お家元華甲記念茶会

2016-9-17 UP

9月 17日(土)お家元華甲記念茶会
ご機嫌よろしゅうございます。今日9月17日は宗実お家元の誕生日です。満60歳を目出度く迎えられ東京支部による記念茶会が催されます。平成十三年に家元を継承されて以来、全国の門人の指導、海外への文化交流など精力的に活躍されてきました。茶道以外でも未来を担う子供達への指導にも力を注がれています。今年のベストファーザー賞も受賞、昨年の9月にはQVC千葉ロッテマリーンズVSオリックスの始球式をおこない、ミスインターナショナル世界大会の審査員も今年で3年連続努めておられます。ご多忙な日々の中にあっても、御家族との時間を大切にされ、また門人一人一人の声に丁寧に耳を傾けられるお姿は、我々遠州流茶道を学ぶ者に日々の日常をいかに過ごすか、己の進むべき道を物言わず示してくださっているように感じます。これからも益々のご健勝、ご活躍を期待しますとともに、私ども門人に御指導願い申し上げます。

9月 5日 宗家道場の床の間拝見

2016-9-5 UP

imagepng9月 5日 宗家道場の床の間拝見

ご機嫌よろしゅうございます。

今年の夏は梅雨が長く、天候も不順な日が

多かったような気がしますが、

次第に秋の気配がしてきました。

さて、今月の床の間です。

床 紅心宗慶宗匠筆 掬水月在手

花 被綿菊

花入 手桶

今月の掛物は唐の詩人・于良史の詩で、

「花を弄すれば香衣に満つ」と対句になります。

「水を両手で掬うと、その水に月が映り、

花を手折れば花の香が衣服いっぱいに染み込む」

という意味です。

大徳寺・妙心寺派の禅の直系の祖である、

虚堂智愚禅師が、この句を禅的に解釈して、

提唱に使った為、禅語として愛誦されるようになりました。

花は重陽の節句にちなみまして、被綿菊を飾っています。

こちらは以前ご紹介しましたので、

2014年9月9日のメルマガをご参照下さい。

8月 29日(月) 城下町新発田まつり

2016-8-29 UP

8月 29日(月) 城下町新発田まつり

ご機嫌よろしゅうございます。

毎年8月27日から29日まで新潟で開催される
城下町新発田まつりは、江戸時代から続く新発田市
最大の祭りです。中でも祭りの華である新発田台輪は、
1726年(享保11年)頃に6代新発田藩藩主溝口直治が
祭の賑わいを出すため飾り人形の屋台を出すようにと
のおふれを出されたのが始まりと言われています。

6町内が競って繰り出す豪華な台輪は、6町内で
約280年前より大切に伝承されており、山車や法被や
振る舞いにも各々独自で、とりわけ「帰り台輪」は、
男衆が熱い心意気をぶつけ合い街中に台輪を曳きだし、
その勇壮さは多くの観光客を魅了します。

この新発田藩溝口家も代々茶の湯に親しんでおり、
四代重雄の代には小堀遠州四男十左衛門(1639-1704)
との交渉が確認できる資料が残っています。
また重雄は、小堀家の事情により遠州所持の道具五種を
入手するのですが、
この溝口家と小堀家との詳しい関係は、10月10日(月)
の秋季講演会において詳しいお話を聞く事ができます。
ご興味のある方は小堀遠州顕彰会までご連絡下さい。kenshokai@enshuryu.com

8月 22日(月)南瓜 (かぼちゃ)

2016-8-22 UP

8月 22日(月)南瓜 (かぼちゃ)

ご機嫌よろしゅうございます。
明日23日は二十四節気の「処暑(しょしょ)」
にあたります。
この「処暑」は暑さが止まるという意味で
残暑厳しい日は続いていますが、次第に
朝夕の風に初秋を感じられるようになって
きます。

夏の暑さで体力も落ちているこの時期に
食べるとよい野菜の一つが南瓜。
冬至が有名なので、冬野菜と思いがちですが
実は南瓜の旬は夏なのです。
デンプン質が多めで疲れがとれ、
またビタミンAやCなどのビタミンも豊富
またキュウリなどと同様に瓜科なので、
暑さで弱った体の熱を取ってくれるのだとか。
夏バテ防止、食欲増進が期待できます。

ホクホクの甘い南瓜で、夏の疲れが和らぎます。

8月1日(月)宗家道場の床の間拝見

2016-8-1 UP

8月1日(月)宗家道場の床の間拝見

ご機嫌よろしゅうございます。
今日から8月に入りました。
8月の異名は葉月
一説に木の葉が紅葉して落ちる月「葉落ち月」から
由来するといわれています。
旧暦では1ヶ月ほど隔たりがありますので、
現在の8月のこの暑さからはまだ実感がわきません。

さて、今月の宗家道場の床の間です。

床 宗中正優公筆 其心庵宗明師加筆
素瀧絵賛

花  蝦夷透百合 桔梗 九蓋草 虎の尾
河原撫子 水引 矢筈芒
花入 古銅 釣舟

この掛物は宗家に伝わる宗中公が書かれた瀧の絵に
後年、宗明宗匠が岩を加筆し、好みの表装をされた
ものです。自然の厳しさと、神秘的で引き込まれる
ような温かさを感じさせてくれます。
宗明宗匠が書き加えた岩角を打って流れ落ちる水は
夏の涼しさを感じさせます。
素瀧

