嬉しいお知らせ

2020-12-17 UP

ご機嫌よろしゅうございます。

本日は嬉しいお知らせを二つ。
小堀宗実家元の、令和2年文化庁長官表彰受賞式が執り行われます。
また、新刊「茶の湯と日本人と」(幻冬舎)が全国の書店にて発売されます。
磯田道史(歴史学者)
漆 紫穂子(品川女子学院理事長)
井上康生(全日本柔道男子監督)
石井リーサ明理(照明デザイナー)
モーリー・ロバートソン(国際ジャーナリスト)
千田嘉博(城郭考古学者)
葉室 麟(直木賞作家)
各界で活躍する「七賢人」と宗実家元が
それぞれの分野をフィールドにしながら、日本人と茶の湯の心を語り合います。
それは皆さんの日常生活を豊かにするヒントとなるかもしれません。
コロナ禍の今こそ、古の日本人が紡ぎ続けてきた茶の湯の心にふれ、
「新しい日常」を手にしてみませんか。
年末年始に是非ご覧ください。

東海道旅日記 上りの記 最終回

2020-11-20 UP

遠州公の「旅日記」から、東海道の道を
少しづつ進んでまいりました。
その昔、旅は一部の位の高い人のみが許されるもので、
人々の旅行は許可されていませんでした。
宿もない時代ですから、食料の調達や設営など考えれば
難しいこともあったでしょう。
平和が訪れ、次第に宿泊施設が整い、
「旅」は一般大衆も楽しめるものになっていきました。
「旅日記」に記された旅は、遠州公の私的な旅行とは異なりますが、
実際にその足で進んだ道中は、
旅のつらさも楽しみに変えている様子が日記から伝わります。
今年の始まりからステイホームの日々が続き、
これまでのように気軽な旅行もままならない状態となりました。
「旅」という非日常の時間は、日々の生活や私たちそのものに、
心の潤いと活力を与えてくれるものなのだと改めて「旅」というものについて深く考えさせられる一年となりました。
一日も早くコロナの収束を迎え、あるいはwithコロナでの新しい形のもと、
また安全で楽しい「旅」ができることを祈るばかりです。
遠州公の「旅日記」は今回ご紹介した「上りの記」の他に、
64歳の時に記した京都から江戸に向かう「下りの記」があります。
2021年新年より、「下りの記」をご紹介していく予定です。どうぞお楽しみに。

★新作★ 不傳庵宗実の温茶会 vol.3 \新作のご案内!!/

2020-11-19 UP

日頃より「綺麗さびの日々」メールマガジンをご愛読いただき有難うございます。
この度、ご好評いただいております不傳庵宗実の温茶会の新作「vol.3 初冬の取り合わせ -濃茶-」が11月21日(土)より、配信される事となりましたのでご案内申し上げます。
是非この機会にご覧いただきます様よろしくお願い申し上げます。

★不傳庵宗実の温茶会 vol.3「初冬の取り合わせ」濃茶★ \11月21日(土)より配信開始!!/

遠州茶道宗家13世 不傳庵 小堀宗実家元によるオンライン茶会。
風炉の季節に催されたvol.1「盛夏の取り合わせ」に続き、今回は炉の時季の到来と共に催される茶会でのvol.3「濃茶」をお届けします。
vol.3「濃茶」は、vol.2「初炭」に続く内容になっております。3編とも宗実家元の美しい点前をノーカットでご覧いただけます。
また、遠州茶道宗家に伝わる名品を詳しく解説。臨場感のある美しい映像と音のなか、特別な時間をお過ごしください。
「不傳庵宗実の温茶会」どうぞお楽しみください。

▼【新作】不傳庵宗実の温茶会 vol.3「初冬の取り合わせ」濃茶
www.enshuryu.com/online/onchakai003/

▼お問合せは…
遠州茶道宗家 事務局
TEL 03-3260-3551

「東海道旅日記」 旅の終わり

2020-11-13 UP

江戸の屋敷を出て13日、ようやく旅も終わりです。
逢坂山の紅葉も美しく遠州公一行を出迎えてくれます。長旅も終わりが見えてくると、その先に控えている公務が頭をよぎります。
元和7年(1621)、遠州公43歳の9月12日に江戸を出て、12泊13日の10月4日に京に到着。
三条にある屋敷に戻られたのではないかと思われます。(2015 5,7メルマガ 三条屋敷参照)
これ以後の遠州公は
元和9年(1623)伏見奉行となり、生涯務める。
        大坂城本丸仮御殿作事奉行
寛永元年(1624)二条城並びに行幸御殿作事奉行
寛永3年(1626)大坂城天守本丸作事奉行 
        伏見奉行屋敷完成
寛永4年(1627)仙洞御所の作事奉行
と多忙な40代となります。

「東海道旅日記」 三条大橋

2020-11-6 UP

旅の最終地点となる三条大橋は、
鴨川にかかる京都市三条通りの橋です。
室町時代には架橋の記述が残る三条大橋ですが、
天正18年(1590)に秀吉が命じ、
石柱の強固な橋に生まれ変わります。
日本の石柱橋としては最初のものでもあり、
秀吉の支配権の象徴ともいえる架設でした。
江戸時代にはいると、徳川幕府は三条大橋を
東海道五十三次の終点と位置づけて、維持管理を行いました。
17世紀半ばから幕末にかけては35回の改修工事の記録が残り、
鴨川の洪水の激しさと交通の要としての三条大橋の存在が伝わってきます。
架設されて以来、長い長い歴史を見守り続けてきた京都の橋です。
大正6年(1917)4月27日に日本で最初の駅伝「東海道五十三次駅伝競走」がここからスタートしたことを祈念して、碑が建てられています。

