立冬

2013-11-7 UP

皆様ご機嫌よろしゅうございます。

昨日で土用が明けまして、立冬となりました。
本日は立冬についてお話いたします。

≪二十四節季:立冬≫
いよいよ冬の気配が感じられる季節となりました。
既に木枯らしが吹き始め、冬型の気圧配置となります。
今年は11月4日に大阪管区気象台が近畿地方で「木枯らし1号」が吹いたと発表しました。
木枯らしが吹くと冬の気圧配置となり、秋が終わり、立春の前日(2月3日)までが暦上の「冬」となります。
現在の日の入りも17時を切って、16時40分となっています。
冬になればなるほど、日が短くなっていきます。
夜が近づく分、厳しい寒さも早く訪れることとなりますので、どうぞ体調には十分にお気を付け下さい。

土用明

2013-11-6 UP

皆様ご機嫌よろしゅうございます。

10月20日から入った土用が、本日で明けます。

 

≪暦:土用明≫

土用は立春、立夏、立秋、立冬前の約18日間を指し、1年に4度あるとされています。

土用は中国の五行思想から成立したものです。

四季を五行に割り当て、分割すると、ひとつの季節が73日となります。

そしてその土の日数を4等分した18日(19日の時もあり)を各季に割り当て、その期間を土用というのです。

五行思想において、「土」は物を変化させる作用があるとされ、季節の変わり目に配置されたと言います。

ちなみに「用」はハタラキを表しますので、「土用」で「物事を変化させる作用」を意味しています。

亥の子餅

2013-11-5 UP

皆様ご機嫌よろしゅうございます

本日は遠州茶道宗家で炉開きが行われます。

 

《亥の子餅》

5日はいわゆる旧の「亥の子餅」「炉開き」の日です。

旧暦では10月3日にあたります。

古来の風習は西が中心でありました。

そのため、古来から行われていたこの風習の月日は、江戸開府以前の、関西の気候風土より定められたものであるといえます。

関東以北では、この日以前から既に寒くなっておりますので「亥の子餅」を食べ、この日に炉を開ける習慣は関東にはなく、一部の人々を除いて、一般的ではないと言えます。

ちなみにこの古来からの風習における「炉」とは、茶道における炉ではなく、炬燵や火鉢などのことを指します。

宗吟先生

2013-11-4 UP

皆様ご機嫌よろしゅうございます。

11月4日は小堀宗吟先生の祥月命日です。

宗吟先生は先代紅心宗匠の母、当代宗実御家元の祖母にあたる方で、長年遠州流茶道の発展にご尽力されました。

 

《人物:小堀宗吟》

11代其心庵宗明宗匠の妻である宗吟先生は、戦前から数多くの出張稽古をされ、戦時中においてはモンペ姿でも全国をまわるなど、亡くなるその日まで遠州流茶道全体の育成に努められました。

また先代紅心宗匠、またその御兄弟の目には、大変厳しい母親として映ることもありましたが、何事も最後までやり遂げ、人を激励し続ける姿は「勤勉努力、実践垂範」の人として尊崇されました。

昭和44年、宗吟先生と紅心宗匠は広島の全国大会へご出張の際、宮島の旅館で紅葉を眺められました。

それが二人でご一緒された最後の風景となり、その後、亡き母を偲び、と紅心宗匠は歌を詠まれています。

「想いでは 唯ほほえみの母の顔 紅葉に映えて 美しく見ゆ」

三の酉

2013-11-3 UP

皆様ご機嫌よろしゅうございます。

11月3日は一の酉の日。

本日は酉の日についてお話したいと思います。

 

《酉の日》

古来より十二支は年月・時刻・方位に当てはめられ、それは日にも対応しており、11月はその酉の日に酉の市が寺社で行われます。

今年は三の酉まであります。

三の酉とは、月の始めに酉の日がくれば、酉の日が一月で三回くるときがあり、三の酉がある年は、火事が多いとされ、年末にかけて「火の用心」の心がけが肝腎です。

11月に酉の日を祭る由来は、神道や仏教によって異なり、またこの信仰は関東特有のものともされ、あまり西では見られません。

酉の市では「鷲が獲物を捕らえる爪」を模した熊手が、「福集める」縁起物として売られています。

他にも「頭の芋」や、「切山椒」といった縁起のある食べ物も売られ、関東を中心に、様々な寺社が大勢の人で賑やかになります。

72侯

2013-11-2 UP

皆様ご機嫌よろしゅうございます。

本日は72侯についてお話し致します。

 

《72侯について》

72侯は、一年の太陽の周期を24等分した24節季をさらに3つに分け、丁度その頃に合った季節を表す「花鳥風月」の表現から季節の特徴を挙げたものです。

旧暦の時代は、月の運行による「暦」と、太陽による四季の変化との季節のズレを、24節季で訂正していました。

24節季が「春分」や「立冬」のように「2字」で簡潔に記されるのに対して、72侯は分かりやすく表現されているため、たいへん親しみやすいと言えます。

また、72侯は幾種類もあり、代表的なものを挙げると「宣享暦」「貞享暦」「宝暦暦」「寛政暦」「略本暦」などです。

前回までの72侯は明治7年(1874)に改訂された「略本暦」を基としておりましたが、これからは上記より季節に合った暦を選んでお伝えしていきます。

食物月

2013-11-1 UP

皆様ごきげんよろしゅうございます。

いよいよ11月になりました。

日本の暦では11月を霜月と言います。

今日は霜月の語源などについてお話し致します。

 