7月 25日(月)夏の茶の湯

2016-7-25 UP

7月 25日(月)夏の茶の湯

ご機嫌よろしゅうございます。
暑さ厳しき折、茶の湯では涼を得る様々な
工夫があります。
木地の肌に水を打った釣瓶の水指や建水
青々とした竹の蓋置、こういったものを
茶の湯に用いて清々しさを取り入れ、
楽しみます。

『山上宗二記』には「釣瓶 面桶、竹の蓋置、この三色、紹鷗好み出だされ候」とも記されています。

また『長闇堂記』には風呂のあがり屋で開いた

夏の茶に、紹鷗がこれらを用いたと記されています。
当時は湯船につかるのではなく、蒸し風呂で汗を流し
ていました。夏の暑い日はこの蒸し風呂が何よりの
ご馳走であったようです。
そして、水をかぶった後に体を休める場所が「あがり屋」
ここで紹鷗が曲げの道具を用いたということになります。
風呂の湯気の影響も考えて漆を避けたということも
考えられ、また釣瓶や曲物は本来風呂場の道具
であったので、夏の風呂を連想する趣向で
涼を感じ、楽しんだのではないかと考えられています。

7月 18日(月)遠州公の茶の湯

2016-7-18 UP

7月 18日(月)遠州公の茶の湯 ご機嫌よろしゅうございます。 先週金曜日は「関寺小町」のご紹介をしました。 この謡の中で小町は、詠歌は風雅の心である と語り、 わびぬれば身を浮き草の根を絶えて 誘う人あらばいなんとぞ思う この歌は自分の歌であると話します。 これは文屋康秀が三河(愛知県)の国司の役人になっ たので、今度私の任国を視察においでになりませんか と誘われた際、小町が送った返事の歌です。 遠州公はこの歌を本歌取りして、 佗びすきは身を浮き草の根を絶えて さそふ人あらば いはんとぞ思う と、歌ったように、これまで閉鎖的だった 茶の湯の一面を開放的な世界へと導き、 茶の湯を広く人々に伝えようとしました。 さて、今週の21日から24日にかけて、 今年も「教授者育成のための特別講習会」が 開かれます。多くの方に遠州流茶道を伝える 橋渡しとなるべく全国から教授者が集まり、 研鑽を積みます。

6月 20日(月)6月の花嫁

2016-6-20 UP

6月 20日(月)6月の花嫁
結婚とお茶

ご機嫌よろしゅうございます。

6月に入り、雨の多い季節となりました。
お天気が崩れることが多く、気分も
晴れないこの時期ですが
ジューンブライドという言葉もよく
聞かれるように結婚にとっても
よい時期とも考えられています。

この結婚に際して、北九州などでは結納の品として
お茶を用意することがあるようです。
これには理由がありまして、茶の木は植え替えが
しにくいことから、嫁入り先にしっかり根づくように、
という願いが込められているのだそうです。
またおもしろいことに、中身のお茶は
あまり上等でないものが選ばれます。
結婚に「出る」という言葉は禁句のためよく
「出る」お茶はあえて贈らないのだそうです。

6月 17日(金)能と茶の湯

2016-6-17 UP

6月 17日(金)能と茶の湯
「金剛裂」

ご機嫌よろしゅうございます。

今日は能に所縁の深い裂地のご紹介を
致します。
黄・白・浅緑などの八色の縦縞の地全面に、
菱の模様をおりこみ、金の色を抑えながらも
瀟洒で高雅な趣を醸し出しているのが
「金剛裂」です。
この裂は、能楽師の金剛太夫が大坂城中での
会に招かれ豊富秀吉から引出物として
賜ったと伝えられています。
金剛座のもとは、古くは鎌倉期法隆寺に奉仕していました。
能装束が縫箔や唐織の華美なものになるのは
この頃からで、そいれ以前は武家の日常衣服の狩衣
水干、小袖を用いており、それを演技の褒賞に与える
ことが恒例となっていました。
これが応仁の乱の後、能の様式化、
衣装の特殊化が進んでいきます。

この金剛裂は大名物「種村肩衝茶入」や、「槍の鞘茶入」
中興名物「金華山鷹羽屋」「玉川」本歌などの仕覆に
用いられています。
卍や雲鳥模様などがみられるものは、この裂の反物の
織留部分を好んで多く使われたことによります。

5月 23日(月)ほととぎす

2016-5-23 UP

5月 23日(月)ほととぎす

 

ほととぎす鳴きつる方を眺むれば

ただ有明の月ぞ残れる

 

ご機嫌よろしゅうございます。

初夏の訪れを知らせるものに、ほととぎすが挙げられます。

平安の時代、貴族の間ではほととぎすの第一声である

「初音」を聴くのがもてはやされました。

山鳥の中で朝一番に鳴くといわれるほととぎすの声を

なんとか聴こうと、夜を明かして待つこともあったようです。

先ほどの歌は百人一首、後徳大寺左大臣、藤原実定の歌です。

 

ほととぎすが鳴いたその方角を眺めやると、

そこにはただ明け方の月が暁の空に残るばかりだ。

 

実定は定家の従兄弟に当たる人物で、

詩歌管弦に非常に優れた人物でした。

祖父も徳大寺左大臣と称されたので、

区別するため後徳大寺左大臣と呼ばれます。

実定も夜を徹して初音を待っていたのでしょうか。

一瞬のほととぎすの声に、はっと目をやるとそこに姿はなく、

夜明けの空にうつる月の明かりだけがみえる

聴覚世界と視覚的世界を美しく詠み込んだ歌です。