「もう……」

2024-7-1 UP

 もう七月を迎える頃となった。ということは、今月号が刊行されるときには、令和六年の半分が過ぎたという時間的経過を意味している。新年には一年間の目標を多くの人が何かしら考えるものである。そして半年経ったところで一度省みる……といった姿勢は、最近はあまり見なくなってしまったような気がする。

 もちろん大企業を始めとする会社では、上半期の収益がどうであるとかは、重要な問題としてとらえるのは当然であると思うが、人間個人のレベルで考えれば一人ひとりはそれほど真剣に向き合っていないのではないか。まして現代社会の目まぐるしさである。何でもクリック一つで(ボタンを押すと表現していた時代はもう……)何かが現れたり、消えたり、場面が転換したりする時代である。振り返る暇がないというか、心に隙がなくなってしまった。であるから、毎日を過ごしながら自分の心の中で、「もう何々」という言葉が繰り返し出てくるのは、私だけであろうか。

 しかし、焦りや諦めだけではない、「もう」が今年前半に、私の周辺で沢山あった。

 それは宗家関連で催された茶会である。正月の点初めが終わると、続々と茶会が始まる。二月の御自影天神供養茶会では、濃茶席を和月庵小田宗達氏が担当、三月の東京美術倶楽部での遠州忌茶筵の濃茶席は谷村幽渓庵氏が担当、新緑の京都大徳寺塔頭孤篷庵における遠州忌茶会においては、山雲床の濃茶席を城南居古川宗秋氏、忘筌は松傳庵中西宗晴氏が薄茶席をつとめられた。各席それぞれ、席主の個性が発揮されていた。そしてこの四人の席主に共通するものは、修行時代に宗家道場において、直門の一員として稽古に励んでいたという点である。しかもその頃は、私だけでなく先代の紅心宗匠も現役として活動していた時期である。父は、その時代はよく茶事をしていたので、水屋や庭掃除や草履取りをしていた彼らは、おそらく私が知らない、先代の言葉を耳にしたり、直接の声かけがあったのに違いない。それは彼ら一人ひとり皆同じではないと思うし、また一個人の宝物であろう言葉だったと想像される。その四人が、今は立派に各々の美術商の社長として活動されている。そして、ついに遠州流茶道の重要な茶会を担うときがおとずれたのである。私より、父や母が天の上から「もう……そんなに……」と思っていると確信でき、また私も何よりもうれしい、「もう」なのである。

 ちなみに、「もう」といえば私も来年、数え年で七十、つまり古希になるらしい。これは昔の方法だから私には関係の無いことだと、私は今でも考えているのではあるが、周りはそうでもないらしい。困った「もう」である。

 過日の山雲床で古川氏は清拙の墨蹟を掛けられた。その際披露していたのは、紅心宗匠は古希の茶事で、「ようやく墨蹟を使える年齢になりました」と言われたという話。古川氏曰く「それなのに私はもう……」と言われたので、「その言葉を胸に私は未だ墨蹟は使っていません」と返したのであった(笑)。