半夏生(はんげしょう)

2014-7-2 UP

7月2日 半夏生(はんげしょう)

ご機嫌よろしゅうございます。
今日は半夏生(はんげしょう)です。

この日は
夏至から数えて約11日目にあたります。
昔から田植えの目安とされこの頃までには
田植えを終えるべきとされています。

関西では稲が蛸足のように根をはって豊作に成るように
という願いを込めて蛸を食べたり、
四国では「半夏うどん」といって田植え後にうどんを
打って食べるなど、地域によって様々な風習があります。

またこの頃には、
天から毒気が降るので井戸に蓋をしたり、
この時季に筍・わらびなどを食べないという禁忌があったそうです。

ハマナス

2014-6-26 UP

6月26日 ハマナス

ご機嫌よろしゅうございます。
今日はこの季節に咲く花「ハマナス」を
ご紹介します。

主に赤い花を咲かせる「ハマナス」は、
浜に生え、果実が梨に似た形をしていた
ことからハマナシ(浜梨)という名がつけられましたが
東北地方でハマナスとなまって、そのなまりのまま
ハマナス(浜茄子)と言われるようになった、
と言われる珍しい花です。

バラ科で棘があり、
茶花では棘のある花はあまり好まれませんが
このハマナスは例外として昔から用いられます。

花のあとにつく紅い実を食用とし
ローズヒップティーとなります。
北海道の道花としても親しまれています。

月見草(つきみそう)

2014-6-19 UP

6月19日 月見草(つきみそう)

富士には月見草がよく似合う

太宰治の「富嶽百景」にある一節です。
日本一といわれる富士の姿に、
はかなげな月見草の美しさが対比されて美しい風景が
頭に浮かびますが、
作中では金剛力草と書かれ、黄色い花となっています。
実際の月見草は白い花で、この「富嶽百景」に
登場するのはオオマツヨイクサかマツヨイクサではないかと
植物学者は推測しています。

6月のこの頃に咲き出す月見草。
自らの姿を、富士という雄々しい姿の前にはかなくも美しく
咲くこの花になぞらえたとも読めます。

6月13日に玉川上水に入水自殺した太宰治は
奇しくも誕生日である19日に遺体が発見され、
以後6月19日を「桜桃忌」として
墓所のある禅林寺(三鷹市下連雀)で法要が行われます。
現在でも多くの方が、この桜桃忌に参拝に訪れます。

2014-6-17 UP

6月 17日 梅

ご機嫌よろしゅうございます。

うっとおしい梅雨が続きますが、
「梅雨」の語源は、梅の実が熟す季節に降る雨
といわれています。

初春に美しい花を咲かせていた梅は、
この時期、丸くて青い実をつけます。

梅酒につけるには青くてかたい実を
梅干しは完熟のものが適しています。

梅干しは平安時代には既にあったようで
当時は、熱さましなどの薬用として食されていました。

戦国時代、武将達は
食糧袋に「梅干丸(うめぼしがん)」
を常に携帯していたそうです。戦場で倒れたときや元気を失った
時、 また合戦中の休息に梅干しを見て唾液分泌を盛んにし
脱水症状を防ぐ目的にも使われました。
梅干しは戦略物資の一つとなり、
武将たちは梅の植林を奨励したそうです。
現在でも梅の名所や梅干しの産地として残っています

あじさい

2014-6-12 UP

6月 12日 あじさい

ご機嫌よろしゅうございます。

雨の雫を葉にのせて、しっとりと濡れるあじさいの姿
梅雨時ならではの美しい風景です。

中国では紫陽花
日本では集真藍(あづさあい)、四ひらの花
と表しました。

現在のあじさいとは異なった、古くから日本に自生していた種は
「今井宗久茶の湯抜書」の天正17年に「アヂサイ」
とあります。

寛政元年五月、遠州公が品川林中の茶亭で、
三代将軍家光公に献茶をした際、
家光公が遠州公作の竹の二重切花入に
「アジサイ三リン」を入れた記録も残っています。

ただ使用例としては少ないといえます。
夏の茶会自体がそもそも少ないということも
一因としてあるようですが、
その色彩的、形状的理由あるいは入手のしやすさなどから
茶席に用いられることが少なかったようです。

入梅(にゅうばい)

2014-6-11 UP

6月11日 入梅(にゅうばい)

ご機嫌よろしゅうございます。
きょうは雑節の入梅にあたります。

暦の上での梅雨(つゆ)入りの日です。
梅の実が、 雨季にに入る頃ということから
入梅と呼ばれるようになったとか
この頃は湿度が高く黴〔かび〕が生えやすいため
「黴雨(ばいう)」が転じて梅雨(ばいう)
になったなどといわれています。

