8月7日(月)宗家道場の床の間拝見

2017-9-1 UP

unnamed

床  紅心宗慶宗匠筆

 日光霧降滝

 花  水引 遠州槿

花入  手付籠

ご機嫌よろしゅうございます。

暑さの厳しい季節が続きますが、床の間を拝見すると

勢いよく流れ落ちる滝と、心のあらわれるような白さの

槿に一時の清涼感を感じることができました。

この掛物は御先代が昭和41年10月直門の方と日光を訪れ、

霧降滝をご覧になり、落ちてくる水しぶきが霧となり、

全貌を現さない滝の姿に絵心を誘われ帰京して直ぐに

筆をお取りになり一気に描かれた一幅です。

茶の湯に見られる文様「蛍」

2017-7-21 UP

ご機嫌よろしゅうございます。

この時期羽化をはじめる蛍が夜の闇に淡い光をうつす頃

夏の夕べの美しい水と蛍の光はとても幻想的です。

蛍狩りはこの時期の季語でもありますが、

昔は身近だった風景も今では限られた場所で観られる特別な

ものとなってしまいました。

さて、遠州公の所持していた茶入に「蛍」の銘を

もつものがあります。

瀬戸春慶に分けられるこの茶入には、遠州公の書状が添い

織部の同門であった上田宗箇に宛てられたもので、この茶入は

ことのほか出来が良く、五百貫ほどの値打ちがあり、後々は

千貫にもなるのであるといった内容です。

遠州公は浅井家家臣となり、広島に居した宗箇には色々と心を

配っており、その他多くの書状が残っています。

瓢箪の形をしていますが、上部は小さめで愛らしい印象を

受けます。土見せを大きく残し、黒釉がたっぷりかかっています。

この釉薬からの連想か、挽家に遠州筆で金粉字形「蛍」と

記されています。

また、蛍と茶の湯にちなんだ落語を来月7月にご紹介する予定です。

どうぞお楽しみに

今月の床の間

2017-7-14 UP

七夕
ご機嫌よろしゅうございます。
今週の金曜日は七夕です。床の間に飾られている梶の葉。
昔サトイモの葉にたまった夜露を天の神から受けた水だと考え、
その水で墨をすり、梶の葉に和歌を書いて願いごとをしました。
梶の葉は、細かい毛がたくさんあり筆で書きやすいのだそうです。
その梶の葉に五色の糸を縫い付けベネチアンガラスに飾っています。

茶の湯に見られる文様「桐」

2017-7-14 UP

ご機嫌よろしゅうございます。
初夏に花を咲かせる花として桐があります。
そろそろ公園などでその美しい花を見かける季節と
なりました。

中国の神話では有徳の帝王を讃え現れる鳳凰は梧桐に
しか住まず、竹の実しか食べないといいます。
これが日本に伝わり、桐が格の高い文様として鳳凰と
共に意匠化されていきましたが、ここで鳳凰が棲むと
された梧桐は、日本でいうアオギリという全くの別種で
中国では昔どちらも「桐」の文字を使用していたため、
この二種が取り違えられたと考えられます。
アオギリは小ぶりの小さい黄色い花を咲かせ、
梧桐は花序をまっすぐに伸ばし、紫色の花を咲かせます。
「枕草子」においても、紫に咲く桐の木の花を風情がある
と讃え、唐土で鳳凰がこの木だけに棲むというのも格別に
素晴らしい」と述べていて、混同されていることがわかります。
しかしながら格調の高い文様として浸透していった
桐の文様は、家紋や装飾文様、茶の湯の世界でも
多く見ることができます。
すぐに思い浮かぶのは高台寺蒔絵。
遠州好の「桐唐草蒔絵丸棗」は、前田家抱えの塗師
近藤道恵の作で朱地に桐唐草が蒔絵されています。
また裂地としては昨年狂言「米一」でご紹介しました
「中興名物 米一茶入」の仕覆「嵯峨桐金襴」や、
大内義隆縁の「大内桐金襴」、他に戦国末期から安土桃山時代
にかけて運ばれた「黒船裂」の桐文などがあります。
また、遠州公は種類の異なる材木を組み合わせ道具を作らせて
おり、「桐掻合七宝透煙草盆」「桐木地丸卓」など、
桐を使用した道具が多く残っています。

水無月

2017-7-7 UP

ご機嫌よろしゅうございます。
6月は水無月とも言いますが、
梅雨時に水が無い?
と違和感を覚える方もいらっしゃるのではないでしょうか?

この名の由来としては、
そもそも「無」が「無い」ということを表すのではなく、
「の」を表すとする説があります。
また田植えをするとき、田んぼに水をはるので、
「水張り月」といったことから「みなづき」
になったとする説や、
旧暦の6月は現在の暦の7月上旬から8月上旬頃
にあたり梅雨が終わり、真夏の暑い時期であることから
とする説など諸説あります。
いずれにせよ水が人間にとって
大切であったことが伝わります。

4月 21 日(金) 茶の湯に見られる文様 「牡丹」

2017-4-21 UP

ご機嫌よろしゅうございます。
4月も半ばになると百花の王とも称される牡丹が、
見事な花を咲かせます。
はじめ鎮痛・消炎等の薬用に使用されていたものが南北朝・6世紀の
隋の時代には観賞用として栽培され以後異常な程のブームを巻き起こしました。
日本には空海が持ち帰ったとの説があり、やはり薬用としての利用から
平安時代頃には観賞用に なっていたようです。
茶花としての牡丹もやはり、その気品と風格をあわせもつ
王たる風格から青磁などの花入で格を整えます。

