芋茎(ずいき)

2014-9-30 UP

9月 30日 芋茎(ずいき)

ご機嫌よろしゅうございます。
今日はこの時期が旬の芋茎のお話を

芋が収穫される秋、その芋の茎である
芋茎も様々な調理法で頂きます。

この芋茎、平安時代には「いもし」と呼ばれていた
ようですが、「ずいき」と呼ばれるようになったのは
夢窓疎石の歌に由来するという説があります。

いもの葉に置く白露のたまらぬは
これや随喜の涙なるらん

随喜とは仏語で大いに喜ぶなどの意味があります。
芋の葉の上に溜まった雨露はしみ込まず、
大きな雫となって葉のふちから滴り落ちます。
これを神仏の恵みを喜ぶ感激の涙と捉えた歌です。

京都では「ずいき祭」とよばれる有名な北野天満宮の
お祭りが10月1日から行われます。
ずいきやその他の野菜で飾ったお神輿が加わり
その収穫に感謝します。

天の原(あまのはら)の歌

2014-9-29 UP

9月 29日 天の原(あまのはら)の歌

天の原ふりさけ見れば春日なる

三笠の山に出でし月かも

ご機嫌よろしゅうございます。

冒頭の和歌は、阿倍仲麻呂が遣唐使として渡った先で、
夜空に光る月を眺め、故郷奈良の三笠山にでていた
名月を想い出し詠んだ歌です。

この歌は茶の湯においても大変重要な歌です。

床の間には中国高僧の墨跡を掛けるが主流
であった当時において、武野紹鴎はその歌意が
気宇壮大で、墨跡にも相当するとして、
初めて床の間に、掛けられたとされる和歌です。

秀吉も、和歌の掛け物を初めて拝見し、利休に
その理由を問うと、

この歌の心は月一つで、世界国土を兼ねて詠んだもので
あるので、大燈国師、虚堂祖師の心にも
劣らないものであるので

と、秀吉に言上したと言われています。

如水と家康のエピソード

2014-9-28 UP

9月28日 如水と家康のエピソード

ご機嫌よろしゅうございます。
今日は日曜日。
官兵衛の時代のお話を。

如水は慶長五年(1600)の関ヶ原の役以後、
豊前に引退し、参禅の師を大徳寺の
春屋宗園に求めた頃から茶の湯を勢力的に
始めたようです。

家康とのエピソードとして面白いのは
黒田家に伝わる「南条」の茶壺です。

慶長六年(1601)の五月
家康が伏見城で宴会を催しました。
関ヶ原の役で活躍した大名が招かれ、その中に
如水の姿もありました。

ここに名物の茶壺が数個並べられ
家康は如水に、冗談半分に
「この中で他人の手を借りずに自分で持って帰れる
ものがあれば、どれなりとも差し上げよう」
と語りました。

すると如水はすっと立ち上がって
一番大きい「南条」の茶壺を自らの手で持ち帰った
ので、家康も如水の豪放さに驚嘆した
といわれています。

名物道具を拝見するには?

2014-9-27 UP

9月 27日 名物道具を拝見するには?

ご機嫌よろしゅうございます。
昨日は鷺の絵をご紹介しました。

そして遠州公が若干16歳でこの絵をみることが
できたこともお話ししました。

当時は美術館も展覧会もありません。
観たいと思う道具があったら、
その道具を持つ人の茶会に招待されなければ
みることは出来ないのです。

そして所有者も
この人なら見せてもいいなと思う人しか
呼ばないわけで、客には相応の知識と教養が必要
でした。

つまり、名物道具を拝見出来たということは
茶人として認められたという格を示すことにもなりました。

お金を出せば、いつでも博物館で名物道具を
拝見できる今とは違い
当時の茶人は常に真剣な気持ちで
名物道具と対峙していたのでしょう。

鷺(さぎ)の絵

2014-9-26 UP

9月 26日 鷺(さぎ)の絵

ご機嫌よろしゅうございます。

今日は鷺の絵のお話をいたします。

鷺の絵は、松屋三名物の一つです。
奈良の松屋は漆屋を称した塗り師の家で
その茶を村田珠光に学びました。
鷺の絵は、その侘びた珠光表具のすばらしさから、
利休が「数寄の極意」としたこともあって
名だたる茶人はこぞってこの絵を松屋に拝見にいきました。

遠州公の師、古田織部
は利休に「数寄の極意」をたずねたところ
利休は松屋の鷺の絵を挙げられ
翌日、織部は直ちに馬で奈良に向かい
その鷺の絵を拝見したというエピソードもあります。

