3月 6日 (金)遠州公所縁の地を 巡って

2015-3-6 UP

3月 6日 (金)遠州公所縁の地を 巡って
「 伏見六地蔵の地」

ご機嫌よろしゅうございます。

文禄4年 遠州公が十七歳の時に、君主・秀保が
急死、父、新介は秀吉の直参となり、
伏見六地蔵に居宅を移します。

現在の伏見の六地蔵尊の南側百メートル
あたりに屋敷があったと思われます。

この屋敷には寛永二年(1625)遠州公四十七歳
に伏見奉行屋敷が出来るまで居宅として
使われていたようです。

さて、京都では六地蔵巡りという行事があります。
この伏見の地蔵尊をはじめ、計六ヶ所の地蔵を巡礼する
というものです。
慶雲2年(705)藤原鎌足の子、
定慧によって創建された大善寺、
その地蔵堂に安置する地蔵菩薩立像は、平安時代の初め、
小野篁(おののたかむら)が、一度息絶えて冥土へ行き、
そこで地蔵尊が苦しむ人々を救う姿を見ます。
その後蘇った後に、一木から刻んで六体の地蔵を掘り
祀ります。
当初、ここに六体の地蔵尊が祀られていため
「六地蔵」の名がつきました。
その後、平清盛が都に通じる主要街道の入口に
残り五体を分祀し、これらの地蔵を巡拝する
六地蔵巡りの風習が生れました。

3月4日 (水) 遠州流茶道の点法

2015-3-4 UP

3月5日 (水) 遠州流茶道の点法
硯屏(けんびょう)

ご機嫌よろしゅうございます。

書院飾りや、違棚などに飾られる硯や筆などの
文房具。これらは室町中期頃の書院式茶の時代から
見られる飾りですが、その中に硯屏(けんびょう)
とよばれる文房具があります。

これは硯の前に立てて、埃や風などが硯に入らないよう
にする小さな衝立のようなものです。

侘び茶の大成により、書院式茶は一時すたれ、
文房具飾りなども姿が見えなくなっていましたが、
遠州公がこの書院茶を復興。書院飾りも再び用いる
ようになったのです。

遠州流茶道では遠州公が考案し、この硯屏を
取り入れたお点法があります。
初入りに文房具飾りをし、濃茶の時にこの硯屏を
用いてするお点法です。

茶道法典では、釣釜と共に紹介されているため
この時期のお点法と思っていらっしゃる方
も多いようですが、本来は四畳半切の普通の濃茶で
使用し、炉開きの頃から4月まで季節を問わず行える点法です。

明日は三月三日

2015-3-2 UP

3月2日 (月)明日は三月三日

ご機嫌よろしゅうございます。

明日は三月三日雛祭りですね。
中国の習俗が伝わり、少女の健やかな健康を
祝う行事へと変化した雛祭りですが、
陰暦の三月三日には「踏青」という行事も
行われていました。

これも中国から渡ってきた行事で、
野原に出かけ、青草を踏んで遊ぶという
今で言えばピクニックのような行事で
陰暦初春から中春にあたる
正月七日・二月二日・三月三日に行われました。

江月和尚が、遠州公の次男である権十郎篷雪の
道中傘と杖の絵に賛をした軸が残っています。
その讃に

上巳佳辰在武陵(じょうみのかしんぶりょうにあり)
芒蛙徒破本無能(ぼうあいただにやぶれてもとむのう)
今朝知禰踏青節(こんちょういよいよとうせいせつをしる)
埜草深中且過僧(やそうしんちゅうかつかそう)

三月三日客武州野     求愚作者也

とあります。
ちょうど三月三日に江戸にいた江月和尚が
踏青節の故事にちなんで友人と青草を踏み
遊宴されたのでしょう。