第16回 秋季講演会のお知らせ 10/9(土)開催

2021-10-1 UP

ご機嫌よろしゅうございます。
今日は小堀遠州顕彰会の秋季講演会をご紹介します。

大老・酒井忠勝は将軍家光に最も信頼され、
100回以上も御成がありました。
同じころ遠州は、茶人としても官僚としても大活躍し、
「綺麗さびの茶」を広めました。忠勝は遠州を支援し、
孫娘を遠州の嫡男に嫁がせます。忠勝の矢来屋敷跡、
宗家のどちらにもほど近い牛込箪笥町の会場で、
二人の眤懇の交わりについて解説していただきます。

【講師】深谷信子氏(茶道史研究家・文学博士)

【日時】令和3年10月9日(土)13:00~15:00
    ※12:30より受付開始

【会場】牛込箪笥区民ホール(新宿区箪笥町15番地)

【会費】顕彰会会員:無料/一般 3,000円

【定員】188名(先着順)

【お問合せ】公益財団法人小堀遠州顕彰会事務局
〒162-0827 東京都新宿区若宮町26 
TEL03-3260-1208 FAX03-3260-3510

※会場座席数の50%を定員とし、感染症対策を講じて開催する予定です。
※新型コロナウイルス感染症の拡大等により、中止または会場・内容の変更などの可能性がございます。ホームページにて最新の情報のご確認をお願い申し上げます。

東海道旅日記「下りの記」  10月12日 訳文

2021-9-17 UP

12日
なんという山かと問うても、霧が立ち込め
どこともわからず、言葉もない。
吉田の城主は古くからの知り合いなので、
手紙を送る。
二かわの里に寄って白須賀の里で休憩し、
さらに新居の渡し船を経て前坂という場所に一泊。
この入海は浜名の橋に続くところである。
古歌にも

 かぜわたる 濱なの橋の ゆふしほに

 さされてのぼる あまのつりふね

と歌われている。
ふるさとを思い出し、さしてうまくもない歌を
詠んでみようという気分になった。

俄に風が激しくなり、雷もひどくなった。
海面が光り、波の音が枕を動かし、時雨は
旅の床をひたひたと迫ってくる心地がする。
伴っている童共が怖がって騒がしく、
ここはどこなの?などと眠れずに騒いでいる。
風はなおも激しいが、時雨の中浮かぶ雲を
吹き払って月の光が冴えわたっている。

東海道旅日記「下りの記」 10月11日 訳文

2021-9-10 UP

11日 

熱田を夜深くに出発。

鳴海にはところどころに干潟が残り、

海面に月の映る様子は、「田毎の月」

のように美しく思われた。

けれども調子が悪いので駕籠にのる。

うとうとと夢を見ているうちに尾張の

さかい河を渡って夢からも覚める。

しばし休憩して三河の国の池鯉鮒(ちりう)

というところに到着した。

しばし休んでから、岡崎を過ぎて藤川に到着。

此処を夜更けに出発し二村へ。

イベントのお知らせ

2021-8-27 UP

ご機嫌よろしゅうございます。
8月28日(土)・29日(日)に、
和歌にまつわる上質な日本文化を体験できる
「わかまつり2021」が、B&C HALL 2F特設会場
(天王洲キャナルイースト内/品川区東品川2−1−3)
にて開催されます。
和歌の披講やかるたの実演などもあり、和歌を身近に
楽しく感じられるイベントが行われる予定です。
宗実家元・宗翔さんも、呈茶と茶の湯と和歌の関わり
についてのお話をする予定です。

