遠州公ゆかりの茶陶「高取焼」②

2018-7-31

ご機嫌よろしゅうございます。
本日は八山氏のインタビュ―の続きです。

目跡から紐解いていきますと、その数は
ほとんどが4つで高取においてもそのすべては
4つ目跡です。
初代の義理の父親である井戸新九郎の作って
いたものには3つ目跡もあります。
朝鮮半島の南側特に海沿いの窯場では
そのほとんどが目跡は5つです。
これは茶人が好んだ奇数を意識して作ったので
ありましょう。
山側の加耶山周辺(黒田軍と加藤軍が進軍した
ルート)は4つか3つ目跡です。この地には
八山里(パルサンリ)という地名も存在します。
義父は加藤軍にそして初代は黒田軍に従って
おりますので、その共通したルートに初代の
ふるさとが存在していることでありましょう。
黒田軍は漢城(現在のソウル)までしか進軍
しておりませんので、南側であることは明らかです。
しかし加藤軍が捕えた会寧の陶工集団が義父とともに
清正公の亡くなった後、黒田家に許され初代に
合流します。この会寧では唯一白釉陶器(すすきなど
の草灰・日本では藁白釉)が焼かれておりました。
その釉調などから初代は会寧の陶工なのでは
という学者がほとんどでした。

遠州公ゆかりの茶陶「高取焼」①

2018-7-30

ご機嫌よろしゅうございます。
本日は、高取焼宗家13代八山氏に高取焼の特徴などのお話を伺います。
八山さんよろしくお願い致します。

○『髙取の歴史や見どころを』、ということですので、
少し話をさせていただきます。
髙取の開窯は関ヶ原の戦いと同じ慶長5年(1600年)
でございます。
もともとは豊前宇佐の城主であった黒田家ですから、
その周辺でまず試験焼を繰り返していたのでしょう。
黒田長政公の戦功によって、筑前国に国替えとなり
その最初の窯である永満寺宅間窯で本格的に御用窯
として創業を始めます。
初代・八山がいかなる人物であったのか、
とても謎多き人物です。
当初はまだ大変若いにもかかわらず、
士分として半礼(殿様に御目通りかなう身分)
そして寺格、社格という身分まで与えられて
黒田家に従い海を渡りました。
そのルーツを探るには、当時、茶の湯道具として
最も珍重された高麗茶碗と関係が深いということは、
明らかなことでしょう。
なかでも祭祀として生まれた器である井戸茶碗が
そのルーツを探る上での要と思われます。
しかし今日まで一点として大井戸の破片すら
発見はされていません。
それほど特別な謎多き器なのです。
※次週に続きます