遠州公ゆかりの地に建つ小学校

2015-1-30 UP

育ての泉1月 30日(金) 遠州公ゆかりの地に建つ小学校
「南郷里小学校」

ご機嫌よろしゅうございます。

先週は遠州公の故郷小堀村についてご紹介しました。
この小堀村を学区にもつ南郷里小学校では
地域所縁の人物である遠州公にちなんだ学習に取り組み、
遠州流茶道の指導や、遠州公の茶の湯の心を道徳教材として
取り上げるなどの活動をしています。

この学校の校章は七宝花菱をモチーフにされており、
また1975年に開学百年を記念して作られた校歌の二番には

二、ゆかりもふかい  遠州公
歴史のかおり  今もなお
条里の土は  はろばろと
知恵のいずみの わくところ

と遠州公が登場しています。

この開学百年記念の際には
「育ての泉」というモニュメントも校内に作られました。

こちらはゆかり深き遠州公の斬新な作庭の創意工夫を
取り入れて作られた湧泉式のつくばいから水が
流れる仕組みになっています。

遠州流茶道では遠州公の教えを学びながら
茶の湯の心、思いやりの心を学んでいます。

同様に、この南郷里小学校を毎年卒業する100名を超える生徒達が
遠州公の心を学び、社会に巣立っていきます。
遠州公の教えはこうして地域の方にも受け継がれていたのでした。

重茶碗(かさねちゃわん)

2015-1-28 UP

1月28日 (水) 重茶碗(かさねちゃわん)

ご機嫌よろしゅうございます。

薄茶のお点法が一通りできるようになると
次に稽古するのが「重茶碗」です。

このお点法は遠州流茶道特有のものです。
お茶事の薄茶のとき、数人のお客様に
次々とお茶を点てていくための点法で
同じ種類の茶碗を重ねて使用します。

遠州公が伏見奉行屋敷で行った茶会の時は
薄茶の点法は遠州公の家臣がつとめ、
三島茶碗のような平茶碗を用いて
お客様の人数分重ね、何服も点てていました。

重ね茶碗はその形式を更に洗練したもので、
遠州公の切形(見本)に従って作られた茶碗
で現在もお稽古されています。

薄茶のお点法と異なるのは
茶巾・茶筅の仕組み方が茶碗手前になり、
茶筅は穂先を向こうへ出して根元を茶巾に
つけて入れます。
茶杓も重ねた茶碗の上では不安定なため
表を下に向けて茶碗右に乗せます。
茶碗の扱い方も通常と異なりますので
注意が必要です。

若草焼き(わかくさやき)

2015-1-26 UP

1月26日 (月)若草焼き(わかくさやき)

ご機嫌よろしゅうございます。

1月24日、奈良の若草山では
冬の代表的行事である山焼きが行われました。

この山焼きの起源には

・山上の鶯塚古墳から幽霊が出没するため、
1月までに山を焼かなければ災が起こる。

・東大寺と興福寺による領地争いから
・昔からある野焼きの遺風を伝えたもの

など諸説あります。

打ち上げ花火を合図に、草地に一斉に点火されます。
新聞などに掲載される写真のように
夜空を赤く染め上げるような情景は
大変美しいものですが
実際は、その光景と少々異なり
ゆっくりと静かに広がる炎が線状に見えるそうです。

遠州公誕生の地「小堀村」

2015-1-23 UP

1月 23日(金)遠州公誕生の地「小堀村」

ご機嫌よろしゅうございます。

遠州流の流祖である小堀遠州は、
近江長浜の小堀村に生まれました。
遠州公を輩出した小堀家は室町時代
中頃から資料に現れる小堀村の土豪でした。

天正7年(1579年)に誕生の後、
遠州公の父・新介正次は、
豊臣秀吉の弟である秀長に従って
但馬や播磨国(現在の兵庫県)に赴き、幼少の
遠州公も父に従って一旦小堀村を離れます。
従って、この小堀村での生活は
あまり長いものではありませんでした。

この地に再び関わりをもつのは、
元和5年(1619)
近江国浅井郡に一万石程の領地を得て、
小室藩の基礎を築き、また同8年には近江国奉行となり、
この地の幕府の人間としての最高責任者になります。

現在の小堀町では、遠州公にちなんだ街づくりが行われ、
小堀遠州出生地顕彰碑や
遠州流庭園などがつくられています。

来週はこの遠州公所縁の地に建つ南郷里小学校での
取り組みについてご紹介します。

薄茶(うすちゃ)

