小満(しょうまん)

2014-5-21 UP

5月21日 小満(しょうまん)

ご機嫌よろしゅうございます。
本日は24節気の小満にあたります。

立夏ら数えて15日目頃をさし、
この時期を麦秋ともいうように
秋に蒔いた麦の穂がつく頃です。

農耕を生業とした時代には、作物の収穫は生命線です。
今年も順調でよかった。
と満足したことから小満と言う名前が付いたとか
万物が次第に長じて天地に満ち始めることから
小満と言われる
など諸説あるようです。

また、はしり梅雨と言われる雨が降り始めます。
これは本格的な梅雨に入る前の、ぐずつく天候のことで
この後晴れた日が続き、その後本格的な梅雨に入ります。
「梅雨の走り」ともいいます。

あやめとかきつばた

2014-5-20 UP

5月20日 あやめとかきつばた

ご機嫌よろしゅうございます。
今日は「燕子花」の花のお話を。

いづれあやめかかきつばた

物の区別がつかないことの例えとして用いられる
言葉の通り、一見すると
「あやめ」と「かきつばた」の見分けは難しいですね。

葉の形で言えば
葉の幅がやや広いのが「かきつばた」

花を見れば
花の中側に黄色と紫の虎斑模様があるのが「あやめ」
で「かきつばた」にはそれがなく、黄色だけ
というところで見分けがつきます。

宗実御家元は五月になると好んで用いています。
映画「父は家元」の花を入れるシーンは記憶に新しいところです。

燕子花(かきつばた)

2014-5-19 UP

5月19日 燕子花(かきつばた)

ご機嫌よろしゅうございます。
初夏に咲く花といえば
燕子花が思い浮かびます。

そしてかきつばたといえば
この和歌が浮かぶのではないでしょうか?

からころも
きつつなれにし
つましあれば
はるばるきぬる
たびをしぞおもふ

歌の頭に
「かきつばた」と詠みこまれたこの和歌は
伊勢物語「東下り」の有名な和歌です。

失意の主人公が、東国で再出発しようと思い立ち
数人の連れと京から離れ、はるばる旅を続けます。
途中三河の八つ橋というところに行きつき、
かきつばたが大変美しく咲いていました。

着慣れた唐衣のように慣れ親しんだ妻が
(京には)いるにもかかわらず、
はるばる旅をしてきたことよ

と詠むと、皆さめざめと泣き
その涙でもっていた干飯(かれいい・携帯用のご飯)
がふやけてしまったよというおちもあり、
泣かせながら、ほんの少し笑わせます。

この物語は後に人々に広く受け入れられ
尾形光琳の燕子花図屏風など様々な絵画のモチーフとして
好んで使われました。

遠州公の茶の湯

2014-5-18 UP

5月 18日遠州公の茶の湯

ご機嫌よろしゅうございます。
本日は遠州公が茶の湯を始めたころの
お話を。

十五歳頃に大徳寺春屋宗園禅師に参禅し、
修行を積みながら
古田織部のもとで茶の湯を本格的に学んで行きます。

遠州公が十八歳の時に
「洞水門(どうすいもん)」を考案しました。
これは現在水琴窟と呼ばれているものの原形と言われています。

茶室に入る前には手と口を
蹲(つくばい)で清めます。

当時の蹲は水はけが悪く、
何度か使用すると、周りに水が溜まってしまい
大変使いにくいものでした。

これを若干十八歳の遠州公が
この蹲の地下に瓶を仕込み、
水滴が瓶の中に落ちる時に、水はけをよくし、
美しい反響音がする仕組みを考案しました。

遠州公の茶の湯の師であった
古田織部も遠州公の才に大変驚いたと
言われています。

遠州公の愛した茶入「下面(しためん)」

2014-5-17 UP

5月17日 遠州公の愛した茶入「下面(しためん)」

ご機嫌よろしゅうございます。
本日は遠州蔵帳所載の茶入「下面」を
ご紹介します。

昨日遠州好みの面取についてお話ししました。
この茶入はその好みがもっともよく表れたもので
その形状から遠州公が命銘したと思われます。
書籍等でご覧になったことのある方も多いかと思います。

高取焼きは遠州公指導の窯の一つで
遠州高取とも呼ばれます。

この茶入は、その遠州高取の絶頂期である
白旗山窯(寛永七年・1630)
のときに作られたものとされています。

遠州公の茶会記に高取焼茶入が初めて登場するのが
寛永五年(1628)4月23日で、同じ年に6回
寛永十年(1633)に1回、寛永十九年(1642)に2回
合わせて約九回使用したことが確認できます。

このうちこの下面が使用されたと考えられるのは
寛永十年以降と思われます。

遠州公以来小堀家歴代に伝わる茶入です。

遠州好み 「面取(めんとり)」

2014-5-16 UP

茶入れ

5月 16日  遠州好み 「面取(めんとり)」

ご機嫌よろしゅうございます。
今日は遠州公の好んだ形を一つご紹介します。

遠州公の代表的な好みの一つが「面取(めんとり」です。
きっぱりと面を取ったシャープなラインが特徴で
今の時代にみてもモダンにうつります

この特徴は特に茶入と茶碗に多いものです。
茶入には高取「下面」があります。
寛永の始め頃、九州高取の白旗山に窯を築かせ
そこでできたものです。
茶碗で有名なものには
三井文庫蔵の遠州書付「面」があります。

