6月 20日(月)6月の花嫁
結婚とお茶
ご機嫌よろしゅうございます。
6月に入り、雨の多い季節となりました。
お天気が崩れることが多く、気分も
晴れないこの時期ですが
ジューンブライドという言葉もよく
聞かれるように結婚にとっても
よい時期とも考えられています。
この結婚に際して、北九州などでは結納の品として
お茶を用意することがあるようです。
これには理由がありまして、茶の木は植え替えが
しにくいことから、嫁入り先にしっかり根づくように、
という願いが込められているのだそうです。
またおもしろいことに、中身のお茶は
あまり上等でないものが選ばれます。
結婚に「出る」という言葉は禁句のためよく
「出る」お茶はあえて贈らないのだそうです。
6月 17日(金)能と茶の湯
「金剛裂」
ご機嫌よろしゅうございます。
今日は能に所縁の深い裂地のご紹介を
致します。
黄・白・浅緑などの八色の縦縞の地全面に、
菱の模様をおりこみ、金の色を抑えながらも
瀟洒で高雅な趣を醸し出しているのが
「金剛裂」です。
この裂は、能楽師の金剛太夫が大坂城中での
会に招かれ豊富秀吉から引出物として
賜ったと伝えられています。
金剛座のもとは、古くは鎌倉期法隆寺に奉仕していました。
能装束が縫箔や唐織の華美なものになるのは
この頃からで、そいれ以前は武家の日常衣服の狩衣
水干、小袖を用いており、それを演技の褒賞に与える
ことが恒例となっていました。
これが応仁の乱の後、能の様式化、
衣装の特殊化が進んでいきます。
この金剛裂は大名物「種村肩衝茶入」や、「槍の鞘茶入」
中興名物「金華山鷹羽屋」「玉川」本歌などの仕覆に
用いられています。
卍や雲鳥模様などがみられるものは、この裂の反物の
織留部分を好んで多く使われたことによります。
6月 10日 (金)能と茶の湯
「羽衣」
ご機嫌よろしゅうございます。
先週は「羽衣」のあらすじをご紹介しました。
今日は「羽衣」を銘にもつ志野茶碗をご紹介します。
志野の名碗「羽衣」は
正面に見える強い焦げがあり、
見る者全ての目をひきつけます。
高台は荒々しく、暴れていて特徴的です。
今に伝わる志野茶碗の中でも特に印象的で力強い茶碗です。
志野は桃山時代を代表する美濃焼の一つです。
艾土(もぐさつち)と呼ばれる白い土に長石釉(志野釉)
を厚めにかけて作られます。
釉の下に鬼板と呼ばれる顔料で文様を描き焼成すると
条件によって黒や赤、鼠色、褐色に変化します。
内側に一筆ふわっと引かれた線があり、これを
天に舞う天女の羽衣に見立てられたことからの
銘とされています。
5月30日(月)ほととぎす
ご機嫌よろしゅうございます。
先週御紹介しました小倉色紙が登場する
こんな逸話がありますので、御紹介します。
聚楽第にて関白秀次が、
利休をはじめとする客を招いた時のこと
時は四月二十一日、暁の頃茶室には短檠の明かりもなく、
ただ釜の煮え音ばかりが聞こえるだけ
さて一体どういった御作意でろうと思っていると
利休の後ろにある障子が、ほのぼのと赤くなっていく
不思議に思って障子を開けると
月影が床の間を照らしている。
にじり寄って見てみると
ほととぎす鳴きつる方をながむれば
ただ有明の月ぞ残れる
の小倉色紙の掛け物がかかっていました。
なんと素晴らしい御作意であろうと
皆感嘆したのだそうです。
5月 27日(金)能と茶の湯
「大会(だいえ)」
ご機嫌よろしゅうございます。
先週は「大会」のあらすじをご紹介しました。
今日はこの「大会」という銘の竹花入をご紹介します。
遠州流では、例年正月にお家元が青竹を自ら切り花入とします。
青竹の清々しさと、綺麗さびの瀟洒な美意識が表された
姿の花入とは対照的に、この「大会」は、
どっしりとした根付きの迫力ある花入です。
豊臣秀吉作、利休所持の由緒を持ちます。
「大会」とは大規模な法会、大法会の意味を表す言葉です。
禁中での能・狂言の会を含め、秀吉は「大会」を六度演じています。
