遠州七窯(えんしゅうなながま)

2014-10-30 UP

遠州公所縁の茶陶を俗に「遠州七窯」と呼ばれることがあります。

これは幕末の美術商だった田内梅軒が著した「陶器考」の中で初めて出てくる言葉です。
しかし一般的に「七窯」挙げられるもののうち、古曽部(こそべ)や赤膚(あかはだ)といった窯もその数に数えられていますが、これらは遠州公が亡くなって200年程経ってから出来た茶陶で遠州公の好みの窯とはいえないものまで入っています。遠州公は七窯に限らず、高取、志戸呂、薩摩、上野、膳所、宇治田原等の国焼や、瀬戸、信楽、丹波、伊賀、備前などの古い窯、多くの窯の指導に当たったことがわかっています。

武野紹鴎(たけのじょうおう)

2014-10-29 UP

10月 29日 武野紹鴎(たけのじょうおう)

ご機嫌よろしゅうございます。

侘び茶を提唱し、利休の師として知られる武野紹鷗
今日はその紹鷗の命日にあたります。

茶の湯の簡素化,草体化をさらにすすめたとされる紹鷗でしたが、武具を生業として
当時室町幕府の威光の衰えから武力衝突が多発した
時代を機に巨万の富を築いた富豪でした。

もとは若狭の守護大名武田氏の一族で,
父信久は諸国を流浪し、姓を武野に改めたとされます。
武田が野に下ったので「武野」というわけです。

三条西実隆に「詠歌大概序」を学び、連歌を得意とした
紹鴎は、茶掛けといえば墨跡か唐絵が主流であった当時
その歌意の真意を悟り、安倍仲麻呂の「天の原…」
の和歌を茶掛として初めて用いました。

六歳の息子を、娘婿の今井宗久に後見として託し、
54歳で亡くなりました。
(1502ー1555)

毘沙門茶会(びしゃもんちゃかい

2014-10-28 UP

10月 28日 毘沙門茶会(びしゃもんちゃかい)

ご機嫌よろしゅうございます。

今日は遠州茶道宗家のお膝元
神楽坂・毘沙門天で遠州流茶道の茶会が行われます。

神楽坂の毘沙門は今から200年ほど前のの火事により、
この地に移転してきました
これによって当初は殆ど武家屋敷だけだった神楽坂界隈に
お店や民家が増え、華やかな街になっていきました。

毘沙門天はサンスクリット語(インドの古語)で
「ビシュラバナ」と表記し、この音写が「ビシャモン」
になります。
「全てを聞く」という意味を表し、参詣者のお願いも
よくきいてくださるとのこと。
境内の素敵な眺めでお抹茶を楽しんだ後
毘沙門様にご祈願されてはいかがでしょうか?

また同日、ご宗家には各国のミスインターナショナルが
茶道をはじめとする日本文化の体験に来ています。

11月11日に東京で行われるミスインターナショナル世界大会では昨年に引き続き
御家元が審査員を務められます。

秋は夕暮れ

2014-10-27 UP

10月 27日 秋は夕暮れ

ご機嫌よろしゅうございます。

あたりの景色を見渡すと
もうすっかり秋を感じられる
のではないかとおもいます。

今日は枕草子の秋の一節を
ご紹介します。

秋は夕暮
夕日のさして 山の端(は)いと近うなりたるに
烏の寝どころへ行くとて
三つ四つ 二つ三つなど 飛び急ぐさへあはれなり
まいて雁などの連ねたるが
いと小さく見ゆるは いとをかし
日入り果てて 風の音 虫の音など
はたいふべきにあらず

日が落ちるのが早くなってきました。
夕日に染まった空を眺めていると
ふとこの一節が頭に浮かびます。

秋の夕暮れはなんとも寂しげで
それでいて美しい。
この季節ならではの味わいです。

銀茶会(ぎんちゃかい)

2014-10-26 UP

10月 26日 銀茶会(ぎんちゃかい)

