母の日

2014-5-11 UP

5月11日  母の日

ご機嫌よろしゅうございます。
今日は日曜日、官兵衛の時代…のお話はお休みして
母の日についてご紹介します。

アメリカでは南北戦争がおこった時代
様々な女性が社会活動を行っていました。
そのうちの一人、アン・ジャービスは南北戦争中に
「母の仕事の日」と称して社会的弱者を助け、
敵味方問わず負傷兵の治療活動を行うなどの
活動をしていました。

彼女の娘が
ジャービスの死後2年経った1907年5月12日、
亡き母親を偲び、白いカーネーションを墓前に供えます。
これが日本やアメリカでの母の日の起源とされています。

後1914年に「母の日」はアメリカの記念日になり、
5月の第2日曜日と定められました。

普段改まって伝えられない感謝の気持ち
今日は是非お母様に伝えてください。

遠州公の愛した茶入 「春山蛙声(しゅんざんあせい)」

2014-5-10 UP

5月 10日 遠州公の愛した茶入
「春山蛙声(しゅんざんあせい)」

ご機嫌よろしゅうございます。
本日は遠州蔵帳所載の茶入「春山蛙声」を御紹介します。

この茶入の銘は遠州公によるもので、茶入の窯分けでは
柳藤四郎に分類されていますが
その名称の由来についてはよくわかっていません。

遠州公の茶会記に登場するのは
寛永十八年(1641)4月9日の朝に
狩野探幽法眼達を招いた茶会一回のみです。

時期的にいえばちょうど今頃に
使われたということになります。

銘だけから想像するに
爽やかな季節、蛙の鳴き声がきこえてくる
とてものどかな風景が連想できます。

遠州公所持の後は、小堀家を離れ、
のちに益田鈍翁の所有となり、
現在は、大阪の湯木美術館の収蔵品となっています。

遠州流のお点法

2014-5-9 UP

5月 9日 遠州流のお点法

ご機嫌よろしゅうございます。
遠州流のお点法は
流祖遠州公の時代から
形を大きく変えることなく現在まで至っています。
門人の方が日々お稽古されているお点法は
その昔、「綺麗」と評判だった遠州公の形なのです。
そう思うと一つ一つ所作の意味にも一層深さを感じます。

さて、遠州流では通常
濃茶の点法には棗を使用しません。
織田信長が茶の湯を政治に利用し、
小壺狩をしたことは、 以前にお話ししました。

この召し上げによって
一般の間で茶入を持つことが難しくなり
一握りの者しか所有できない、大変貴重な道具となりました。

そこで千利休が、その侘びの精神性をもってして
棗でも
濃茶の手前に使うことができるよう考案したのです。
その、真塗りの棗を用い、蓋裏に朱で利休の花押が書き入れてあります。

遠州流は流祖が大名だったこともあり
茶入は所持していたため
この棗濃茶というお点法がないのです。

薫風自南来

2014-5-8 UP

5月8日 薫風自南来

ご機嫌よろしゅうございます。
爽やかな初夏の風が心地よく感じられるこの季節
新緑の間を吹き抜け、若々しい緑の香りをもたらしてくれる
という意味の薫風(くんぷう)という言葉がぴったりです。

この時期よく掛けられる禅語に

薫風自南来

という言葉があります。

南から吹いてくる爽やかな風が、全てのものの
心を爽やかにしてくれる、そんな様子を表しています。
また、この風を、インドから中国へ仏教を伝えた達磨大師
ととらえる読み方もあるようです。

この語は唐の文宗皇帝が、
人は皆炎熱に苦しむ
我は夏日の長き事を愛す
と作った詩をうけて、柳公権という詩人が、
続けて一篇の詩としたものです。
薫風自南来
殿閣微涼を生ず

世の人々は夏の暑さを嫌がるが、
私はその夏が長いことを好んでいる。
暑い中、時折吹く薫風によって宮中が清々しくなる
のはとても心地よく、こんな気分は、夏でないと味わえない
といった意味です。

その後この詩を庶民の苦しい暮らしを知らないが故のもの
として批判する人物も現れたようですが、
この言葉が禅語として重用されるのは

薫風自南来という、自然の情景を示すこの言葉を聞き、
大慧禅師が大悟したといわれるため
なのだそうです。

端午の節句

2014-5-7 UP

5月 7日  端午の節句              粽(ちまき)と柏餅(かしわもち)」
ご機嫌よろしゅうございます。 端午の節句といえば、粽や柏餅ですが 皆さんはどちらを召し上がりましたか?
粽か柏餅か、 これには東西の文化の違いが関係しているようです。
粽は、平安時代に中国から端午の節句が伝来したときに 共に伝えられ、全国に広がっていきました。 その後江戸時代に端午の節句が五節句の一つになってから、 縁起のいい柏餅が江戸の主流となり、 伝統を重んじる上方は粽を伝承したそうです。
粽は今からおよそ2300年前、中国で屈原(くつげん)という詩人が 陰謀によって失脚し、国を追われてしまいます。 国の行く末に失望した屈源は、汨羅(べきら)という川に投身自殺します。 その日が5月5日。 人々は屈原の死を悲しんで、供物を川へ投げ入れて弔いをしていましたが、 その供物は屈原のもとに届く前に、悪い龍に盗まれてしまうので 龍が苦手な楝樹(れんじゅ)の葉でもち米を包みました。 これを、邪気を払う赤・青・黄・白・黒の五色の糸で縛り 川へ流すと無事に屈原のもとへ届くようになったといいます。 その後中国では5月5日に粽を作って災いを除ける風習ができ、  端午の節句 となって粽とともに日本に伝来したのです。
粽が中国伝来なのに対し、柏餅は日本独特のものです。 新芽が出ないと古い葉が落ちないことから、子孫繁栄など の意味を込めて使われ、端午の節句の縁起のいい食べ物となりました。
さて皆さんのご家庭ではどちらでしたでしょうか? …でも、せっかくなので どちらもいただきたいですね。