また牡丹といえば裂地で牡丹唐草文として多く見かけることと思います。
この文様は名物裂には最も多い文様でその次は竜の文様、この二つを合わせると
全体の半分を越えます。この牡丹唐草文という文様は、厳密な植物名ではなく、
各種の花葉を蔓にあしらった絡み文様の様式名、優美な植物連続模様の総称です。
つまり、牡丹唐草文という名前であっても、 本当の牡丹の花が
あしらわれているわけではないということになります。
これは、牡丹の原産である中国北部の人々が、 牡丹の育たない南から来た
斬新な花唐草の文様を目にしたとき、国の代表的な花であり、
美の代表である牡丹の名をその図案に付けたのだと思われます。
それ故、現在でも牡丹には俄かには見えない花も
「牡丹」とよばれるわけです。 呼称法については
①裂の地色
②蔓の一重・二重の別
③花の大きさの区別
その他、全体を金色に見せている金地の場合はこれも加えます。

3月17日 (金)茶の湯に見られる文様 「花筏」

2017-3-17 UP

3月17日 (金)茶の湯に見られる文様
「花筏」

ご機嫌よろしゅうございます。
先週は「桜」についてご紹介しました。

遠州公も20代の頃、吉野へ花見に訪れていますが、
今日はこの吉野の桜にちなみまして「花筏」の
ご紹介を致します。

桜で有名な吉野の川を下る材木、これを筏に組んで
川を下る際に、桜の花びらがひらひらと降りかかり
筏とともに川を流れる姿は、揺れる恋心にも例えられ
「吉野川の花筏」として歌謡や俳諧に歌われる「雅語」
となっていきました。

遠州公が作庭したと伝わる高台寺。
その秀吉と北政所を祀る霊廟である御霊屋には
天女を想像させる楽器散らし文様、そしてこの花筏文様が
描かれます。吉野には古くより仙郷伝承があることから、
浄土とみなされており、秀吉と北の政所の御霊屋は
浄土を表す装飾を施しています。
「花筏」にはこの高台寺蒔絵の意匠を模した宗旦好
「花筏炉縁」や、永楽保全作「金蘭手花筏文水指」
などの華やかな道具など多数残されています

3月10日(金)茶の湯に見られる文様「桜」

2017-3-10 UP

3月10日(金)茶の湯に見られる文様
「桜」

ご機嫌よろしゅうございます。
3月も半ばを過ぎると、多くの人がその便りを
心待ちにしている桜の開花

雨や風で花を散らされはすまいかと、毎日はらはら
と天気予報をご覧になる方もいらっしゃるのでは
ないでしょうか?
「世の中にたえて桜のなかりせば…」
と在原業平が歌ったように、はるか昔から
日本の人々は桜を愛し、その変化に心躍らせてきました。
その生け方には茶人達の心も悩ませたようで
富貴すぎるということから茶の湯の花として用いた例は
多くありませんが、武野紹鷗は水盤の中に散った花びらを
浮かべた、また古田織部はお客の土産の桜を
いけたという話が残っています。

道具にみられる桜では
古浄味造「桜地紋透木釜」
また、昨年・能「桜川」でご紹介しました「桜川釜」や
「桜川水指」も桜の意匠の代表的なお道具にあたるでしょう。
他、桜にちなんだお道具については次週「花筏」で
ご紹介します。

宿の梅

2017-2-20 UP

2月 20日(月)「宿の梅」

我が宿の梅の立ち枝や見えつらむ

思ひの他に君がきませる

ご機嫌よろしゅうございます。
今週の25日には御自影天神茶会が行われます。
菅原道真公といえば梅の花
太宰府に左遷となった道真
その道真を追いかけて梅の木が飛んで行ったという
「飛び梅伝説」。
この故事から、「道真」と「梅」という結びつきが
天神信仰の広まりと共に鎌倉中期以降に大衆に浸透します。
また「梅」は文様としても多く描かれていることは
先月にもご紹介しました。

さて、冒頭ご紹介しました梅の歌にちなんだ銘の茶入
「宿の梅」があります。
江戸時代初期、薩摩で焼かれたこの茶入は
白地の下地が褐色釉のところどころから見え隠れし
まるで梅のような景色を作っています。

後藤三左衛門所持から「後藤」ともよばれ、
遠州公が「拾遺集」の平兼盛の歌から命銘しました。

「早蕨」

2017-2-3 UP

2月 3日 (金)茶の湯と文様
「早蕨」

ご機嫌よろしゅうございます。
厳しい寒さの中芽をだす早蕨は、私達に
待ち望んだ春の到来を教えてくれます。

蕨は常緑性のシダ植物で日当たりのよい
山地に生え,早春先端がこぶし状に巻いた新芽が
地下の根茎上から直立して生えてきます。
これを山菜として食用に、また根茎から蕨粉を
とり、わらび餅などにつかわれます。

先端がくるくると巻かれたその独特な形は
土器や古墳にも描かれ、万葉の頃から春を告げる
植物として歌われてきました。

茶道具の中では、
桃山時代の「黒織部蕨文茶碗」があります。
五本の蕨が上に向かうシンプルなデザインですが、
力強い芽吹きを感じさせます。
また釜の鐶付にも早蕨をモチーフとしたものが
よく見受けられます。

またその景色に蕨の姿を感じ取って「さわらび」の
銘をつけられた魚斗屋茶碗が東京国立博物館に所蔵されています。
五世宗香政峯公が源実朝の歌集である「金塊和歌集」から

さわらびのもえいづる春に成りぬれば
のべのかすみもたなびきにけり

の歌より命銘したと言われています。