2015-1-21 UP

1月 21日 (水)薄茶(うすちゃ)

ご機嫌よろしゅうございます。
茶道に入門して最初に習うのは
お点法の基本となる薄茶です。

そして稽古が進むにつれ、濃茶や
難しい点法を習うようになり、
茶道を習い始めてしばらくすると、
初めに習った薄茶の点法に慣れ、
自分のくせが往々にして現れることがあります。

点法とは薄茶にありときくものを

粗相(そそう)におもう 人はあやまり

という言葉があります。

茶道の正式な形であるお茶事では

寄付(よりつき)→迎付(むかえつけ)→初入→
初炭→会席→中立→濃茶→後炭→薄茶
という流れの中、主客共に緊張感を
持って時が流れます。
全ての流れを終えるまでに約4時間。

その最後に当たる薄茶では、それまでの緊張も
溶け、リラックスした雰囲気の中で
薄茶をいただきます。
その日の話題も弾み、亭主はお客様とお話を
しながら薄茶を点てることになります。

お話ばかりに夢中になり、手元がおろそかになることや、
点法に夢中になっていてはお客様との話も
弾まない。

如何なる状況でも平常心で点法ができる
それが薄茶に必要な心といえるでしょう。

一休さんと善哉(ぜんざい)

2015-1-19 UP

1月 19日 (月) 一休さんと善哉(ぜんざい)

ご機嫌よろしゅうございます。

冬に温かい善哉(ぜんざい)をいただくと
体も温まり、幸せな気持ちになりますね。

この善哉、実はとんちで有名な一休さんが
関係しているのです。

京田辺市にある「酬恩庵」。
もともと臨済宗・南浦紹明が帰朝後
禅の道場をここに建てたお寺でしたが、
その後荒廃していたところ、一休禅師が再興し
南浦紹明の恩にむくいるという意味で
「酬恩庵」と命名しました。
禅師はここで後半の生涯を送り
八十一歳で大徳寺住職となっても、この寺から
大徳寺に通ったのだそうです。
こんな経緯からいつしか
「一休寺」と呼ばれるようになりました。

さてこの一休寺で、一月一日生まれの一休禅師に
ちなんで毎年一月に行われる行事があります。
一年間の誓いの言葉を奉納し、自分自身の目標を立てて
新たな一年を過ごそうというものです。
最後に、一椀祈祷奉納を行い、
善哉(ぜんざい)が振舞われます。

この善哉という呼び名、大徳寺の住職から
お餅の入った小豆汁をご馳走になった一休禅師が、
その美味しさに
〝善哉此汁(よきかな この汁)〟
と言われたことが始まりといわれています。

遠州公のゆかりの地を巡って

2015-1-16 UP

1月16日(金)遠州公のゆかりの地を巡って

ご機嫌よろしゅうございます。
遠州流茶道の流祖小堀遠州は
天正七年(1579)に生まれ、
正保四年(1647)に六十九歳でなくなります。

近江に生まれ、幕府の官僚として
また茶の指導者として、日本各地と
関わりを持っていきました。
この六十九年の生涯の中の
遠州公ゆかりの地を
当時と今の姿を追いながら
一年間皆様と共に見ていきたいと思っております。

大名茶人にして江戸の優れた官僚であった
小堀遠州。
その功績は広く知られていますが
まだまだ日本の各地で、その地域の人のみが知る
遠州公の逸話や伝説もあるのではないかと
思います。
もしこのメルマガをご覧になって
なにかご自身の身の回りの地域で、遠州公にまつわる
お話をご存知の方がいらっしゃいましたら、
是非お知らせいただきたいと思います。

ご出張、ご旅行の際に遠州公の関わった場所が
近くにあるかもしれません。
そんな時このメールマガジンを思い出して頂けたら
幸いです。

遠州流の点法

2015-1-14 UP

1月 14日(水)遠州流の点法

ご機嫌よろしゅうございます。

当時、遠州好みは綺麗さびとも称されるように
茶道具に限らず、建築や庭園、着物の柄など
その洗練された美しさで、当時の美意識の
お手本ともされていましたが、
遠州公のお点法も綺麗さびの一つです。