詳細は下記をご覧ください。
prtimes.jp/main/html/rd/p/000000004.000062390.html

東海道旅日記「下りの記」 徳川義直

2021-8-6 UP

「上りの記」では、当時21歳の徳川義直に

手厚いもてなしを受けた様子が日記に記されていました。

この21年後の「下りの記」でも義直公の名が登場しています。

1600年生まれの義直公は名古屋城の完成の際に

御母堂と共に城に入り、御三家尾張徳川家の初代となります。

父家康公の遺徳を偲び、儒教を奨励し、

名君とうたわれていました。

家康の孫にあたる年の差四歳の家光とは時折、

衝突したようです。

この「下りの記」では義直公の母が一年前に亡くなり、

江戸から帰り法要を済ませ、その喪に服していることが、

宿の主から語られています。

オリンピック ソフトボールでご活躍の上野由岐子投手と小堀宗翔さんの記事がネットニュースに掲載されました

2021-7-25 UP

オリンピック ソフトボールでご活躍の
上野由岐子投手と小堀宗翔さんの記事が
ネットニュースに掲載されました。

▼茶道の師匠が見た上野由岐子の投球 
繊細で器用で丁寧で…
「わび」「さび」を感じる結構なお点前でした 
報知新聞社

news.yahoo.co.jp/articles/c75e3b1078efc48f87a62d87fbdd64e7b300492e

東海道旅日記「下りの記」 桑名城主

2021-7-23 UP

〇桑名城主

桑名の里に到着した遠州を,

桑名城主が出迎えています。

この年の桑名城主はこれまで本田忠政と

されてきましたが、松平定綱と改めます。

「月刊遠州」6月号でも松平定綱が紹介されており、

定綱にあてた遠州の消息などから

定綱と遠州の交友があったことがわかります。

定綱は、徳川家康の異父弟 松平定勝の3男で、

1635年から五万石の加増を受けて、

大垣藩から桑名藩にはいっています。

1万石からスタートした定綱は、

加増を希(こいねが)って11万石にまでなりますが、

それには改易された福島正則の家臣を

受け入れるためだったという話が語られています。

(ご興味ある方はこちらhttps://www.jacom.or.jp/column/2021/04/210424-50930.php)
先ほどご紹介しました通り、

定綱は同時代の文化人として知られた遠州をはじめ、

木下長嘯子や林羅山らと交流がありました。

遠州流が松平家の茶として代々継がれ、

寛政の改革で有名な松平定信の代まで伝えられました。

定綱と遠州の交友から、遠州流が松平家の茶として

代々継がれ、寛政の改革で有名な松平定信の代まで

伝えられました。

定信自身は遠州流を本にした

お家流を開いたという記録が残っています。

東海道旅日記「下りの記」その手は桑名の…

2021-7-16 UP

三重県桑名といえば、蛤の名産地です。

揖斐(いび)川、長良川、木曽川が伊勢湾に流れ込み、

川の水と伊勢湾の水が混じり合って

栄養豊富な水域となるため、

濃厚な旨味を持つ美味しい蛤が育ちます。

かつては殻付きの枯れた松葉や松笠を燃やしながら、

蛤を焼いたようです。

この焼き蛤は名物として、

伊勢参りに訪れた人々から全国にその名が

知れ渡ったと言われています。

この桑名の地名と蛤を合わせて

「その手は桑名の焼き蛤」

という洒落言葉が、江戸時代には

すでに使われていました。

やじさんきたさんの珍道中『東海道中膝栗毛』

のなかでも、二人が桑名でこの焼き蛤を肴に

酒を楽しんでいる様子が描かれています。

ちなみに、蛤の旬は春先のようですが、

桑名のはまぐりの旬は初夏から夏場の8月頃にかけて、

今がちょうど美味しい時期です。

東海道旅日記「下りの記」 10月10日 訳文

2021-7-2 UP

十日 暁の頃に出発し、桑名の里に着く。
城主(松平定綱)の出迎えを受けて、
しばらく休息し、語らう。
船着場から船頭の声がして
「潮が満ちた!追い風だ!」
というのを聞いて、申の上刻(17時前頃)、
城主に大急ぎで暇乞いをして船に乗る。
順風に帆を引き、船のゆく事
飛ぶ鳥のごときはやさである。
ある家の若者が詠んだ歌

ふねにのる 人の齢も追い風に
 いそげば申の おはりにぞつく

熱田の宿の主が出迎えて物語などし
ながら共に宿に向かい到着。
徳川義直公は大樹のごとき御慈非篤く、
世間の評判は言うまでもない。
御母堂は宗応院と号されていらっしゃる。
去る1614年の9月10日に亡くなられた。
ちょうど一周忌今日、法要を営まれるために
武蔵よりこの国にお帰りになって
物忌のお籠りになっていらっしゃると宿の主。
このことをお伝えして帰りますとのこと。

つねならぬ 世のならひこそ かなしけれ
 玉のうてなの 住いなれども

このように思いながら
宿に到着すると、時は丑の刻、真夜中になっていた。