幟(のぼり)

2014-5-6 UP

5月 6日 幟(のぼり)

ご機嫌よろしゅうございます。
GWも今日で最終日。
楽しい時間はあっという間に過ぎてしまいます。

今日は幟について

幟はもともと神様の依代(よりしろ)の役割があったそうで、
これに鯉の絵を書いたのが鯉幟の起源だそうです。

また、中世以降、武家では男児の出生を祝って、
端午の節句に旗指物(家紋をしるしした旗)や幟を立てる風習があり、
江戸時代には特にこの行事が重んじられていて、
武家の玄関先には武具や旗指物や幟が並べられました。

経済面で力をつけた商人が
これに対抗して、旗指物のかわりに「鯉のぼり」
を考案したという説があります。

この鯉幟は、滝を登りきった鯉が、
龍に変身するという故事にちなんだもので
男の子の出世を願う縁起物
現在では鎧飾りと共に端午の節句に欠かせない飾りです。

例年ご宗家の玄関では
正大さんの真鯉、緋鯉の三尾が堂々と上空を泳ぎ
お客様をお出迎えしてくれます。

端午の節句

2014-5-5 UP

5月5日 端午の節句

ご機嫌よろしゅうございます。

現在五月五日は「こどもの日」として
祝日とされています。

昔から端午の節句といい、
男の子の健やかな成長を祝う日として
親しまれています。

諸説ありますが、もともとこの日は、
農耕民族であった日本人にとって田植えの準備のための神聖な日でした。
稲を植える早乙女達が、家に閉じこもり身を清める日が
旧暦の五月五日の民間行事でした。
つまり古来は「女の日」だったといえますね。

これが江戸幕府成立以来、
中国から朝廷に伝わった厄除けの風習に、武士の風習が交り、
武家を中心に男子の成長を祝う、今の風習へと変化していきました。

雛祭りもしかり、
現在みなさんに親しまれている伝統的な行事も
長い年月をかけて変化してきたのですね。

みどりの日

2014-5-4 UP

5月 4日 みどりの日

ご機嫌よろしゅうございます。
GWの二日目になりました。
皆様いかがお過ごしでしょうか?

今日「みどりの日」は
1989年(平成元年)に制定された「国民の祝日」です。
国民の祝日に関する法律」第2条には
「自然にしたしむとともにその恩恵に感謝し,
豊かな心をはぐくむ」
日とあります。
もともとは4月29日の昭和の日でも触れました通り
生物学を専攻され、植物に関する造詣も深かった
昭和天皇がご崩御され、
それまで60余年にわたり「ゴールデンウィーク」
のはじまりの休日として、国民の間に定着していた
天皇の誕生日を、自然を愛されたお人柄を記念する意味から
「みどりの日」とされたそうです。

今日は身近な自然に目をむけ、
新緑の美しさをじっくり愛でてみませんか?

憲法記念日

2014-5-3 UP

5月3日 憲法記念日

ご機嫌よろしゅうございます。

今日は憲法記念日
祝日です。

5月3日は1948年に
「日本国憲法の施行を記念し、国の成長を期する日」
と法律で定められた国民の祝日の1つです。

その憲法の内容は、
「国民主権」
「平和主義」
「基本的人権の尊重」
という3つの柱を持っています。

1948年に生まれた子供には、
新憲法に対する思いから
「憲司」・「憲太郎」や「憲子」など
子どもの名前に「憲」の字を入れることが多かったそうです。

憲法そのもの自体は、学校で習って以来、
普段なかなか向き合うこともなかなか
ないかもしれません。
GWの一日として楽しみつつ、
年に一度この祝日に、憲法について考える
機会にできるといいですね。

八十八夜

2014-5-2 UP

5月2日 八十八夜

ご機嫌よろしゅうございます。
今日は八十八夜です。

「夏も近づく八十八夜…」で始まる歌が頭に浮かびます。
八十八夜は立春から数えて八十八日目の日をさします。
八十八という字を組み合わせると「米」という字になる
ことから、農家では大切な日とされてきました。
この日を境に本格的な農事にとりかかります。

お茶どころでは茶摘みの最盛期となります。

お茶の葉は、一度でも霜に当たると駄目になってしまいます。
そのため昔は藁をひき、霜を防いだようです。

この八十八夜に摘まれ、
茶壺に詰められた碾茶を、十一月に取り出すのが
「口切(くちきり)」です。

この茶葉を詰めた茶壺は、茶道創生期においては、
茶道具の第一の道具でした。
今では想像しにくいことですが、茶入が茶壺に変わり人気があがるのは、
それよりも後のことになります。