松屋会記と呼ばれる茶会記の中で
筆者の松屋久重が遠州公の茶会に
招かれた時の記録が残っています。

久重は炭の置き方、道具の様子などから
遠州公の動きまでを細かく描写しています。

その中で茶巾の扱い方を

成程ニキレイニテ
一ネチメワナノ所アキテ
イカニモダテ也

現代語訳
茶巾のさばき方がなるほどと思わせるように
綺麗で、一ねじふくらませて輪にあけたところ
が、いかにも伊達だった。

この綺麗という感覚は、寛永の時代に共通する
美意識でもあり、当時の公家の日記にも
しばしば「きれい」という言葉がみられます。

伊達という言葉も、当時の流行語で、
仙台伊達家の行列からくる言葉ともされますが、
すっくと目立つ姿、精気あふれる
艶やかな美しさを表現します。

江戸時代後期には
「綺麗キッパは遠江」
と歌われたように

遠州公は、この綺麗を好む寛永文化の美意識の
中心的存在であり、そのお点法も
綺麗さびを感じられる伊達で美しいお点法でした。

現在、遠州流茶道門人が稽古するお点法は
その遠州公の時代から形を大きく変えることなく
伝わっている、伊達で綺麗なお点法なのです。

来週からはその遠州流茶道のお点法を一つづつ
紹介してまいります。

天籟(てんらい)

2015-1-12 UP

1月 12日 (月)天籟(てんらい)

ご機嫌よろしゅうございます。

平成27年 遠州茶道宗家 稽古照今 点初め
も今日で3日目。
気落ちも新たに、神楽坂に足を運ばれている
ことと思います。

さて、普段通い慣れた門人の皆様、
この宗家道場内にある扁額「天籟」はどこにかけられているか、
覚えていらっしゃいますか?

玄関を入って履物をしまい、
つくばいで手を清めて、クロークにはいると
大きな鏡の上に、この字がかけられています。
鏡の前で身支度を整える皆様の動作を
この「天籟」の二文字が
見守っています。

「荘子」斉物(せいぶつ)論の一説に
こんな話があります。

古代の学者南郭子綦(なんかくし)は机に身を寄せ掛け、
空をあおいで静かに呼吸を整えていくうちに、全身から
その正気が消え失せ、魂の抜け殻のような姿に変わって
いくようにみえました。
弟子の顔成子游(がんせいしゆう)がそれを見て、驚いて
いると、意識の戻った子綦が、
「よく気がついたな。今私は自分を失っていたのだ。
お前は人籟を知っていても、
地籟を聞いた事は無いだろう。
ましてや天籟を聞くことは出来ないだろう」
と話しました。

これについて子遊が問うと
「大地の吐く息、それを風と呼ぶ…」
と風によって奏でられる大自然の響きを説きます。

「地籟は地上の穴が和して発する音楽、
人籟は人が楽器でかなでる音楽。
ならば天籟はどういうものですか」

と子遊に尋ねられた子綦は
「天籟とは、人籟、地籟を超えた宇宙の音楽
で、地球上の万物があるがままに調和している姿。
自他の区別を超えて空(くう)になりきる時
人間は限りない調和の世界に入ることができる」
と説きました。

珠光の唱えた、我慢我執を捨て去った茶の湯の境地
「天籟」とはこれに通ずる姿に他なりません。

ご先代は、この心を持って茶の湯の稽古に臨んでほしいと
いう願いで、この字を書かれました。

鏡にうつる姿を整え、同時に目には見えない心も整えて
道場に入ってもらいたい
そんな願いが込められています。

平成27年度 遠州茶道宗家 稽古照今

2015-1-9 UP

1月9日 (金)平成27年度 遠州茶道宗家  稽古照今
点初め(たてぞめ)

ご機嫌よろしゅうございます。

いよいよお茶の新年の行事
点初めが始まります。

例年大勢のお客様、門人で賑わうこの点初め
一服の茶と共に、同座する皆様と
その心を通わせる
皆様に新しい年を迎えた喜びを感じていただ
けるよう宗家及び門人一同精一杯のおもてなしで
皆様をお迎えしています。

さて、お家元に点初めに向けて一言頂きました。

「昨年は映画『父は家元』を皮切りに、
茶道テディベアなど、様々な分野との交流を持ち
遠州流茶道の幅を広げてきました。
今年はそれに満足せず、更に新しい事に
挑戦する姿勢を持ちたいと思います。
その心構えを点初めの掛け物で表したいと
思っています。
その一方御題の「本」に基づき、
茶の湯本来の源を探究してゆきたいと思っております。」

点初めにお越しになる皆様
是非お家元のお話に注目して新年初の
お茶をお楽しみ下さい。【