ご機嫌よろしゅうございます。
先週は鳳凰の棲む桐についてご紹介しました。
明の李時珍の著で本草書である「本草網目」には
鳳凰の姿を「前は鴻、後は麟、頷は燕‥」といった
様々な生物の複合体であり、天下が治るとき
その姿を現し、梧桐でなければ棲まず、竹の実でなければ
食べず、醴泉の水でなけれな飲まないと記しています。
先週ご紹介しました通り、この梧桐とは日本のアオギリの
ことを指し、中国から鳳凰の伝承が伝わった際に、
この二つが混同されてしまったことから日本の装飾文様の
多くではやむをえず梧桐に棲んでいる鳳凰です。
茶の湯の道具には砧青磁の花入で国宝「万声」、近衛家伝来の
重要文化財「千声」に代表される「青磁鳳凰耳花瓶」
が思い浮かびます。
遠州公が所持した中興名物「玳玻鸞天目茶碗」には、
向かい合う鳳凰が蝶の様な文様と共に描かれています。
裂に見る鳳凰は細かく見ると3種類ほどありますが、一括りに
「鳳凰」と呼んでいます。
昨年、能「二人静」に因んでご紹介しました「二人静金襴」
には、一対の鳳凰が向かい合わせに円形に描かれています。
また、分銅つなぎの地紋に鳳凰二羽の丸紋、宝尽しが配された
「白極緞子」は、足利義政の寵愛を受けた鼓の名手
である白極太夫が義政より賜り、鼓の袋にしたと伝わっており、
緞子の中でも特に古い裂の一つです。
ご機嫌よろしゅうございます。
今月のお菓子は「銘・初ほたる」源太萬永堂製です。
日の暮れた沢辺、ほのかな光を放ちながら舞い飛ぶ幽玄な
夏の夜を表現したお菓子です。
夕されば蛍よりけに燃ゆれども
光りみねばやひとのつれなき 紀友則
葛に包まれた夕闇とやわらかな光が、
甘みとなって口の中に広がります。
ご機嫌よろしゅうございます。
燕が日本を訪れる季節。
よく「燕が低く飛ぶと雨が降る」といわれます。
これは燕のエサとなる小さい羽のある虫は、
低気圧が近づき空気中の湿度が高くなると、
湿気が羽について体全体が重くなり
高く飛ぶことがむずかしくなって低いところを飛ぶために、
それを追うツバメも低く飛ぶようになるのです。
ご機嫌よろしゅうございます。
6月 5日は二十四節気の「芒種」
田植えの時期がやってきました。
そして5日から10日までの七十二侯は
「蟷螂生ず」
「蟷螂」とは「かまきり」のことを表します。
蟷螂は作物を荒らす虫を補食する益虫であり、
稲作が生活の中心となる弥生時代の銅鐸の文様にも
描かれています。
中国の故事に多く登場する蟷螂
『荘子』の「人間篇」には
蝉を狙う蟷螂、その蟷螂を狙う鵲、そしてその鵲を
とろうとする荘周。
己の利しかみえず危険に気づかない自分を恥じ、
弓を落としたという話があります。
また『淮南子』の「人間訓」や『韓詩外伝』には
斉の荘公の乗る車に対し、果敢にもその斧を振り上げる
蟷螂の姿に、人間であれば必ずその名を天下に
轟かせたであろうと、その蟷螂をさけて車を通ったという
話も。退くことを知らず、前に進むのみの蟷螂の姿から
弱い者が、自分の能力をわきまえず、強い者に
立ち向かうことを表した四字熟語として「蟷螂の斧」
と言いますが非力な者でも、ときによっては強敵に
身を捨てて立ち向かわなねばならない時がある
という意味で肯定的にも使われます。
この故事にになんで車軸釜の鐶付には、蟷螂の鐶付が
ついているものもあります。
また、東京国立博物館所蔵の「色絵 月に蟷螂文茶碗」
は、江戸時代の永楽保全作で、こちらに向って
草につかまり、鎌を振り上げる蟷螂は愛らしくもあります。
ご機嫌よろしゅうございます。
6月は水無月とも言いますが、
梅雨時に水が無い?
と違和感を覚える方もいらっしゃるのではないでしょうか?
この名の由来としては、
そもそも「無」が「無い」ということを表すのではなく、
「の」を表すとする説があります。
また田植えをするとき、田んぼに水をはるので、
「水張り月」といったことから「みなづき」
になったとする説や、
旧暦の6月は現在の暦の7月上旬から8月上旬頃
にあたり梅雨が終わり、真夏の暑い時期であることから
とする説など諸説あります。
いずれにせよ水が人間にとって
大切であったことが伝わります。
梅雨入と入梅
ご機嫌よろしゅうございます。
爽やかな5月もそろそろ終わりを迎え、
6月にはいると梅雨の季節を迎えます。
昔は「入梅」は立春から数えて135目とされていましたが、
現在では太陽の黄経が80度に達した日で、
芒種から数えて5日目頃の最初の壬(みずのえ)の日を
「入梅」と呼ぶようになりました。
これは、壬が陰陽五行で最も水の気の強い性格を
もつことからだとか。
ちなみに今年の入梅は6月11日です。
またこれとは別に「梅雨入り」は実際に梅雨の期間に
入ることを指す気象用語で、日にちは毎年異なります。
この頃は大雨による被害が起きやすい時期であることから、
天候経過と1週間先を見越して、気象庁が「梅雨入り」と
「梅雨明け」を発表するのだそうです。
ご機嫌よろしゅうございます。
毎年5月15日に行われる葵祭は京都の春の風物詩です。
花で飾られた牛車や、輿に乗った斎王代を中心にした行列が、
御所を出て下鴨神社から上賀茂神社を巡幸する雅な様子は
平安の昔を今にみるかのようです。
「源氏物語」の「葵」の帖では、源氏の正妻である葵の上と
六条御息所が、見物の場所をめぐっての車争いが引き起こされます。
車とは貴族が乗る牛車で「御所車」と呼ばれ、後世「源氏物語」の
世界を象徴するものとして、文様として多く描かれました。
草花や流水と組み合わせた華やかな文様は振袖や打掛にも
描かれます。しかしそういった華やかさだけなく、
車の廻るがごとく、人の世は巡り巡るもの・儚いものとした、
車輪を人生になぞらえた無常観を表すものとしての文様、
また仏の道である法輪を象徴するものとしてもとらえられます。
御所車の車輪は木でできていているため、乾燥やひびを防ぐため、
川の流れに浸し置かれました。
そうした当時の光景を文様化した「片輪車文様」は、
水の流れに任せて回転する車と流転する人生とが重ね合わされ
無情感や日本的世界観が構築されていきました。
「片輪車蒔絵螺鈿手箱」は装飾経を収める経箱として
用いられたと言われていますが、その文様に託された隠喩が
関係するのでしょうか。
この図柄を原羊遊斎に模させた松平不昧共箱「蒔絵錫縁四方香合」
があります。また志野や織部にも片輪車を描いたものは多く、
「織部片輪車星文四方鉢」や、赤地に緑釉をかけた珍しい織部に
「山路」と銘をもつ茶碗がありこれにも水辺に上部のみ
姿を見せる片輪車が描かれています。