7月 10日 (金) 納豆の日

2015-7-10 UP

7月 10日 (金) 納豆の日

ご機嫌よろしゅうございます。

7月10日は納豆の日とされています。
今日は納豆と茶の湯についてご紹介します。

納豆は鎌倉時代、動物性たんぱく質を
摂ることのできなかった禅宗の僧侶が、
精進料理として、取り入れたもの
といわれています。

江戸時代には納豆は早朝に行商が
売り歩きにきました。
庶民にも広く普及していたようです。
この頃まではまだ醤油も普及しておらず
納豆は調味料的な利用をされ、
汁にすることが多かったようです。
茶の湯に関して言えば
千利休最晩年の天正十八(1590)年から
十九年にかけての100回に及ぶ茶会記を記す
『利休百会記』の中で
天正十八年に7回、茶事の会席において
「納豆汁」を出した記録があります。
秀吉や細川幽斎などの武将にも振舞っています。

天正18年は利休が自刃する前年ですので、
利休の茶の湯も確立された頃
納豆はその精神に叶う食事として会席に利用した
のでしょうか。

7月8日 (水)遠州流茶道の点法

2015-7-8 UP

7月8日 (水)遠州流茶道の点法
茶箱(ちゃばこ)

ご機嫌よろしゅうございます。

今日は茶箱についてご紹介します。

茶箱は古くから旅の際の持ち歩きように
つくられたもので、
茶弁当などとも称されていました。

それぞれの茶人の好みで茶箱が作られました。
遠州公の好みの茶箱には
天の橋立の松の美しい生節の戸に使用した
「橋立茶箱」というものがあります。

宗家道場ではこの橋立茶箱の写しを用いて
お稽古しています。
正面と右側面にそれぞれ菓子器・茶碗茶杓
茶筅・茶器・茶巾が収納され、
シンプルな形ながら、使いやすく遠州公の
心配りが感じられる茶箱です。

7月 6日(月) 長生殿(ちょうせいでん)

2015-7-6 UP

7月 6日(月) 長生殿(ちょうせいでん)

ご機嫌よろしゅうございます。

昨年ご紹介しました日本三大銘菓のうちの
今日は 日本三大銘菓の一つ、長生殿について
ご紹介します。

長生殿の生まれた金沢は前田家が遠州公の指導を受け、
熱心に取り組んだこともあり、茶道が大変に盛んな土地です。
そしてそれに伴い、和菓子の文化も発達しました。

この長生殿のように、茶道の発展とともに、
日本の各地で茶菓子としての
伝統的な銘菓が誕生していきます。
今と異なり、流通の発展していなかった時代には
大変に希少価値のあるものでした。

銘菓「長生殿」は、寛永年間(17世紀前半)
森下屋八左衛門が前田利常の創意により、
遠州公の書いた「長生殿」
という文字を墨型の落雁にした
ことがはじまりと言われています。

この「長生殿」の名は、唐の白居易「長恨歌」の末章

七月七日長生殿  夜半無人私語時

より、唐玄宗と楊貴妃が愛を語りあった場所である
長生殿から由来しているといわれています。
そしてこの詩、後には

在天願作比翼鳥  在地願爲連理枝

と続き、
天上にあっては、鳥の両翼となり
地上にあっては、連理の枝となりましょう
と永遠の愛を誓う歌が続きます。

遠州公はどんないきさつでこの長生殿という字を
書かれ、利常公がこの菓子をつくられたのか
明日の七夕の日に、そんなことに想いを巡らせながら
このお菓子を頂きたいと思います。

東海道旅日記 下りの記 九月二十六日

2015-7-3 UP

遠州公が旅をした様子を書き綴った「道の記」当時の旅の様子が詳しく読み取れ、大変に興味深いのですが、その中には各地の名物も多数登場します。そのうちの一つ「十団子」をご紹介します。

九月二十六日
江戸を出発して五日目。

現在の静岡のあたり、物語にも多く登場する宇津谷峠に差し掛かった時その麓の里で、名物の「たうだんご」に出会す。

遠州公ははじめ「唐団子」と聞き間違い、中国から渡ってきた珍しい団子かと思っていたところそうではなく、霰のような白い餅を器に十ずつすくうので「十団子」なのだとのことでした。それでは実際掬わせよと遠州公が言うとお店の女房は杓子で自在に掬って見せたとあります。その様子が遠州公の旅情を慰め、時の経つのも忘れた様子です。

さて、遠州公の東海道旅日記には、もう一つ「上り」があります。こちらは、「下り」の書かれた四十三歳から二十一年後の六十四歳の折の様子が綴られており、二つ読み合わせると、その時の経過を感じることができます。

7月 1日(水)遠州流茶道の点法

2015-7-1 UP

7月 1日(水)遠州流茶道の点法
旅箪笥(たびだんす)

ご機嫌よろしゅうございます。

夏の暑い時期、正午のお茶事などが
行われることは少ないようです。

そのような暑い時期にも気軽に茶の湯が楽しめるよう
宗家の稽古場では、旅箪笥や、茶箱といった
野点や外出先でのお茶に最適なお点法の稽古をしています。

旅箪笥は、その名前の通り旅先にも持ち歩ける
移動用に考案されたものです。

千利休が豊臣秀吉の小田原の陣に従った際に
考案したといわれています。

茶箱とは異なり、柄杓が入るようになっており
野点で手取り釜に合わせたり
また携帯用としてだけでなく、小ぶりな風炉釜で、
楽しむ夏の気軽なお茶にもよく合います。

差し蓋となっている戸の裏には、短冊が挟めるように
なっており、時候の歌などを入れて、席中で
楽しむことができます。

6月 29日 (月) 夏越(なごし)の祓

2015-6-29 UP

6月 29日 (月) 夏越(なごし)の祓

風そよぐ ならの小川の夕暮れは

みそぎぞ夏の しるしなりける

新勅撰集 藤原家隆

ご機嫌よろしゅうございます。
明日は6月30日 「夏越の祓」が行われます。

昔は一年を二つに分けて考えられていました。
大晦日が新年を迎えるための大切な日であるのと
同様に六月晦日も、神に一年の前半の無事を感謝し、
後半年の無事を祈るための物忌みの日、
祓いの日と考えられていました。

