七里の渡し

2020-6-26

さて、海路を進んだ遠州一行。
次の桑名宿まで船でわたり、その距離は七里(約27キロ)となります。
そのため同地は「七里の渡し」と呼ばれました。
京都や大阪に向かう人、お伊勢詣出の利用もあり大変賑わってたようです・
陸路の路もないわけではありませんが、こちらを通って桑名まで向かうには一日がかり。
海路を通ることで、天候にもよりますが4~6時間で到着することができたそうです。
とはいえ海難事故もしばしば発生し東海道の難所でもあったようで、やはりまだこの当時の旅は危険と隣り合わせでした。
渡り切った先の桑名は江戸から42番目の宿場町で、旅籠では宮宿に次ぐ2番目に大きい宿場でした。

徳川義直と名護屋城

2020-6-21

義直公は徳川家康公の九男で、尾張徳川家の初代。 関ヶ原の戦いが慶長5年9月15日、そして11月28日に生をうけました。 6歳で元服、その翌年の慶長12年(1607)に尾張国の大名となります。 いまだ勢力を持つ大坂の秀頼や豊臣家臣の牽制のため、大坂と江戸を結ぶ東海道の中間点である尾張に徳川の砦を築く必要があり、家康は名古屋城の築城を開始。 そしてこの名古屋城の天守閣は慶長17年(1612)遠州公が作事奉行をつとめています。 家康公が亡くなった後、母御亀の方と共に1616年に名古屋城に入ります。 そのご縁もあってでしょうか。旅日記では尾張の国主である義直に手厚くもてなされ、船の用意もいただいてのお見送りでした。 このとき義直公21歳。義直公は学問を好み、儒学を奨励したといわれています。 名古屋城は昭和5年にお城では初めての国宝に指定されましたが、第二次世界大戦の名護屋空襲で焼失、市民の多数の寄付により1957年にコンクリートで再建。2018年には本丸御殿の復元が完成し公開されています。 https://www.nagoyajo.city.nagoya.jp/

熱田神宮と宮

2020-6-12

里の名もこゝはあつたの 宮なれば けふより冬の 神無月哉 10月・神無月には、八百万の神様が出雲大社に集まり話合いが行われるといわれています。 そのため、たどり着いた熱田神宮では神様もお留守であろうと、御参りせずに進んだ遠州公。 熱田神宮は113年創建、三種の神器の一つである草薙神剣を神体とする天照大神が御祭神です。 「宮」と呼ばれるこの場所は、現在の名古屋市熱田神宮の門前町の名です。 この当時は現在の地形とは異なり、熱田神宮の前は海であったそうで、東海道唯一の海路であり、船着き場としても栄えていました。 また御三家・尾張徳川家のお膝元でもあり、東海道随一の繁栄を見せたといわれています。