6月 19日(金)遠州公所縁の地を巡って
「道の記」その1
ご機嫌よろしゅうございます。
元和七年(1621)四十三歳の折、
江戸から京都への道中を記した旅日記が残っています。
まだ人々が自由に旅を楽しむことができなかった時代。
遠州公は公務のため江戸をたち、京都へ戻ります。
9月22日に江戸を出発、
10月4日に京都へ到着するまでの12泊13日の
様子を、和歌や詩を交え書き記しています。
道のりにして500キロ
東京から京都まで、新幹線に乗れば3時間かからない
現在に比べると、時間ははるかにかかります。
大変なことも多かったことと思いますが
四季の移り変わりを直接に感じ、
道みちの様子を眺めながら、そして知己との交流
を深めながらゆっくりと進む当時の旅は、
とても楽しそうです。
この旅日記は各大名から書院飾りとして求められた
りしたようで、二代目大善宗慶、権十郎蓬雪、
三男十左衛門正貴などが、父である遠州公の旅日記を
書写しています。
来週はその一部を紹介します。
6月17日(水)遠州流茶道の点法
「茶碗披き(ちゃわんびらき)」
ご機嫌よろしゅうございます。
今日は茶碗披きについてご紹介致します。
亭主が拝領した茶碗や名物茶碗を手に入れ
初めてお客様に茶碗をお披露目する際に
されるお点法がこの「茶碗披き」です。
通常の点法では、茶碗は他の道具に比べ
拝見にだす機会が少ないかと思います。
このお点法での主役は茶碗ですので、
通常とは逆に、席入りの時から予め茶碗を飾り付けて
茶入を持ち出して点法を始めます。
また通常の濃茶の点法の最中であっても、
お客様から所望があれば、途中から
「茶碗披き」の仕舞いにしていき、
自分で茶碗を清め拝見に出すことが出来ます。
その場合は水屋に下がった際に、
仕舞い込み茶碗を用意し、茶道口に置きます。
風炉の場合は、席入り前の柄杓の飾り付けも特殊で
華やかな印象のお点法です。
6月 15日(月)おたくさ
ご機嫌よろしゅうございます。
梅雨時、雨にうたれて
一層色鮮やかに映える紫陽花が見事です。
この紫陽花別名を「おたくさ」と
呼びます。和菓子屋さんでも
紫陽花の和菓子に「おたくさ」という銘が
つけられたものをご覧になったことも
あるのではないでしょうか?
この名前、実はシーボルトが関係しています。
出島のオランダ商館医であったシーボルト
この地でお滝さんという女性と出会い、
いねという娘をもうけ幸せな日々を送ります。
そして彼は日本の紫陽花を大変気に入っていました。
しかし、スパイ容疑をかけられ、国外追放の身となって
最愛の人と引き裂かれてしまいます。
彼は、大好きなあじさいに最愛の「小滝さん」の名から
「オタクサ」と学名をつけ、ヨーロッパに紹介しました。
この「おたくさ」の名には、シーボルト最愛の
女性への深い想いがこめられていたのでした。
ちなみにお滝とシーボルトの間に生まれた
いねさんは、大変な苦労の末医学の道に進み
日本初の女医で産科医となったそうです。
6月 10日(水) 遠州流茶道の点法
「天籟(てんらい)」
ご機嫌よろしゅうございます。
今日は立礼卓「天籟」をご紹介します。
「天籟」は永遠、無限をコンセプトに
宗実お家元がお好みになった立礼卓です。
天籟の意味は、
自然の調和などを意味する言葉です。
その名の通り、漆黒に銀の輝きが散りばめられた
美しい卓です。
天板は無限を表す「∞」の形になっており、
道具組によって、赤と黒の二種類の天板に
組み替えることができます。
前面に施された紋は七宝とenshuの文字を
巧みに組み込んだデザインとなっていて
曲線と直線のラインが生かされた
モダンなつくりの卓です。
遠州流茶道ではご先代の佳扇卓などもありますが、
この「天籟」は普通の自宅でも使えるよう、
コンパクトにつくられています。
6月 8日 (月) 太田道灌と蓑傘
ご機嫌よろしゅうございます。
梅雨の時期の外出に傘は欠かせません。
そして昔は雨の時、蓑を使用していました。
今日はこの蓑にまつわる太田道灌のお話をご紹介します。
太田道灌は江戸城を造ったことで有名です。
築城の名人で、また歌人としても知られた武将でした。
さて、神田川の桜並木に「面影橋」という橋が架かっており
この面影橋に「山吹の里」という石碑があります。
ある日、鷹狩に出かけた若き道灌が、
にわか雨に遭遇し、村のあばら家で蓑を借りようとしました。
しかし家から出てきた少女は無言のまま、
山吹の一枝を道灌に差し出します。
その意味が分からない道灌は怒って
その場を立ち去りましたが
あとで家臣から
七重八重 花は咲けども山吹の
実の一つだになきぞ悲しき
という後拾遺集の歌に寄せて、少女が
蓑のひとつさえ持てないかなしさを
山吹の枝に託したのだと聞かされます。
自分の無学を恥じた道灌は
それ以降歌道に精進したといわれています。
6月 5日 (金)遠州公所縁の地を巡って
「江戸城での茶会」
