東海道旅日記 下りの記【05】 10月8日

2021-2-5 UP

日記のはじめに登場するのは江月宗玩。この江月宗玩禅師は遠州の5歳年上の大変親交の深い人物の一人です。10月8日江戸に向かうことになった遠州公に餞別の志を一偈にして、手紙を添えて送っていますがその翌年にはお亡くなりになっています。津田宗及の子。春屋宗園の法を継ぎ大徳寺、博多崇福寺の住持となります。茶人として名を馳せた父・宗及由来の名物などを見聞きして育っており江月を開山とする大徳寺龍光院は、江月由来の名物が数多く残っています。

江月といえば、朝廷が僧侶に出した紫衣勅許を江戸幕府が無効とした紫衣事件が有名です。幕府に対し抗議をした結果、配流となった沢庵宗彭・玉室宗伯に対して、江月は大徳寺の存続のため許されます。当時、その人となりからも一行物が大変に人気のあった江月ですが、一人罪を免れたとの汚名を受け、当時の人々はその墨蹟を破り捨たとも記されています。しかし実際には三年の間、京へは戻らず江戸にとどまり、配流となった二人の放免に尽力したと思われます。