ご機嫌よろしゅうございます。

今日は銀座で「銀茶会」が行われます。

銀座の街そのものが野点の会場となる
という大胆な行事ですが、今年で13回目。

遠州流茶道をはじめ、表千家・裏千家など茶道五流派が
一堂に銀座の十数か所で野点を開催します。

「茶の湯」という一つの形のもとに
それを愛する人々が流儀を問わず銀座に集う
聞いただけでもなんだかワクワクするイベントです。

老舗の和菓子屋さんがこの日のために作る
和菓子も見所の一つ。

普段の街並みが今日は一味違った姿を見せる…
「銀座」のもう一つの顔をお楽しみ下さい。

遠州公の愛した茶入「玉川」

2014-10-25 UP

10月25日 遠州公の愛した茶入
「玉川(たまがわ)」

ご機嫌よろしゅうございます。
今日は遠州蔵帳所載の茶入「玉川」を
ご紹介します。

その景色から遠州公が

いまぞ見るのちの玉川たづねきて
いろなる浪の秋の夕暮れ    碧玉集

から銘命したといわれています。

遠州公の茶会では特に使用の記録ありませんが、
挽家の金字形は遠州公の筆跡で「玉川」とあり、
遠州公筆の和歌色紙の掛け物が添っています。

遠州公所持の後、土屋相模守、松平弾正、神尾左兵衛、
寛政の頃には(1789ー1800)信濃国上田城主松平伊賀守
江戸十人衆河村家を経て松浦心月伯爵に伝わり、
後に藤原銀次郎に伝わりました。

三渓園茶会(さんけいえんちゃかい)

2014-10-24 UP

10月 24日 三渓園茶会(さんけいえんちゃかい)

ご機嫌よろしゅうございます。

今日は横浜三渓園にて茶会が
行われます。

三溪園の創設者で近代の三大茶人
原三溪(はらさんけい)を偲び、
茶道五流派が一堂に会します。

原三渓はもともとは跡見女学校の教師でした。
そこで横浜の豪商・・原善三郎の孫・原 屋寿(はら やす)
と結婚し、原家に入ります。
後に横浜市を本拠地とし、絹の貿易により富を築きました。

私邸である三渓園を、市民の憩いの場に開放。
関東大震災で横浜市が壊滅的打撃を受けると、
美術への支援や収集を控え、復興に私財を投入し、
しかもそれを表に出すことを好まなかったといいます。

遠州流は本日、月華殿でお家元が掛釜されます。
是非三渓園の絶景でお茶を一服お楽しみ下さい。

霜降(そうこう)

2014-10-23 UP

10月 23日 霜降(そうこう)

ご機嫌よろしゅうございます。

寒露から数えて約15日。
二十四節気でいう「霜降」にあたります。

朝晩の冷え込みが日に日に厳しくなり、
肌寒さが感じられます。

木々もその変化を感じて赤く色づき始める頃。

霜は、空気中の水蒸気が水になることなく、
水蒸気からいきなり氷の結晶に昇華して出来る現象
だそうです。

家の中でもそろそろ暖房器具や防寒具の用意を
はじめる頃でしょうか。

秋の土用

2014-10-21 UP

10月 21日 秋の土用

ご機嫌よろしゅうございます。

今日から秋の土用の入りです。

先月にも土用のお話をしましたが、
土用とは季節の変わり目である
立春・立夏・立秋・立冬の前18日間を
「土気」に分類し「土用」としたものです。
夏の土用は丑の日で有名ですが、
秋にも土用はあるのです。

そしてこの土用には
土いじりをしてはいけない、大根などの種まきも禁止、
するなどの禁忌がありました。
土用中は季節の変わり目なので、
体調を崩しやすい農作業をいさめた
先人の知恵が生きているのです。

恵比寿講(えびすこう

2014-10-20 UP

10月 20日 恵比寿講(えびすこう)

ご機嫌よろしゅうございます。

今日は10月20日。
「恵比寿講」と呼ばれる行事が行われます。

ふっくらとしたお顔に満面の笑み
七福神の一人に数えられる恵比寿様
皆さんもよく耳にするお名前ではないかと
おもいます。

恵比寿様は、神無月で日本国中の神様が出雲へと
出払ってしまった留守を守るとされ
その恵比寿様に商売繁盛を願う行事です。

鯛を抱えて釣竿を持った姿の恵比寿様は
もともと海の向こうからやってきた漁業の神様。
次第に市場の神、商業の神として崇められ
商家ではこの日に恵比寿様の掛け軸をかけ
尾頭つきの鯛や現金などを供えるのだとか。

さて日本橋宝田恵比寿神社では、江戸時代から始まった
「べったら市」が有名です。
べったら漬けは、徳川慶喜公も
好んでよく食べたそうで、東京の名物にもなりました。