に
むらむら白き有明の月 「雪玉集」
2014-10-2 UP
10月 2日 名残り(なごり)
ご機嫌よろしゅうございます。
10月に入り、近年の猛暑もようやく
影を潜めるころとなる頃となりました。
10月も半ばともなると、茶の湯の世界は
名残りと呼ばれる時季となり
あとわずかとなった風炉の時期を名残り惜しむ
夏、床の間を彩ってきた草花に名残りを惜しむ
名残りには様々な意味がありますが、本来の
茶の湯の名残りというのは、そのような自然の季節感
ではなく、前年の口切り以来使用していた茶壷の中の茶が残り少なくなった
ということからくる意味です。
五月、八十八夜の頃に新茶が摘まれ、その茶葉を
そのまま乾燥させ、袋に入れて茶壷に詰めます。
これを一定の温度で保存し、十一月に(旧暦の10月)初めて壷の口が
開かれ、その年の新茶が飲まれることになります。
そしていよいよ残りわずかとなった茶葉を名残り惜しみながら季節のうつろいを感じる
茶の湯ならではの言葉といえるのです。
2014-10-1 UP
10月 1日 神無月(かんなづき)
ご機嫌よろしゅうございます。
今日から十月。
十月の異名を「神無月」といいますが、
よく言われる説として、
八百万(やおよろず)の神々が
話し合いのため出雲の国に集まる月。
そのため各地では神様が留守になるので
「神無月」といいますが、神様の集まる出雲では
「神在月」と呼ぶといわれています。
これは出雲の御師が広めた説とする考えもあり、
「神嘗祭(かんなめづき)」
「神祭月(かみまつりづき)」
また十月は雷のならない月ということで
「雷なし月」からくるとする説もあります。
vv
2014-9-30 UP
9月 30日 芋茎(ずいき)
ご機嫌よろしゅうございます。
今日はこの時期が旬の芋茎のお話を
芋が収穫される秋、その芋の茎である
芋茎も様々な調理法で頂きます。
この芋茎、平安時代には「いもし」と呼ばれていた
ようですが、「ずいき」と呼ばれるようになったのは
夢窓疎石の歌に由来するという説があります。
いもの葉に置く白露のたまらぬは
これや随喜の涙なるらん
随喜とは仏語で大いに喜ぶなどの意味があります。
芋の葉の上に溜まった雨露はしみ込まず、
大きな雫となって葉のふちから滴り落ちます。
これを神仏の恵みを喜ぶ感激の涙と捉えた歌です。
京都では「ずいき祭」とよばれる有名な北野天満宮の
お祭りが10月1日から行われます。
ずいきやその他の野菜で飾ったお神輿が加わり
その収穫に感謝します。
2014-9-29 UP
9月 29日 天の原(あまのはら)の歌
天の原ふりさけ見れば春日なる
三笠の山に出でし月かも
ご機嫌よろしゅうございます。
冒頭の和歌は、阿倍仲麻呂が遣唐使として渡った先で、
夜空に光る月を眺め、故郷奈良の三笠山にでていた
名月を想い出し詠んだ歌です。
この歌は茶の湯においても大変重要な歌です。
床の間には中国高僧の墨跡を掛けるが主流
であった当時において、武野紹鴎はその歌意が
気宇壮大で、墨跡にも相当するとして、
初めて床の間に、掛けられたとされる和歌です。
秀吉も、和歌の掛け物を初めて拝見し、利休に
その理由を問うと、
この歌の心は月一つで、世界国土を兼ねて詠んだもので
あるので、大燈国師、虚堂祖師の心にも
劣らないものであるので
と、秀吉に言上したと言われています。