東海道旅日記 「走井の走井餅」

2020-10-30 UP

走井(はしりい)には東海道名物の「走井餅」があります。
遠州公の頃にはまだ現在の形ではなかったようで、
はじまりは明和元年(1764)、十代将軍徳川家治の頃、
湧水「走井」と近江の米でつきあげた餅は、旅人の疲れを癒したようです。
両端がすぼまり細長い独特のかたちは、走井の水量豊富な水の流れ、
走井で名剣を鍛えた刀鍛冶の故事に因のだ刀の形と所説あります。
またこの餅は落語にも登場しています。
「東の旅」
(正式には「伊勢参宮神乃賑(いせじんぐうかみのにぎわい)」という旅話。)
の「走り餅」の段では登場人物が、
大津名物の走井餅を食べてしゃっくりが
止まらなくなるというお話が描かれています。
旅人がこの走井餅を楽しむ様子を描いた
歌川広重の「東海道五十三次 大津 走井茶店」
この茶店は現在では月心寺としてその姿を残しています。

不傳庵宗実の温茶会 【新作のご案内】

2020-10-27 UP

メールマガジンご購読者 様

日頃より「綺麗さびの日々」メールマガジンをご購読いただき有難うございます。
この度、ご好評いただいております「不傳庵宗実の温茶会」の新作が配信される事となりましたのでご案内申し上げます。

★vol.2「初冬の取り合わせ」初炭★ \11月1日より配信!!/

遠州茶道宗家13世 不傳庵 小堀宗実家元によるオンライン茶会。
風炉の季節に催されたvol.1「盛夏の取り合わせ」に続き、今回は炉の時季の到来と共に催される茶会でのvol.2「初冬の取り合わせ」初炭をお届けします。
宗実家元の美しい点前をノーカットでご覧いただけます。
また、遠州茶道宗家に伝わる名品を詳しく解説。
臨場感のある美しい映像と音のなか、特別な時間をお過ごしください。
「不傳庵宗実の温茶会」どうぞお楽しみください。

▼【予告編】不傳庵宗実の温茶会 vol.2「初冬の取り合わせ」初炭
www.enshuryu.com/online/onchakai002/

▼YouTube【予告編】不傳庵宗実の温茶会 vol.2「初冬の取り合わせ」初炭
★チャンネル登録お願いします!!
https://youtu.be/pKBHZi3zw2E

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◆温茶会に関するお問合せは…

遠州茶道宗家事務局 03-3260-3551 まで
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東海道旅日記 10月4日 訳文

2020-10-23 UP

四日晴曇り しかしながら内出の里なので 
相坂の関にかかるせき山の紅葉は一際素晴らしい。
しばらく眺め居ることに。

 花盛 うち出の里に 立かへり 
  けふあふ坂の 紅葉をぞ見る
 
関を越えると、多くの人が並んでいる。
見れば見知った人達である。
ああでもない、こうでもないなどと言って
人々の動く様子は、さしずめ濡れぬことのない花の、
白波のようであると眺めて越えていく。
今は無事に戻り、相坂の関の地をようやくふめることが
できたとうち語らいあって進み、追分を過ぎて、
山科の里に差し掛かった。
又、京から来た人に会った。珍しく思い、
そこにあった庵に立ち寄ってしばしば物語をする。
そこからひの岡の坂を上った。

住み慣れた都であるはずだが、田舎住まいが長かったせいか、
今見てみるとなんだか見慣れぬ風景のように思えてしまう。
東山の紅葉はことさら素晴らしく、
ここまで、旅のつれづれに任せて、
なんということはないが趣深くかんじたことどもを
筆にまかせて書いてきたが、
旅の終わりが目前となった今となっては、
これから始まる仕事のことなども思い遣られて、
昨日の旅の憂いも恋しく感じてしまうような心持もしつつ都に入る

東海道旅日記「矢橋の舟」

2020-10-9 UP

大津に向かうため、湖上を船で進みます。
江戸時代、
「 瀬田へ回れば三里の回り、ござれ矢橋の舟に乗ろ 」
と、歌われたように、大津へは瀬田橋を経由する陸路より舟の方が早いので、舟渡を利用する人が多かったようです。 
(八橋からは多くの船が行き来し、その様子は近江八景の矢橋の帰帆として、有名でした。)
遠州一行は舟上から比叡山、唐崎の松を眺めつつ、
故郷近江に想いを馳せたことでしょう。
後年遠州公が大徳寺に創建した孤篷庵の茶室「忘筌」
から露地を眺めると、舟上からこの湖上の眺めをみる
ような「舟入の構成」になっており、露地の風景を
室内に縁どってみせる遠州公の非凡な才能が発揮されています。
ゴール目前。自然と心も軽くなり、一夜を語り明かした様子が記され遠州公の喜びが伝わってきます。
10月4日はいよいよ旅の最終日です。

東海道旅日記 「関迎え」

2020-10-2 UP

水口宿から石部に到着。
京都からはや出迎えの人達に出会い喜ぶ遠州公。
この人たちを遠州公は「関迎え」が来たと記しています。
東国から京都へ入る逢坂の関に出向いて迎えをしたことを
「関迎え」と言いました。
752年にはこの逢坂の関は廃止となっていますが、
「関迎え」の言葉はその後も残りました。
この逢坂の地にちなんだ和歌から遠州公が
茶入の歌銘をつけているのが瀬戸丸壺茶入「相坂」です。
この茶入は唐物の丸壺茶入を写したもので、
仕覆や替蓋、お盆などが揃っていて、
その愛蔵ぶりが伺えます。

  相坂のあらしの風はさむけれど 
   行方しらねばわびつつそぬる
     「古今和歌集」雑下のよみ人しらず
の和歌からつけられたと、
茶入に添えられた江月和尚筆の「相坂の記」に記されています。