スペクタクルな視覚的にも楽しめる内容の能で、
天狗扮する釈迦説法の荘厳な大会の光景が
目の前に広がるような姿の花入です。
5月 23日(月)ほととぎす
ほととぎす鳴きつる方を眺むれば
ただ有明の月ぞ残れる
ご機嫌よろしゅうございます。
初夏の訪れを知らせるものに、ほととぎすが挙げられます。
平安の時代、貴族の間ではほととぎすの第一声である
「初音」を聴くのがもてはやされました。
山鳥の中で朝一番に鳴くといわれるほととぎすの声を
なんとか聴こうと、夜を明かして待つこともあったようです。
先ほどの歌は百人一首、後徳大寺左大臣、藤原実定の歌です。
訳
ほととぎすが鳴いたその方角を眺めやると、
そこにはただ明け方の月が暁の空に残るばかりだ。
実定は定家の従兄弟に当たる人物で、
詩歌管弦に非常に優れた人物でした。
祖父も徳大寺左大臣と称されたので、
区別するため後徳大寺左大臣と呼ばれます。
実定も夜を徹して初音を待っていたのでしょうか。
一瞬のほととぎすの声に、はっと目をやるとそこに姿はなく、
夜明けの空にうつる月の明かりだけがみえる
聴覚世界と視覚的世界を美しく詠み込んだ歌です。
5月 20日(金)能と茶の湯「大会(だいえ)」
ご機嫌よろしゅうございます。
十五日は七十二候の「竹笋生(たけのこしょうず)」でした。
またこの季節に「筍流し」という夏の季語として使われる言葉があります。
「たけのこ」が生える頃に吹く、雨を伴いやすい南風のことを表します。
竹の花入で能に所縁のあるものに「大会」があります。
今日はこの「大会」をご紹介します。
ある日比叡山で修行していた僧のもとに、一人の山伏が訪れ、
以前命を助けられた者だと言って礼を述べます。
この山伏、かつて僧が京童達にいじめられていたのを
助けた鳶(とび)でした。(この鳶は実は天狗)
釈迦が法華経を説いた時の様子を自分の目で見たいとの
僧の願いを、山伏は「叶えるが、信心を起こしてはならぬ」と言い、
僧の目前で釈迦に扮して再現します。
僧は先刻の約束を忘れて思わず信心を起こしてしまい
天から帝釈天が現れ、信心深い僧を幻惑したとして大天狗を責め立てます。
もとの姿に戻った天狗は、帝釈天に対して平謝りし逃げ帰っていきました。
5月16日(月)茶摘み
ご機嫌よろしゅうございます。
茶摘みの目安となる八十八夜は
立春から数えて八十八日目と言われ、
今年は5月1日でした。
しかしこの頃に摘まれるのは露地茶園の煎茶で、
抹茶にされる覆下茶園の茶摘みは
被覆効果が十分にあらわれ緑の濃いお茶になるのが
時期的に言うと5月の中旬。
ちょうど今頃から、摘み始めの時期になります。
さてこのお抹茶ですが、従来の製法を変えて、
古田織部は青みの強いお茶を好み、
これを「青茶」と呼ぶようになりました。
但し、青茶は色が綺麗ですが味にはやや難があった
と言われていました。
対して、弟子である遠州公が好んだのは
従来の製法の「白茶」でした。そのことから、
遠州公は好みのお茶に銘をつける際には
「白」の字をつけて青茶と区別したといわれています。
また茶銘には「昔」の字が使われていることが多い
ですが、これは遠州公が昔の製法に戻したという
事に起因しているという説があります。
そして「初昔」「後昔」は当時の茶師が筆頭のお茶の銘としていた、
由緒ある銘となりました。
それ以降、優れた品質の濃茶には「昔」の文字を
使うようになっていったと考えられています。
5月 13日(金)能と茶の湯「二人静」その二
ご機嫌よろしゅうございます。
先週は能曲「二人静」を御紹介しました。
今日はその「二人静」にちなんだ裂地を御紹介します。
足利義政が「二人静」を舞った際
紫地に鳳凰の丸紋の金襴の衣装をまとったことから、
この文様を『二人静金襴』とよぶようになったと伝えられ、
大名物「北野肩衝茶入」や「浅茅肩衝茶入」の
仕覆に用いられています。
ちなみに、能では「ふたりしずか」と読まれますが
裂では「ににんしずか」と読むのが通例となっています。