《暦:霜月》

「霜月」の語源は『奥義抄』の中に「十一月(しもつき)、霜しきりにふるゆえに、霜降月というを誤れり」とあり、霜降月の変化したものと言われています。

また霜月の他にも、神帰月、神楽月、雪待月、仲冬、子月、つゆこもりの月、雪見月、広寒月、食物月など様々な名称があります。

この中で特徴的なのは、食物月(をしものつき)です。

霜月の語源も、この食物月が縮まったとする説があります。

11月には新嘗祭などの収穫を祝う行事が多くあり、それらを食べる月として「をしものつき」という名が付いたと言われています。

そして普段一般的に誰もが使用する「食物(たべもの)」という言葉ですが、これはもともとは「多米都物(タメツモノ)」といい、米などの収穫物にあてられたものです。

魚や鳥などの類は「美物(ビブツ)」といい、その点からみても、「収穫」ということを意識して11月の名称を「食物」としたことに、昔の人々が霜月を感謝の月として大切にしていたことが分かります。

美味しいものが増える季節。

体調管理にも十分お気を付け下さい。

茶壺道中

2013-10-30 UP

皆様ごきげんよろしゅうございます。

本日は茶壺道中についてお話いたします。

 

《季節の行事:茶壺道中》

茶壺道中とは、宇治の抹茶が茶壺に詰められて運ばれるその行程のことです。

徳川幕府が寛永9年(1632)に正式に制定。

毎年選ばれた採茶師2名がそれを監督します。

採茶師は4月から5月初めに、幕府の御物茶壺を携えて江戸を出発し、20日程で宇治に到着します。

宇治茶師頭取上林家の庭にある茶壺蔵に厳重に保管され、不寝番(ねずばん)も付けられました。

その後2日間にわたって茶詰が行われます。

御物茶壺は1壺あたり黄金1枚が与えられたので、黄金詰、または大判詰とも呼ばれました。

到着してから20日程のち、採茶師たちは往路の数倍の茶壺を携えて宇治を出発。

採茶師の一行の人数は約500人にものぼり、厳重な警備のもと、江戸へ運ばれました。

茶壺が通行する道は、街道沿いの村人たちによって掃除が命じられ、田畑の耕作も禁じられました。

「ずいずいずっころばし」のわらべ歌は、繁忙期の農民たちが茶壺道中を風刺した歌ともいわれています。

後に倹約令が出され、茶壺の数も一行の人数も大幅に減らされることとなりますが、10万石の格式のあるものとして、江戸後期まで続いた。

 

男鹿支部

2013-10-29 UP

皆様ごきげんよろしゅうございます。

本日は遠州流茶道の支部の1つである男鹿支部についてお話します。

 

《支部:男鹿支部》

昭和38年に、秋田県男鹿市で発足した男鹿支部は、先代の紅心宗匠が家元を継承した後に初めて発会した支部です。

これまで昭和48年と、平成元年に2回全国大会を開催しており、多くの会員数を誇る支部として長く活動されてきました。

男鹿支部のある男鹿半島は出羽山脈の西端に位置し、長い時を経て島から半島になったもので、鯛、サザエ、アワビなどの海の幸と、梨、メロンなどの山の幸に恵まれ、奇勝絶景の地域として知られています。

また、なまはげのゆかりの地でもあり、毎年冬に祭りが開催され、多くの観光客が訪れています。

今年は発会から50年の節目の年。

これからのさらなる発展に期待がされています。


	

霎時施

2013-10-28 UP

皆様ご機嫌よろしゅうございます。

本日から、暦が変わります。

 

《七十二候:霎時施(こさめときどきふる)》

長い小雨がしとしとと降り始める季節となります。

秋の雨は冷たく、物悲しく、空もどこか灰色がかった雲でうっすらと覆われ、これから始まる冬に向けて、なだらかに下降しているような気分になります。

秋雨は、梅雨とは異なり、始まりと終わりが曖昧で、また台風と相まって大雨となる事もあり、表情が変わりやすく、寒暖の差にも注意が必要です。

ただこの時期の雨は、アジア周辺まで含めた広範囲で起こる梅雨とは異なり、日本特有のもので、もののあはれを表す季語として様々な歌や詩などで大切に扱われてきました。

先代紅心宗匠の即興歌、写生を集めた『紅心集』にも、秋の雨を詠んだ歌が収録されています。

今から30年ほど前、昭和52年に行われた富山支部全国大会での即興歌を少しだけご紹介致します。

夜来秋雨過天遠晴

心清而喫茶見立山

やらいしゅううすぎて てんとおくはれ

こころきよくして ちゃをきっし

たてやまをみる

 

秋も晴れ 心もはれて秋晴れの

空すみわたり 立山の見ゆ

 

雨ぐもの 晴間に見する剣獄(つるぎだけ)

気高く聳(そび)ゆその山かげは

 

弥陀の原 秋たけなわに染め分けて

千種の色の いよようるわし

 

では明日もまた宜しくお願い致します。