ご機嫌よろしゅうございます。
先週は船をご紹介しましたので、本日は橋を
ご紹介します。
さむしろに 衣かたしき
今宵もや我をまつらむ宇治の橋姫
この歌を歌銘とした瀬戸真中古窯「橋姫」があります。
遠州公がこの茶入を宇治で見つけ、その成り姿を讃え
この銘をつけたとされています。
この「宇治の橋姫」とは橋の守り神であり女神で
もとは宇治橋の三の間とよばれる欄干に橋姫社が
祀られていましたが、度重なる洪水により現在の
宇治橋西詰に移りました。
ちなみにこの三の間から汲み上げられた水は天下の
名水とされ、秀吉は橋守の通円にこの水を汲ませ茶の湯に
使ったと言われています。(この通円は昨年ご紹介した
狂言「通円」につながります。)
同じく「橋姫」との銘をもつ志野の茶碗が、
東京国立博物館に所蔵されています。
橋の欄干部分が二重線で描かれ、両端に擬宝珠、橋脚が二本
非常にシンプルな絵付けの茶碗です。
この志野や織部とほぼ同時期に流行した画題に「柳橋水車図」
があります。
大きな橋、柳と水車、蛇籠
このデザインは宇治橋の風景を描いており、各派によって
描かれましたが、なかでも長谷川等伯を筆頭とする画師集団
の長谷川派の得意とする画題となります。
茶道具でこの意匠を用いた有名なものに野々村仁清作
「色絵柳橋図水指」(湯木美術館蔵)があります。
平成23年4月24日
御先代の紅心宗慶宗匠が逝去されました。
終戦後四年間、シベリア抑留生活を送り復員。
昭和37年に遠州茶道宗家家元12世を継承され、
書画、和歌、建築、工芸等様々な分野において
の幅広い活躍
平成13年元旦に宗実御家元に遠州流茶道を
引き継ぎ、後見を務められました。
当代ご存命の内に家元を引き継ぐ形は
当時大変珍しく、その様子はドキュメンタリーで
放映されました。
家元を引退されてからも、展覧会や書の個展を開くなど
その才能を発揮されご活躍されていました。
本日は七回忌にあたり、
昨日23日には御先代を偲び追善のお茶会が宗家道場にて
行われました。
ご機嫌よろしゅうございます。
4月も半ばになると百花の王とも称される牡丹が、
見事な花を咲かせます。
はじめ鎮痛・消炎等の薬用に使用されていたものが南北朝・6世紀の
隋の時代には観賞用として栽培され以後異常な程のブームを巻き起こしました。
日本には空海が持ち帰ったとの説があり、やはり薬用としての利用から
平安時代頃には観賞用に なっていたようです。
茶花としての牡丹もやはり、その気品と風格をあわせもつ
王たる風格から青磁などの花入で格を整えます。
また牡丹といえば裂地で牡丹唐草文として多く見かけることと思います。
この文様は名物裂には最も多い文様でその次は竜の文様、この二つを合わせると
全体の半分を越えます。この牡丹唐草文という文様は、厳密な植物名ではなく、
各種の花葉を蔓にあしらった絡み文様の様式名、優美な植物連続模様の総称です。
つまり、牡丹唐草文という名前であっても、 本当の牡丹の花が
あしらわれているわけではないということになります。
これは、牡丹の原産である中国北部の人々が、 牡丹の育たない南から来た
斬新な花唐草の文様を目にしたとき、国の代表的な花であり、
美の代表である牡丹の名をその図案に付けたのだと思われます。
それ故、現在でも牡丹には俄かには見えない花も
「牡丹」とよばれるわけです。 呼称法については
①裂の地色
②蔓の一重・二重の別
③花の大きさの区別
その他、全体を金色に見せている金地の場合はこれも加えます。
ご機嫌よろしゅうございます。
暖かい 陽ざし お花見に繰り出して、花を愛でながらお茶を一服
お稽古場でも花びらにかたどられた愛らしいお菓子を愛でながら
春の設えのお稽古に励みます。
今日のお菓子は赤坂塩野製「花衣」
本来黄身餡で店頭に並んでいますが、宗家では小豆餡に変えて
作られた止め菓子です。
こちらでしかいただけない貴重なお菓子、心して頂戴します。
ご機嫌よろしゅうございます。
先週は「隅田川」をご紹介しました。「隅田川」の形物香合には
約束として、屋形船が描かれていました。
今日は「ふね」にちなんだお話しをしたいと思います。
お正月二日の夜には、枕の下に「宝船」の絵を置いて寝、
吉夢を願います。宝船には宝や俵が積まれ、七福神が乗り込み
前からよんでも後ろからよんでも同じ音になる回文歌が添えられます。
なかきよの とおのねふりの みなめさめ
なみのりふねの おとのよきかな
(長き夜の遠の睡りの皆目醒め
波乗り船の音の良きかな)
その昔、茶は船によって海を渡り日本に伝わり
その道具の多くも舶載され、名物として伝わることとなりました。
また「御所丸茶碗」は、文禄・慶長の役のとき
島津義弘が、古田織部の切形をもとに朝鮮で焼かせた茶碗
交易の御用船である「御所丸船」に乗せて運ばせて、
秀吉に献上したことに由来する名前と言われています。
また航行する船に水脈を知らせるために立てられる杭を
「澪標(みおつくし)」と呼び、胴の景色をその「澪標」に
見立てた織部焼の茶入には遠州公が「源氏物語」「澪標」の帖の
身をつくし恋ふるしるしにここまでも
めぎりあひけるえには深しな
の歌から命銘しています。また、遠州公が景徳鎮窯に注文したとされる
「祥瑞 洲浜茶碗」には漢詩が口辺を巡り、正面に船が描かれています。
ましわりの昔もいまもかはらぬは
み屋ひこころのあへるなりけり
この歌は有栖川熾仁親王の歌です。
遠州公が桂宮智仁親王より拝領した茶入に添えられています。
この茶入の披露のために京都伏見の六地蔵に建てた茶室
「転合庵」が東京国立博物館にあり、茶入も所蔵されています。
4月11日より東京国立博物館ではじまる
「茶の湯」美術展
昭和55年(1980)に名家秘蔵の茶道具をとりあげた
初めての展覧会から、実に37年ぶりの開催となります。
遠州流茶道でも4月28日(金)11時から15時の間
お呈茶席を担当致します。
茶の湯道具の数々の名品をご覧になった後ゆったりと
お茶を一服召し上がって下さい。
春のうららの隅田川 上り下りの舟人が
枴の雫も花と散る 眺めを何にたとふべき
明治時代滝廉太郎の作曲した「花」には穏やかな春の風景がうたわれています。
しかしこの隅田川、「伊勢物語」では旅を続ける男が
名にし負はば いざ事問はむ都鳥
わが思ふ人はありやなしやと
と歌を詠んで涙を流し、梅若伝説をもとにできた狂女能「隅田川」では
人買いに我が子をさらわれ狂女となった女の悲劇が謡われ、物寂しさが感じられます。
さて「形物香合相撲」番付西方四段目には、染付「隅田川香合」があります。
蓋には対角線上に、川に架かる橋を表わしたハジキ(弦状の摘み)がつけられ、
四方の形に柳と屋台舟が描かれており、
屋形舟は隅田川と結びつく約束となります。
東京国立博物館所蔵「蔦細道蒔絵文台硯箱」には文台・硯箱ともに
『伊勢物語』第九段「宇津の山」を意匠化し、蓋の表裏には蔦細道の場面を、
硯箱の身の見込には流水と都鳥により隅田川の場面を表しています。