7月2日 半夏生(はんげしょう)
ご機嫌よろしゅうございます。
今日は半夏生(はんげしょう)です。
この日は
夏至から数えて約11日目にあたります。
昔から田植えの目安とされこの頃までには
田植えを終えるべきとされています。
関西では稲が蛸足のように根をはって豊作に成るように
という願いを込めて蛸を食べたり、
四国では「半夏うどん」といって田植え後にうどんを
打って食べるなど、地域によって様々な風習があります。
またこの頃には、
天から毒気が降るので井戸に蓋をしたり、
この時季に筍・わらびなどを食べないという禁忌があったそうです。
6月26日 ハマナス
ご機嫌よろしゅうございます。
今日はこの季節に咲く花「ハマナス」を
ご紹介します。
主に赤い花を咲かせる「ハマナス」は、
浜に生え、果実が梨に似た形をしていた
ことからハマナシ(浜梨)という名がつけられましたが
東北地方でハマナスとなまって、そのなまりのまま
ハマナス(浜茄子)と言われるようになった、
と言われる珍しい花です。
バラ科で棘があり、
茶花では棘のある花はあまり好まれませんが
このハマナスは例外として昔から用いられます。
花のあとにつく紅い実を食用とし
ローズヒップティーとなります。
北海道の道花としても親しまれています。
6月19日 月見草(つきみそう)
富士には月見草がよく似合う
太宰治の「富嶽百景」にある一節です。
日本一といわれる富士の姿に、
はかなげな月見草の美しさが対比されて美しい風景が
頭に浮かびますが、
作中では金剛力草と書かれ、黄色い花となっています。
実際の月見草は白い花で、この「富嶽百景」に
登場するのはオオマツヨイクサかマツヨイクサではないかと
植物学者は推測しています。
6月のこの頃に咲き出す月見草。
自らの姿を、富士という雄々しい姿の前にはかなくも美しく
咲くこの花になぞらえたとも読めます。
6月13日に玉川上水に入水自殺した太宰治は
奇しくも誕生日である19日に遺体が発見され、
以後6月19日を「桜桃忌」として
墓所のある禅林寺(三鷹市下連雀)で法要が行われます。
現在でも多くの方が、この桜桃忌に参拝に訪れます。
6月 17日 梅
ご機嫌よろしゅうございます。
うっとおしい梅雨が続きますが、
「梅雨」の語源は、梅の実が熟す季節に降る雨
といわれています。
初春に美しい花を咲かせていた梅は、
この時期、丸くて青い実をつけます。
梅酒につけるには青くてかたい実を
梅干しは完熟のものが適しています。
梅干しは平安時代には既にあったようで
当時は、熱さましなどの薬用として食されていました。
戦国時代、武将達は
食糧袋に「梅干丸(うめぼしがん)」
を常に携帯していたそうです。戦場で倒れたときや元気を失った
時、 また合戦中の休息に梅干しを見て唾液分泌を盛んにし
脱水症状を防ぐ目的にも使われました。
梅干しは戦略物資の一つとなり、
武将たちは梅の植林を奨励したそうです。
現在でも梅の名所や梅干しの産地として残っています
6月 12日 あじさい
ご機嫌よろしゅうございます。
雨の雫を葉にのせて、しっとりと濡れるあじさいの姿
梅雨時ならではの美しい風景です。
中国では紫陽花
日本では集真藍(あづさあい)、四ひらの花
と表しました。
現在のあじさいとは異なった、古くから日本に自生していた種は
「今井宗久茶の湯抜書」の天正17年に「アヂサイ」
とあります。
寛政元年五月、遠州公が品川林中の茶亭で、
三代将軍家光公に献茶をした際、
家光公が遠州公作の竹の二重切花入に
「アジサイ三リン」を入れた記録も残っています。
ただ使用例としては少ないといえます。
夏の茶会自体がそもそも少ないということも
一因としてあるようですが、
その色彩的、形状的理由あるいは入手のしやすさなどから
茶席に用いられることが少なかったようです。
6月11日 入梅(にゅうばい)
ご機嫌よろしゅうございます。
きょうは雑節の入梅にあたります。
暦の上での梅雨(つゆ)入りの日です。
梅の実が、 雨季にに入る頃ということから
入梅と呼ばれるようになったとか
この頃は湿度が高く黴〔かび〕が生えやすいため
「黴雨(ばいう)」が転じて梅雨(ばいう)
になったなどといわれています。