ご機嫌よろしゅうございます。
今日は江戸城で行われた茶会について
ご紹介します。
元和六年(1620)
江戸城で秀忠の茶会に諸事承る
将軍秀忠が行った茶会についての
遠州公の自筆記録が残っています。
年号が記されておらず、明確ではありませんが
遠州公四十三歳の頃には既に将軍秀忠の茶会に
たずさわっていたと考えられ、
織部が亡くなった翌年から元和四年(1618)
の間三十八歳から四十歳の間に
秀忠の将軍茶道指南役になったと思われます。
また元和九年(1623)から寛永九年(1632)の約十年
遠州公四十五歳から五十四歳の頃は
伏見奉行、大坂城や仙洞御所の作事奉行を
兼務し同時に、茶の湯においても
大御所となった秀忠・将軍となった家光の
双方の指南役として活躍し、多忙な日々を送っていた時期でした。
6月 3日 (水)遠州流茶道の点法
「香所望」
ご機嫌よろしゅうございます。
梅雨の時期、湿気が多くなり過ごしにくく
感じる一方、お香を聞くにはとても
よい環境となります。
今日は通常のお点法の話から離れて
お香についてお話ししたいとおもいます。
最近ではあまり行われることはないようですが
お茶事の際には花所望、炭所望など
お客様に所望をすることがありました。
そのうちの一つに香所望があります。
お香は炭の匂いを消したり、
空気を清浄にするという意味もあり、
炭点法の最中に火中にくべられます。
また香炉を飾る場合もあります。
茶室に入った際、棚に聞き香炉が飾ってあった場合、
お客様は香炉を拝見し、それから香の所望をします。
亭主は自分の香を焚き、その後お客様にも
香を所望するのです。
ですから、本来お茶に招かれた際
所望に応えられるよう、
自分の香を香包みにいれておくのが
茶人の心得でした。
6月 1日(月)毒月と端午の節句
ご機嫌よろしゅうございます。今日から六月にはいりました。六月二十日は旧暦の端午の節句にあたります。この由来については諸説あります。
旧暦の五月には古代中国で「毒月」という異称があります。日に日に気温も上昇し、湿度も増すことから細菌も繁殖しやすくなり、疫病の蔓延する恐れなどがあるためで、「悪月」ともいわれるそうです。日本でもこの毒を封じるためか、五月五日の節句に野山に出て薬草を採集する「薬猟」(くすりがり)が行われていました。この日に収薬すると「百病を治すべし」と信じられていました。古くは朝廷でこの節句に「薬玉(くすだま)」をかけ、香袋を下げ邪気を払いました。また菖蒲もその薬効から悪疫を除去するとされ、家の軒に差したり、湯に入れて菖蒲湯にする風習が生まれました。ちなみにこの菖蒲は、皆さんよくご存知のあの綺麗な花の咲く菖蒲とは別の種類でサトイモ科の植物で香りのある植物です。
5月 29日(金)遠州公所縁の地を巡って
小室の領地へ
ご機嫌よろしゅうございます。
元和五年(1619)遠州公四十一歳の時
備中国から、近江国に転封となります。
この近江は遠州公の生まれ故郷であり、
浅井郡の小室の地が領地となります。
これから小堀家は七代宗友公まで、
代々小室藩主となります。
遠州公はこの小室の屋敷内に「転合庵」と「養保庵」
という茶屋を設けましたが、多忙な遠州公は
ここにはほとんど住まわず、二つの茶屋も
小室に帰国した際に楽しむために作られた
ようです。
二代宗慶公の時代に陣屋が建設されました。
小室藩の陣屋は、藩主が住まう館と、
それを囲むように家老や家臣団の屋敷が配置され、
藩の政治機構が整えられました。
二代目以降もほとんどこの小室の陣屋に藩主は
おらず、小室藩の実際の治世は家臣達が担っていました。
現在、かつて小室藩の陣屋が置かれていた付近には、
小室藩が祀ったとされる山王社(現日吉神社)や
稲荷社や弥勒堂などの祠堂、家老の和田宇仲の屋敷に
湧き出ていた泉から引かれているという宇仲池など
のみが残っています。
5月27日 (水)遠州流茶道の点法
「茶通箱(さつうばこ)」
ご機嫌よろしゅうございます。
今日は「茶通箱」をご紹介します。
当時大変貴重であったお茶が二種類手に入った時
そのお茶をお客様に両方点ててお出しする
お点法があります。
これが「茶通箱」です。
箱の中に二種類の茶入を入れ、一種ずつお点法をいたします。
元来茶通箱は封をして用いる為のものでもありました。
封の仕方や、その封をした茶通箱の飾りの次第などもあり複雑でした。
毒殺などがあり得た戦国時代には、中身の保証という
意味から、数寄屋坊主が茶入にお茶を入れ
封をして飾っておきました。
また二服目をいただく前に白湯を所望することもありました。
現在ではそのような扱いはすることはなく、
茶通箱の扱いを主たる目的として点法を稽古しています。
1つ目の茶入は必ず肩衝茶入を使用し、二種目の
茶入は瓢箪や耳付など肩衝ではない形の違うものを
使用します。
二種類の茶を点てること、茶通箱の扱いもあり
少々長いお点法です。