青嶋利陶インタビュー
2018-5-4 UP
志戸呂利陶窯の青嶋利陶さんのお話を伺います。
青嶋さんはいつお会いしても穏やかで、ご一緒する時はほっと空気が和やかになるような優しい雰囲気をお持ちの方です。青嶋さんはいつ頃から作陶をはじめられたのですか?
青嶋さん:父親の実家が静岡市で賎機焼という焼き物を家業としていたのでそこで27年前に習い初めました。その3年後に本多利陶先生に弟子入りして志戸呂焼をはじめました。
遠州公の指導のあった志戸呂で、ご先代宗慶宗匠や林屋晴三先生の指導もあり本多利陶先生が平成3年に金谷の地に利陶窯を作られたのですよね。遠州公が東海道の往来で、花器の指導をしたという話を聞いたことがありますが、その指導を受けた作品は残っているのでしょうか?
青嶋さん:当時大名が直接作陶の指導をするという事はあり得ないと思われるので花器の話は伝説的なものだと思います。

遠州公の時代から現在まで、志戸呂焼は瀟洒な茶陶を生み出しています。青嶋さんも宗実御家元のご指導を受けて遠州好みの作品を制作されていますね。御家元のご指導や他の作陶と違う点について教えてください。
青嶋さん:御家元のところに伺うと古いものをよく拝見させていただく機会があり、部分的に形や細工を変えてみる等の細かい点もご指導をいただけるのでとてもわかりやすく勉強になります。志戸呂焼は渋めの釉薬が多いので、遠州好みの端正な形や薄造りを心掛けて茶道具以外にも取り入れています。
利陶窯は志戸呂で唯一の登り窯と伺いました。登り窯の大変な点を教えてください。
青嶋さん:まずは燃料の赤松を確保することが難しくなってきました。利陶窯の周辺には無いので山梨県や長野県から運んで来ます。
赤松を燃料に焼かれているのですか。
青嶋さん:赤松は松やにが多く見られるように、樹脂が多いので火足が長く温度が上昇しやすいために焼き物ではよく使われています。杉や檜でも焼いた事はありますが、時間がかかるうえに作品の発色がよくありません。赤松は樹脂が多いためか煤(すす)が多く燻された感じで色に深みが出るように思います。2日かけて500点程の作品を焼くので登り窯を焼くのは年1~2回です。500点焼いても壊れるものが多いので完成品は僅かです。
作品が出来上がるまでには大変な苦労があるのですね。本日はありがとうございました。