その神事の一つ、茅の輪くぐりについては
昨年ご紹介しましたが、
もうひとつ知られているのは
川原などで水により身を清め、罪や穢れを
払い落とすものです。

旧暦でいえばすでに秋の気配も濃くなり
涼しい風の吹いてくる晩夏の夕暮れの神事。

冒頭の歌は家隆が、上賀茂神社での夏越の祓の
情景を歌ったものです。

風が楢の葉に吹きそよぐ、このならの小川の
夕暮れは、みそぎの行事だけが夏であることの
しるしなのだなあ。

夏の終わりを感じる夕暮れの情感を感じられます。

現代では梅雨時で、夏もこれからというところ
季節感にずれはありますが、
明日は一年の半年が無事に過ごせたことを
感謝し、先の半年について想いを巡らせてはいかがでしょうか ?

6月26日(金)遠州公所縁の地を巡って

2015-6-26 UP

6月26日(金)遠州公所縁の地を巡って
「道の記 」(2)

ご機嫌 よろしゅうございます。
今日は道の記の始まりの内容をご紹介します。

道の記は9月22日
午時許(うまのときばかり)、今で言うと
午後12時から2時にかけて
江戸駿河台の屋敷を出発するところから始まります。

午後4時から6時頃品川を通過
午後6時から8時に神奈川の宿に到着

駿河台から品川まで約9キロ
品川から神奈川まで約20キロ
計29キロを約六時間かけて歩いています。

この日は鶏の鳴き声を聞くまで夜を明かし、

日数経ば 末は都や 近からむ
別物うき 昨日今日かな

と、江戸をたち、別れを惜しみつつ
懐かしい京都へ向かう喜びと不安
これから始まる旅への想いを歌にしています。

6月 24日(水)遠州流茶道の点法

2015-6-24 UP

6月 24日(水)遠州流茶道の点法
「名水点(めいすいだて)」

ご機嫌よろしゅうございます。

梅雨があけるといよいよ夏本番。
暑さも厳しくなってきますね。

今日は通常のお稽古としては
あまり致しませんが、
お招きを受けた時に役立つ心得として
知っておきたい、「名水点」についてご紹介します。

いわゆる名水と呼ばれる水を用意した際
名水点というお点法でお茶をお点することがあります。

おいしいお茶を点てるためには、
おいしい水が必要。
昔から名水と名高い水が茶の湯のために求められ、
使われてきました。
京都では盆地という地形故に地下水も豊富で
醒ヶ井など有名な名水がいくつも存在しました。

大体夏に行われることが多いお点法で
その際には水指に葉蓋をして、名水点ということが
最初からわかるようにします。

お客様は心得として、お茶をいただいた後
「今一服如何ですか?」
と尋ねられたら
「お茶は十分頂戴しました。
お白湯をお願い致します。」
と、お白湯を所望します。

せっかくご用意いただいた名水ですので
そちらをいただくことが、お客様の礼儀というわけです。

6月 22日(月)夏至

2015-6-22 UP

6月 22日(月)夏至

夏の夜はまだ宵ながら明けぬるを

雲のいづこに月やどるらむ

古今集 清原深養父(ふかやぶ)

ご機嫌よろしゅうございます。

今日は二十四節気の夏至にあたります。
一年で最も昼が長い一日。
つまり、夜が短い一日でもあります。
冬至と比較すると、昼間の時間差は4時間以上
にもなります。

「秋の夜長」に対して「夏の短夜」
とも表される夏の夜ですが、
その「短夜」を美しく歌ったのが
この歌です。

夏の夜は短くて、まだ宵と思っているうちに
明け方になってしまったけれど、
これでは月は一体雲のどのあたりに
宿をとるのだろう

歌の前に「月のおもしろかりける夜、暁がたによめる」
という詞書があります。
短夜にあっという間に見えなくなってしまった、美しい月
その月の名残を惜しんで深養父が詠んだ歌です。

深養父は平安時代中期の歌人で曾孫は清少納言です。

秋の月と比べて、あまり意識されることも
ありませんが、こんな夏らしい趣のある月
を愛でるのもよいものですね。

6月 19日(金)遠州公所縁の地を巡って「道の記」その1

2015-6-19 UP

6月 19日(金)遠州公所縁の地を巡って
「道の記」その1

ご機嫌よろしゅうございます。

元和七年(1621)四十三歳の折、
江戸から京都への道中を記した旅日記が残っています。
まだ人々が自由に旅を楽しむことができなかった時代。
遠州公は公務のため江戸をたち、京都へ戻ります。

9月22日に江戸を出発、
10月4日に京都へ到着するまでの12泊13日の
様子を、和歌や詩を交え書き記しています。

道のりにして500キロ
東京から京都まで、新幹線に乗れば3時間かからない
現在に比べると、時間ははるかにかかります。
大変なことも多かったことと思いますが
四季の移り変わりを直接に感じ、
道みちの様子を眺めながら、そして知己との交流
を深めながらゆっくりと進む当時の旅は、
とても楽しそうです。

この旅日記は各大名から書院飾りとして求められた
りしたようで、二代目大善宗慶、権十郎蓬雪、
三男十左衛門正貴などが、父である遠州公の旅日記を
書写しています。

来週はその一部を紹介します。