7月29日(金)能と茶の湯

2016-7-29 UP

7月29日(金)

能と茶の湯 「兼平」

ご機嫌よろしゅうございます。

今日は先週ご紹介しました香木「柴舟」 の銘の由来となりました謡曲

「兼平」の物語をご紹介します。 木曽に住む僧が、木曽義仲を弔うため、

近江国・粟津の原に向かいます。

琵琶湖の畔の矢橋浦に着くと、 柴を積んだ一艘の舟が通り過ぎ 世の業の、

憂きを身に積む柴船や、  焚かぬ前よりこがる覧 と歌われます。

この柴舟に乗せてもらい、僧は粟津を目指します。 船頭は僧に舟上で、このあたりの名所を教えます。

都の鬼門を守る比叡山の延暦寺、その来歴を きくうちにやがて粟津に到着します。

この粟津原は、木曽殿と今井四郎兼平の終焉の地。 懇ろに弔い野宿をしていた僧の前に、

甲冑を帯した兼平の霊が現れます。

先程僧を導いた船頭は自分であると明かし、 主君である木曽義仲の最期と、それを見届け、

壮絶な自害を遂げた自身兼平の様子を詳しく 物語るのでした。

尚、柴舟の香は 世の業の浮きを身につむ柴舟は 焚かぬさきよりこがれこそすれ の和歌からとられたというのが通説となっています。

7月8日 (金)能と茶の湯

2016-7-8 UP

7月8日 (金)能と茶の湯

「関寺小町」

 

ご機嫌よろしゅうございます。

昨晩は七夕

天の川はご覧になれましたでしょうか?

 

さて、先週ご紹介しました「関寺小町」は

老女物といわれるものの中でも最奥の曲と

され、なかなか上演されることはないのだそうです。

この「関寺小町」に関係の深い茶道具をご紹介します。

 

中興名物の伊部茶入「関寺」

青味を帯びた榎肌と、他面は赤味を帯びた

伊部釉とで片身替りをなしています。

茶入全体の佗しい景色を衰残の姿の小町

に重ねての銘と言われています。

舟橋某所持、細川越中守、三河岡崎藩主本多中務

に伝わり、明治初年松浦家に入りました。

7月8日 (金)能と茶の湯

2016-7-8 UP

7月8日 (金)能と茶の湯

「関寺小町」

 

ご機嫌よろしゅうございます。

昨晩は七夕

天の川はご覧になれましたでしょうか?

 

さて、先週ご紹介しました「関寺小町」は

老女物といわれるものの中でも最奥の曲と

され、なかなか上演されることはないのだそうです。

この「関寺小町」に関係の深い茶道具をご紹介します。

 

中興名物の伊部茶入「関寺」

青味を帯びた榎肌と、他面は赤味を帯びた

伊部釉とで片身替りをなしています。

茶入全体の佗しい景色を衰残の姿の小町

に重ねての銘と言われています。

舟橋某所持、細川越中守、三河岡崎藩主本多中務

に伝わり、明治初年松浦家に入りました。

7月1日 (金)能と茶の湯「関寺小町」

2016-7-1 UP

7月1日 (金)能と茶の湯「関寺小町」

ご機嫌よろしゅうございます。今日から7月に入りました。例年七夕の7月7日はまだ梅雨が明けきらない頃で、すっきりとしない星空に溜息がでることも。今日は七夕にちなんだ謡曲をご紹介します。「関寺小町」は、「檜垣」「姨捨」と並ぶ「三老女」の一つで、演じる者に最も高度な技術と精神性が必要といわれています。老いた小野小町は、江州関寺の山陰で小さな庵を結んで侘びしく暮らしていました。そこに国関寺の住僧が七月七日の七夕祭の日に、あたりの稚児たちを連れて小町を訪ね、歌道の物語を聞かせてほしいとお願いします。小町は断りますが、強いての僧の頼みをききいれ、歌道についての古いことなどをねんごろに語って聞かせます。寺では今宵は織女の祭が行われています。糸竹管弦、童舞の舞に小町の心も昔にかえりふらつきながらも舞を舞いつつ昔を偲んでいましたが、やがて夜明けと共に杖にすがりながら自分の庵に寂しく帰っていきます。

6月24日(金)能と茶の湯

2016-6-24 UP

6月24日(金)能と茶の湯
「今春金襴」

ご機嫌よろしゅうございます。
先週は「金剛裂」をご紹介しました。

今日ご紹介するのは「今春金襴」
これも豊富秀吉がシテ、家康がワキを
演じた大坂城中の能の会に招かれ
後見をつとめた今春太夫が、秀吉から
賜ったものと言われています。
今春は鎌倉期から興福寺春日社に
奉仕していました。

秀吉は大変な能好きで今春を習い、
三日間の天覧能に十四番も自分で舞ったり、
家康や前田利家と三人で狂言を演じた
と言われています。

この「今春金襴」は「金剛裂」より縞が細い
ものが多く、様々な金文が円形に配置されて
います。
茶入の仕覆としては、中興名物広沢手「秋の夜」
「皆ノ川」本歌、薩摩甫十「玉水」などがあります。