実際の梅雨入りとは異なりますが、
暦の上ではこの日から約30日間が梅雨の期間ということになります。
他の雑節同様、気象情報の発達していない時代、
田植えなどの農作業の目安として定められました。

古く「入梅」は、芒種の後の最初の壬(みずのえ)の日です。
陰陽五行説では「壬」は水の気の強い性格とされており、
水と縁がある日ということで、入梅の時期の目安に選ばれました。
明治以後は6月11日頃になります。

この梅雨の頃に獲れる真いわしのことを、
「入梅いわし」(にゅうばいいわし)と呼び、
1年の中で一番脂が乗って美味しいとされています。

遠州公時代の三河の名所

2014-5-23 UP

5月23日 遠州公時代の三河の名所

ご機嫌よろしゅうございます。

今日は伊勢物語に出てきた三河の八つ橋について
遠州公が歌った和歌をご紹介します。

遠州公が元和七年(1622)43歳のときに
江戸から京都へ上った際の日記があります。

八つ橋というところに着いた。
燕子花の名所ということなので
さぞかしたくさん咲いているのだろうと思って
いたけれども、全く咲いていなかった。

やつはしに はるばるときてみかはなる
花には事をかきつばたかな

と言ったらお供のものが大変おもしろがった
とかかれています。
「花に事欠く」と「かきつばた」をかけたのですね。

平安時代、燕子花の名所であった三河は
遠州公の時代には名所がどこであったか
その場所もわからなくなっていたようです。

幟(のぼり)

2014-5-6 UP

5月 6日 幟(のぼり)

ご機嫌よろしゅうございます。
GWも今日で最終日。
楽しい時間はあっという間に過ぎてしまいます。

今日は幟について

幟はもともと神様の依代(よりしろ)の役割があったそうで、
これに鯉の絵を書いたのが鯉幟の起源だそうです。

また、中世以降、武家では男児の出生を祝って、
端午の節句に旗指物(家紋をしるしした旗)や幟を立てる風習があり、
江戸時代には特にこの行事が重んじられていて、
武家の玄関先には武具や旗指物や幟が並べられました。

経済面で力をつけた商人が
これに対抗して、旗指物のかわりに「鯉のぼり」
を考案したという説があります。

この鯉幟は、滝を登りきった鯉が、
龍に変身するという故事にちなんだもので
男の子の出世を願う縁起物
現在では鎧飾りと共に端午の節句に欠かせない飾りです。

例年ご宗家の玄関では
正大さんの真鯉、緋鯉の三尾が堂々と上空を泳ぎ
お客様をお出迎えしてくれます。

袋藤(ふくろふじ)

2014-4-30 UP

4月30日 袋藤(ふくろふじ)

ご機嫌よろしゅうございます。
早いもので今日で4月も終わり、
明日から5月です。

今日は季節の茶花「袋藤」の
お話をさせていただきます。

袋藤とは、花の咲く直前の
袋に花が入った状態のことをさします。

26日に藤浪の茶入をご紹介しました。

藤は茶の湯では風炉の花とされますが、
二季草(ふたきぐさ)ともいわれるように、
旧暦では春から夏にかけて咲きます。
また、添えるものの少なくなる4月には
4月中も袋に入っているうちは使っていいと
されています。

床の間にこの袋藤が入ると
いよいよ季節が変わるのだなということを感じさせてくれます。

しかし、使用する日に合わせて
袋に収まりながらも花色がのぞく位の
ちょうどよい状態のものを手に入れるのはとても困難ですので
この袋藤を拝見できるのは
大変なご馳走といえます。

遅桜(おそざくら)

2014-4-28 UP

4月28日 遅桜(おそざくら)

ご機嫌よろしゅうございます。
東京では桜の見頃もいよいよ終わりを迎える頃かと思います。

今日は桜の名を銘に持つ
大名物「遅桜」についてご紹介致します。

以前にご紹介した初花の茶入はすでに
世上第一として広くその名を世にとどろかせていましたが、
その後に新たに見出されたのがこの茶入れでありました。

そこで

夏山の 青葉まじりのおそ桜
初花よりもめづらしきかな

という金葉集の歌に因んで
足利義政が銘をつけたとされています。

初花より景色の暗い釉薬で、華美でないところが
かえって品位の良さを感じます。

この茶入は徳川家の所蔵、柳営御物となり
後に三井家に伝わります。

過日、東京都目黒美術館で行われた御先代の
「紅心 小堀宗慶の世界」展にて
この遅桜と初花を隣り合わせとして展示されたことは
大変珍しいことで、後にも先にも
このときばかりかもしれません。

ご覧になれた方、大変な幸運でした。