もともとこの面取りという意匠は瀬戸の茶入
真中古窯(瀬戸の茶入の分類名)にあるもので
遠州公の好みとするものとして、中興名物にも選ばれています。

他に薩摩焼やオランダで焼かれた茶碗にも下面の
意匠を用いています。
また茶碗茶入以外にも
釜や薄茶器、水指などに面取が見られます。

明日は遠州蔵帳所載の「下面」をご紹介します。

村田珠光

2014-5-15 UP

5月15日 村田珠光(むらたしゅこう)

ご機嫌よろしゅうございます。
今日5月15日は村田珠光の命日です。

珠光は応永三十年(1423)に生まれ、文亀二年(1502)の
5月15日に亡くなったといわれています。

少年のころ奈良の称名寺に入り出家
その後30歳の頃に大徳寺の一休和尚に参禅します。

月も雲間のなきは嫌にて候
藁屋に名馬繋ぎたるがよし
など
「冷え枯るる」精神を茶の湯に吹き込み
侘び茶の創始ともいわれています。

それまでは部屋に茶道具を飾り、別の部屋でお茶を点てて
運んでいた茶室が、珠光によって
主客同座となり、床の間に墨跡を掛け、
禅の精神で茶を喫する場に変わっていきます。

珠光という号は剃髪し僧となってからの号なので
俗名である村田と並べて呼ぶのは本来おかしいのですが
現在では、村田珠光と呼ぶのが通例となっています。

卯の花腐し(うのはなくたし)

2014-5-14 UP

5月 14日  卯の花腐し(うのはなくたし)

旧暦四月の異名は卯月といいますが
卯は卯の花(うつぎ)のことで
その頃降り続く長雨のことを
「卯の花腐し」といいます。
卯の花を腐らせるような雨という意味からついた名称です。
適度な湿気は花の美しさを引き立てますが
しばらく雨が続くとクタクタになってしまいます。

和歌では万葉集からこの言葉が見られ、
それほど多くはありませんが近世まで
詠まれ続けました。

卯の花を 腐す霖雨(ながめ)の始水(みづはな)に
寄る木屑(こつみ)なす 寄らむ児もがも
『万葉集』(霖雨の晴るる日作る歌一首) 大伴家持

卯(う)の花を腐らせる長雨の流れる水に寄ってくる木屑(きくず)のように、
(私に)寄り付いてくれる娘さんがいたらいいのに。

いとどしく 賤しづの庵の いぶせきに
卯の花くたし 五月雨ぞする
『千載集』(五月雨の歌とてよめる) 藤原基俊

ただでさえ卑しい身分の我が家は鬱陶しいというのに
この季節は卯の花を腐らして五月雨が降りつづき
いっそう気分がふさいでしまうことよ。

五月下旬は天気の悪い日が多く、
曇り空は卯の花曇り、卯月ぐもりともいいます。

竹酔日(ちくすいび)

2014-5-13 UP

5月13日 竹酔日(ちくすいび)

降らずとも 竹植うる日は 蓑と笠
松尾芭蕉

ご機嫌よろしゅうございます。

今日は「竹酔日」と呼ばれる日で
先述の俳句はこの「竹酔日」を詠んだ句です。

蓑笠を着た姿は、竹を植えるのに相応しいので、
雨が降らなくても竹を植える日には
蓑と笠を着て植えたいものだ
というような意味です。

この日は移植が難しい竹の植え替え日といわれています。
中国の古書に
「この日は竹が酒に酔っていて移植されたことに
気づかないから」と記されていたことに由来するようですが
根拠は不明です。
もしこの日に竹を植えられなくても、
「5月13日」と書かれた紙を竹に貼るだけで
同様の効果が得られると言われています。

また、この日はかぐや姫が月に戻った日とする説もあります。

旧暦5月13日は現在の6月23日頃にあたり
奈良の大安寺では、毎年6月23日に「竹供養」が行われます。

卯の花墻

2014-5-12 UP

5月12日  卯の花墻

ご機嫌よろしゅうございます。
爽やかな初夏に白い卯の花が美しく咲き
新緑にうつるその白さは、私たちの目に眩しく映ります。
卯の花は空木(うつぎ)の別名です。

今日はそんな卯の花を銘にもつ
茶碗をご紹介します。

日本で焼かれた茶碗で国宝に指定されているのは、
二碗のみで、そのうちの一つがこの「卯の花墻」です。
(もう一碗は本阿弥光悦作・銘「不二山」

室町三井家から寄贈され、現在東京の三井記念美術館に
所蔵されています。
16世紀後半、桃山時代に作られた志野茶碗です。

志野とは、美濃(現在の岐阜県)の窯で焼かれ
桃山時代を代表する窯場のひとつで、
織部焼もここで作られています。

少し歪んだなりをしていて、篦削りも大胆なこの茶碗は
織部好みに通じる作行きです。

夏に白い花を咲かせる卯の花の垣根に
似ていることからこの銘がつけられました。
遠州公の後、徳川将軍の茶道師範となった
片桐石州による銘とされています。