茶の湯にみる文様「鳳凰」

2017-7-7 UP

ご機嫌よろしゅうございます。
先週は鳳凰の棲む桐についてご紹介しました。

明の李時珍の著で本草書である「本草網目」には
鳳凰の姿を「前は鴻、後は麟、頷は燕‥」といった
様々な生物の複合体であり、天下が治るとき
その姿を現し、梧桐でなければ棲まず、竹の実でなければ
食べず、醴泉の水でなけれな飲まないと記しています。
先週ご紹介しました通り、この梧桐とは日本のアオギリの
ことを指し、中国から鳳凰の伝承が伝わった際に、
この二つが混同されてしまったことから日本の装飾文様の
多くではやむをえず梧桐に棲んでいる鳳凰です。

茶の湯の道具には砧青磁の花入で国宝「万声」、近衛家伝来の
重要文化財「千声」に代表される「青磁鳳凰耳花瓶」
が思い浮かびます。
遠州公が所持した中興名物「玳玻鸞天目茶碗」には、
向かい合う鳳凰が蝶の様な文様と共に描かれています。
裂に見る鳳凰は細かく見ると3種類ほどありますが、一括りに
「鳳凰」と呼んでいます。
昨年、能「二人静」に因んでご紹介しました「二人静金襴」
には、一対の鳳凰が向かい合わせに円形に描かれています。
また、分銅つなぎの地紋に鳳凰二羽の丸紋、宝尽しが配された
「白極緞子」は、足利義政の寵愛を受けた鼓の名手
である白極太夫が義政より賜り、鼓の袋にしたと伝わっており、
緞子の中でも特に古い裂の一つです。

今月の菓子「初ほたる」

2017-7-7 UP

hotaru

ご機嫌よろしゅうございます。
今月のお菓子は「銘・初ほたる」源太萬永堂製です。
日の暮れた沢辺、ほのかな光を放ちながら舞い飛ぶ幽玄な
夏の夜を表現したお菓子です。

夕されば蛍よりけに燃ゆれども
光りみねばやひとのつれなき 紀友則

葛に包まれた夕闇とやわらかな光が、
甘みとなって口の中に広がります。

宗家道場の床の間拝見

2017-7-7 UP

ご機嫌よろしゅうございます。
燕が日本を訪れる季節。
よく「燕が低く飛ぶと雨が降る」といわれます。
これは燕のエサとなる小さい羽のある虫は、
低気圧が近づき空気中の湿度が高くなると、
湿気が羽について体全体が重くなり
高く飛ぶことがむずかしくなって低いところを飛ぶために、
それを追うツバメも低く飛ぶようになるのです。
雨中飛燕

茶の湯にみる文様

2017-7-7 UP

ご機嫌よろしゅうございます。

6月 5日は二十四節気の「芒種」
田植えの時期がやってきました。
そして5日から10日までの七十二侯は
「蟷螂生ず」
「蟷螂」とは「かまきり」のことを表します。
蟷螂は作物を荒らす虫を補食する益虫であり、
稲作が生活の中心となる弥生時代の銅鐸の文様にも
描かれています。
中国の故事に多く登場する蟷螂
『荘子』の「人間篇」には
蝉を狙う蟷螂、その蟷螂を狙う鵲、そしてその鵲を
とろうとする荘周。
己の利しかみえず危険に気づかない自分を恥じ、
弓を落としたという話があります。
また『淮南子』の「人間訓」や『韓詩外伝』には
斉の荘公の乗る車に対し、果敢にもその斧を振り上げる
蟷螂の姿に、人間であれば必ずその名を天下に
轟かせたであろうと、その蟷螂をさけて車を通ったという
話も。退くことを知らず、前に進むのみの蟷螂の姿から
弱い者が、自分の能力をわきまえず、強い者に
立ち向かうことを表した四字熟語として「蟷螂の斧」
と言いますが非力な者でも、ときによっては強敵に
身を捨てて立ち向かわなねばならない時がある
という意味で肯定的にも使われます。
この故事にになんで車軸釜の鐶付には、蟷螂の鐶付が
ついているものもあります。
また、東京国立博物館所蔵の「色絵 月に蟷螂文茶碗」
は、江戸時代の永楽保全作で、こちらに向って
草につかまり、鎌を振り上げる蟷螂は愛らしくもあります。

水無月

2017-7-7 UP

ご機嫌よろしゅうございます。
6月は水無月とも言いますが、
梅雨時に水が無い?
と違和感を覚える方もいらっしゃるのではないでしょうか?

この名の由来としては、
そもそも「無」が「無い」ということを表すのではなく、
「の」を表すとする説があります。
また田植えをするとき、田んぼに水をはるので、
「水張り月」といったことから「みなづき」
になったとする説や、
旧暦の6月は現在の暦の7月上旬から8月上旬頃
にあたり梅雨が終わり、真夏の暑い時期であることから
とする説など諸説あります。
いずれにせよ水が人間にとって
大切であったことが伝わります。

梅雨入と入梅

2017-7-7 UP

梅雨入と入梅

ご機嫌よろしゅうございます。
爽やかな5月もそろそろ終わりを迎え、
6月にはいると梅雨の季節を迎えます。
昔は「入梅」は立春から数えて135目とされていましたが、
現在では太陽の黄経が80度に達した日で、
芒種から数えて5日目頃の最初の壬(みずのえ)の日を
「入梅」と呼ぶようになりました。
これは、壬が陰陽五行で最も水の気の強い性格を
もつことからだとか。
ちなみに今年の入梅は6月11日です。
またこれとは別に「梅雨入り」は実際に梅雨の期間に
入ることを指す気象用語で、日にちは毎年異なります。
この頃は大雨による被害が起きやすい時期であることから、
天候経過と1週間先を見越して、気象庁が「梅雨入り」と
「梅雨明け」を発表するのだそうです。

茶の湯に見られる文様

2017-7-7 UP

ご機嫌よろしゅうございます。
毎年5月15日に行われる葵祭は京都の春の風物詩です。
花で飾られた牛車や、輿に乗った斎王代を中心にした行列が、
御所を出て下鴨神社から上賀茂神社を巡幸する雅な様子は
平安の昔を今にみるかのようです。

「源氏物語」の「葵」の帖では、源氏の正妻である葵の上と
六条御息所が、見物の場所をめぐっての車争いが引き起こされます。
車とは貴族が乗る牛車で「御所車」と呼ばれ、後世「源氏物語」の
世界を象徴するものとして、文様として多く描かれました。
草花や流水と組み合わせた華やかな文様は振袖や打掛にも
描かれます。しかしそういった華やかさだけなく、
車の廻るがごとく、人の世は巡り巡るもの・儚いものとした、
車輪を人生になぞらえた無常観を表すものとしての文様、
また仏の道である法輪を象徴するものとしてもとらえられます。

御所車の車輪は木でできていているため、乾燥やひびを防ぐため、
川の流れに浸し置かれました。
そうした当時の光景を文様化した「片輪車文様」は、
水の流れに任せて回転する車と流転する人生とが重ね合わされ
無情感や日本的世界観が構築されていきました。
「片輪車蒔絵螺鈿手箱」は装飾経を収める経箱として
用いられたと言われていますが、その文様に託された隠喩が
関係するのでしょうか。
この図柄を原羊遊斎に模させた松平不昧共箱「蒔絵錫縁四方香合」
があります。また志野や織部にも片輪車を描いたものは多く、
「織部片輪車星文四方鉢」や、赤地に緑釉をかけた珍しい織部に
「山路」と銘をもつ茶碗がありこれにも水辺に上部のみ
姿を見せる片輪車が描かれています。