実際の梅雨入りとは異なりますが、
暦の上ではこの日から約30日間が梅雨の期間ということになります。
他の雑節同様、気象情報の発達していない時代、
田植えなどの農作業の目安として定められました。
古く「入梅」は、芒種の後の最初の壬(みずのえ)の日です。
陰陽五行説では「壬」は水の気の強い性格とされており、
水と縁がある日ということで、入梅の時期の目安に選ばれました。
明治以後は6月11日頃になります。
この梅雨の頃に獲れる真いわしのことを、
「入梅いわし」(にゅうばいいわし)と呼び、
1年の中で一番脂が乗って美味しいとされています。
5月23日 遠州公時代の三河の名所
ご機嫌よろしゅうございます。
今日は伊勢物語に出てきた三河の八つ橋について
遠州公が歌った和歌をご紹介します。
遠州公が元和七年(1622)43歳のときに
江戸から京都へ上った際の日記があります。
八つ橋というところに着いた。
燕子花の名所ということなので
さぞかしたくさん咲いているのだろうと思って
いたけれども、全く咲いていなかった。
やつはしに はるばるときてみかはなる
花には事をかきつばたかな
と言ったらお供のものが大変おもしろがった
とかかれています。
「花に事欠く」と「かきつばた」をかけたのですね。
平安時代、燕子花の名所であった三河は
遠州公の時代には名所がどこであったか
その場所もわからなくなっていたようです。
5月 6日 幟(のぼり)
ご機嫌よろしゅうございます。
GWも今日で最終日。
楽しい時間はあっという間に過ぎてしまいます。
今日は幟について
幟はもともと神様の依代(よりしろ)の役割があったそうで、
これに鯉の絵を書いたのが鯉幟の起源だそうです。
また、中世以降、武家では男児の出生を祝って、
端午の節句に旗指物(家紋をしるしした旗)や幟を立てる風習があり、
江戸時代には特にこの行事が重んじられていて、
武家の玄関先には武具や旗指物や幟が並べられました。
経済面で力をつけた商人が
これに対抗して、旗指物のかわりに「鯉のぼり」
を考案したという説があります。
この鯉幟は、滝を登りきった鯉が、
龍に変身するという故事にちなんだもので
男の子の出世を願う縁起物
現在では鎧飾りと共に端午の節句に欠かせない飾りです。
例年ご宗家の玄関では
正大さんの真鯉、緋鯉の三尾が堂々と上空を泳ぎ
お客様をお出迎えしてくれます。
4月30日 袋藤(ふくろふじ)
ご機嫌よろしゅうございます。
早いもので今日で4月も終わり、
明日から5月です。
今日は季節の茶花「袋藤」の
お話をさせていただきます。
袋藤とは、花の咲く直前の
袋に花が入った状態のことをさします。
26日に藤浪の茶入をご紹介しました。
藤は茶の湯では風炉の花とされますが、
二季草(ふたきぐさ)ともいわれるように、
旧暦では春から夏にかけて咲きます。
また、添えるものの少なくなる4月には
4月中も袋に入っているうちは使っていいと
されています。
床の間にこの袋藤が入ると
いよいよ季節が変わるのだなということを感じさせてくれます。
しかし、使用する日に合わせて
袋に収まりながらも花色がのぞく位の
ちょうどよい状態のものを手に入れるのはとても困難ですので
この袋藤を拝見できるのは
大変なご馳走といえます。
4月28日 遅桜(おそざくら)
ご機嫌よろしゅうございます。
東京では桜の見頃もいよいよ終わりを迎える頃かと思います。
今日は桜の名を銘に持つ
大名物「遅桜」についてご紹介致します。
以前にご紹介した初花の茶入はすでに
世上第一として広くその名を世にとどろかせていましたが、
その後に新たに見出されたのがこの茶入れでありました。
そこで
夏山の 青葉まじりのおそ桜
初花よりもめづらしきかな
という金葉集の歌に因んで
足利義政が銘をつけたとされています。
初花より景色の暗い釉薬で、華美でないところが
かえって品位の良さを感じます。
この茶入は徳川家の所蔵、柳営御物となり
後に三井家に伝わります。
過日、東京都目黒美術館で行われた御先代の
「紅心 小堀宗慶の世界」展にて
この遅桜と初花を隣り合わせとして展示されたことは
大変珍しいことで、後にも先にも
このときばかりかもしれません。
ご覧になれた方、大変な幸運でした。