遠州公の父、新介正次は当時松屋の茶会に赴いたり、
自宅の茶会に招くなど親交を深めていました。
遠州公は父に連れられて、文禄3年2月3日、16歳の時に
この絵を拝見しています。

残念ながら現在は焼失し、見ることはできません。

お萩とぼた餅

2014-9-25 UP

9月25日 お萩とぼた餅

ご機嫌よろしゅうございます。

お彼岸になると店先に並ぶ
お萩…ぼた餅とも言いますね。

モチ米とうるち米を捏ねた餅に
漉し餡をつけた「牡丹餅」は、
牡丹の咲く春のお彼岸に作られ、

粒餡の「おはぎ」には小豆の粒が萩の小さな
花を連想させるので秋のお彼岸に好んでつくられました。

これは小豆の収穫の時期にも関係があるようです。

秋のお彼岸は、小豆の収穫期とほぼ同じで、
とれたての柔らかい小豆をあんにすることができるため
柔らかい皮ごと入ったつぶあんができます。

春のお彼岸では、冬を越した小豆を使うので
皮は固くなっているため、これを取り除いた
小豆を使い、こしあんとするのだそうです。

秋の社日(しゃじつ)

2014-9-24 UP

9月 24日 秋の社日(しゃじつ)

ご機嫌よろしゅうございます。
今日は秋の「社日」にあたります。

「社日」とは、春分と秋分に最も近い戊(つちのえ)
の日に、大地の守護神をお祭りし収穫に感謝する日
とされています。

神様は春に山からやってきて、田畑の作物を
実らせ、秋の社日に帰っていくといわれているそうです。

この日は、神様の頭を掘ることになるので
土を耕すことは禁忌とされています。

もとは中国から入ってきた習慣のようですが、
日本の土地神様の信仰と融合して全国に広がり、
豊穣を祈願する節日になったといわれています。

作物を育てる方は、多くの手間と愛情を
注ぎ育てていく中、
目に見えない大きな力に助けられていることを
感じ、一年無事に収穫できることへの感謝を捧げます。

その大地の恵みをいただく私たちも、
育ててくださった方や、守ってくれた大地の神へ
感謝の気持ちを忘れずにいただきたいものです。

秋分の日

2014-9-23 UP

9月23日 秋分の日

ご機嫌よろしゅうございます。

今日は秋分の日、祝日です。

法律では
『祖先をうやまい、なくなった人々をしのぶ日』
となっています。

明治時代には秋季皇霊祭といって
歴代天皇、皇族の霊が祭られている三殿である
「皇霊殿」で行われるのが「皇霊祭」、
一般のお彼岸の先祖供養にあたる行事が
彼岸の中日に宮中で行われていました。
歴代の天皇のご供養を春と秋の2回にまとめて皇霊祭
として行われるようになったといわれています。

一般市民もこれに倣うようになり、
1948年には祝日として法律で制定されました。

今来むと…

2014-9-22 UP

9月22日 今来むと…

今来むと言ひしばかりに長月の
有明(ありあけ)の月を待ち出(い)でつるかな

ご機嫌よろしゅうございます。
秋のお彼岸となり、暑い夏も
ようやく終わりが見えてくる頃でしょうか。
普段は慌ただしい毎日ですが
月を眺めてゆっくり過ごす心のゆとりも
忘れたくないですね。

冒頭の歌は「古今集」所載・素性法師の恋歌です。

「今すぐに参ります」とあなたが言ったから、
9月の夜長をひたすら眠らずに待っていると
有明の月が出てきてしまいました。

有明の月は夜明けに現れる月
長い秋の夜の明け方、空が白々と

けるまで待っていたのに あの人は現れなかった…と少々さみしげな歌ですが

LINEやメールで瞬時に返信が返ってくる現代では
考えられないおだやかな時の流れと
その間に膨らむ期待と不安が
とても新鮮に、映ります。

如水茶訓

2014-9-21 UP

9月21日 如水茶訓

ご機嫌よろしゅうございます。
今日は日曜日。
軍師官兵衛の時代のお話を。

隠居して如水と名乗った官兵衛ですが、
秀吉の死後となる慶長四年(1599)の正月
茶の湯定書というものを発布しています。

一 茶を挽くときには、いかにも静かに廻し、
油断なく滞らぬように挽くべきこと

一 茶碗以下の茶道具には、
垢がつかないように度々洗っておくこと

一  釜の湯を一柄杓汲み取ったならば、
また水を一柄杓差し加えておくこと
決して使い捨てや飲み捨てにしてはならない

これらは利休流を守った教えであると記しています。

素朴で、華美なところは感じられず、
簡単なことのようでなかなか実践できない
そんな日常の心のあり方を、
如水は定書に記したのでした。