東海道旅日記 下りの記【02】『遠州の江戸詰四年』
2021-1-8 UP
寛永19年10月に遠州公は江戸の飢饉対策奉行となっています。「公の事しげくに…」と記されていた背景にはこのお役目があったのでしょうか。この年、寛永の大飢饉がおこり全国的な飢饉にみまわれます。農民たちは作物の育たない田畑を手放し、身売りや江戸へ流入し、飢えに苦しむ人々であふれていました。その対応に追われていた幕府は、知恵伊豆と言われていた松平伊豆守信綱を中心に、畿内の農村掌握の第一人者であった遠州公も連日評定所にて協議を行いました。このとき、将軍に茶道指南を請われたともいわれ、この先4年間江戸にとどまることとなり、俗に「遠州4年詰め」と呼ばれています。この飢饉対策の対応のため動く幕閣や、江戸に参集していた各地の大名に遠州公の茶が広まるきっかけともなるのでした。