6月 17日(金)能と茶の湯

2016-6-17 UP

6月 17日(金)能と茶の湯
「金剛裂」

ご機嫌よろしゅうございます。

今日は能に所縁の深い裂地のご紹介を
致します。
黄・白・浅緑などの八色の縦縞の地全面に、
菱の模様をおりこみ、金の色を抑えながらも
瀟洒で高雅な趣を醸し出しているのが
「金剛裂」です。
この裂は、能楽師の金剛太夫が大坂城中での
会に招かれ豊富秀吉から引出物として
賜ったと伝えられています。
金剛座のもとは、古くは鎌倉期法隆寺に奉仕していました。
能装束が縫箔や唐織の華美なものになるのは
この頃からで、そいれ以前は武家の日常衣服の狩衣
水干、小袖を用いており、それを演技の褒賞に与える
ことが恒例となっていました。
これが応仁の乱の後、能の様式化、
衣装の特殊化が進んでいきます。

この金剛裂は大名物「種村肩衝茶入」や、「槍の鞘茶入」
中興名物「金華山鷹羽屋」「玉川」本歌などの仕覆に
用いられています。
卍や雲鳥模様などがみられるものは、この裂の反物の
織留部分を好んで多く使われたことによります。

6月 10日 (金)能と茶の湯

2016-6-10 UP

6月 10日 (金)能と茶の湯
「羽衣」

ご機嫌よろしゅうございます。

先週は「羽衣」のあらすじをご紹介しました。
今日は「羽衣」を銘にもつ志野茶碗をご紹介します。
志野の名碗「羽衣」は

正面に見える強い焦げがあり、
見る者全ての目をひきつけます。
高台は荒々しく、暴れていて特徴的です。
今に伝わる志野茶碗の中でも特に印象的で力強い茶碗です。
志野は桃山時代を代表する美濃焼の一つです。
艾土(もぐさつち)と呼ばれる白い土に長石釉(志野釉)
を厚めにかけて作られます。
釉の下に鬼板と呼ばれる顔料で文様を描き焼成すると
条件によって黒や赤、鼠色、褐色に変化します。

内側に一筆ふわっと引かれた線があり、これを
天に舞う天女の羽衣に見立てられたことからの
銘とされています。

6月3日(金)能と茶の湯

2016-6-3 UP

6月3日(金)能と茶の湯

「羽衣」
ご機嫌よろしゅうございます。
今日は能の中でも特に人気の高い「羽衣」
をご紹介します。
 
ある朝、三保の松原に住む漁師である白龍は
松の枝に掛かった美しい衣を見つけます。
家宝にするため持ち帰ろうとしたところ、
天女が現れ、その羽衣を返して欲しいと頼みます。
初めは返すつもりのなかった白龍でしたが
天女の嘆く様子を哀れんで、舞を舞ってくれるならば
返そうと言います。
羽衣を返したら、舞を舞わずに帰ってしまうだろう、
と疑う白龍に、天女は
「疑いは人間にあり、天に偽りなきものを」
と返します。この天女の言葉に感動し、
白龍は衣を返します。
 
羽衣を着た天女は、月世界の神秘と美しさ
さらには春の三保の松原を賛美しながら舞い、
やがて富士山へ舞い上がり消えていきました。
 
羽衣伝説は各地に伝わっており
古くは「丹後国風土記」などに見られます。

5月 27日(金)能と茶の湯

2016-5-27 UP

5月 27日(金)能と茶の湯

「大会(だいえ)」

 

ご機嫌よろしゅうございます。

先週は「大会」のあらすじをご紹介しました。

今日はこの「大会」という銘の竹花入をご紹介します。

遠州流では、例年正月にお家元が青竹を自ら切り花入とします。

青竹の清々しさと、綺麗さびの瀟洒な美意識が表された

姿の花入とは対照的に、この「大会」は、

どっしりとした根付きの迫力ある花入です。

豊臣秀吉作、利休所持の由緒を持ちます。

「大会」とは大規模な法会、大法会の意味を表す言葉です。

禁中での能・狂言の会を含め、秀吉は「大会」を六度演じています。

スペクタクルな視覚的にも楽しめる内容の能で、

天狗扮する釈迦説法の荘厳な大会の光景が

目の前に広がるような姿の花入です。

5月 20日(金) 能と茶の湯「大会(だいえ)」

2016-5-20 UP

5月 20日(金)能と茶の湯「大会(だいえ)」

ご機嫌よろしゅうございます。

十五日は七十二候の「竹笋生(たけのこしょうず)」でした。

またこの季節に「筍流し」という夏の季語として使われる言葉があります。

「たけのこ」が生える頃に吹く、雨を伴いやすい南風のことを表します。

竹の花入で能に所縁のあるものに「大会」があります。

今日はこの「大会」をご紹介します。

 

ある日比叡山で修行していた僧のもとに、一人の山伏が訪れ、

以前命を助けられた者だと言って礼を述べます。

この山伏、かつて僧が京童達にいじめられていたのを

助けた鳶(とび)でした。(この鳶は実は天狗)

釈迦が法華経を説いた時の様子を自分の目で見たいとの

僧の願いを、山伏は「叶えるが、信心を起こしてはならぬ」と言い、

僧の目前で釈迦に扮して再現します。

僧は先刻の約束を忘れて思わず信心を起こしてしまい

天から帝釈天が現れ、信心深い僧を幻惑したとして大天狗を責め立てます。

もとの姿に戻った天狗は、帝釈天に対して平謝りし逃げ帰っていきました。