南坊録

2014-11-30

11月 30日 南坊録

ご機嫌よろしゅうございます。

今日は黒田藩立花実山の編著といわれている
「南坊録」のお話しをしたいと思います。
月  日に立花 実山についてお話しをしました。

黒田忠之の江戸参勤の折、共をしていた実山が
利休の言葉を伝える伝書なるものを見せられ、
その後実山が書き写したとされる「南坊録」

以前は利休の教えを伝える第一の書とされていましたが、
記載年号の間違いや、南坊という禅僧の存在の確証がないこと
などから、実山の作った偽書との疑いがもたれていました。

書中あるエピソードのなかには、利休が実際に話したこともあると思われますが
利休没後100年に実山が、乱れた茶の湯の世界を
憂い、実山の思い描く利休像が投影されて
いるとも考えられます。
今後の研究が待たれるところです。

松岡正剛氏の千夜千冊にも「南坊録」について
詳しく書かれています。
よろしければこちらもご覧下さい。

清水道閑(しみずどうかん)

2014-11-29

11月 29日 清水道閑(しみずどうかん)

ご機嫌よろしゅうございます。

今日は安土桃山・江戸初期の茶人である
清水道閑についてご紹介します。

1579年生まれ、遠州公と同じ年になります。
茶湯を遠州公とともに古田織部に学び、その後も
遠州公に茶を学ぶなど深い親交がありました。
その縁から遠州公の推薦で仙台藩に招聘され、
伊達政宗に五百石をもって茶頭に召し抱えられます。

出仕に際して遠州公が、「猿若」という銘の
茶入を贈ったことは有名です。
・  ・
とどめ さる わか れよ君か袖のうちに
我たましひを入れてこそやれ

猿若と呼ばれていた道閑にその言葉を織り込んだ歌を
添えています。

後に藩命で二代目道閑が石州に入門し、
その後石州流清水派が創立します。

慶安元年(1648)の11月29日69才で亡くなります。

遠州流の茶筅

2014-11-28

11月 28日 遠州流の茶筅

ご機嫌よろしゅうございます。

一昨日遠州流の柄杓のお話しを致しました。
今日は茶筅のお話しを。

ほとんどのお道具は、季節が変わると、
それに合わせて大振りのもの小ぶりのものに
改めますが、茶筅は大きさを変える必要なく
通年使える茶道具です。

そして他の道具のような華やかさはありませんが
代用のきかない、重要な茶道具です。
煤竹・白竹など茶人や流儀の好みによって、様々な
色合いや穂先の形の茶筅があります。

遠州流の茶筅は白竹を使い、穂先の根元をかがる黒い糸の
結び目を見ると穂の内側で結ばれているのがわかります。
これは大変難しい技術ですが大きな特徴となっています。
ほとんどのお流儀ではこの結び目が表にでているので
遠州流の茶筅との見分け方はここをみれば
すぐわかります。

遠州公を流祖とする大名茶ならではの
手がこんだ茶筅です。

遠州好み「几帳面取り」

2014-11-27

11月 27日 遠州好み「几帳面取り」

ご機嫌よろしゅうございます。
今日は遠州好みのお話しを。

遠州公が好んで作った道具には瀟洒で繊細な
形のものが多いですが、その印象を形作る
ものの一つに「几帳面取り」があります。

「几帳面」とは
器具の細工で、角をとって半円形のきざみをいれたもの。
几帳の柱に使ったことからいう。(「角川国語辞典」)

方形の角を撫で角に削り、その両側に段をつけたもの。
もと几帳の柱に多く用いたから。(「広辞苑」)

几帳面の言葉もここから由来するものですが、
遠州公の好んだ道具、特に炉用の棚などに
はこの「几帳面取り」の細工が多く見られます。
指で触らないとわからないくらいの繊細なものですが、
これを施すことによって、丸みがでて優しい
印象になるのです。

遠州好みの棚を見る機会がありましたら
柱を是非じっくりご覧になってみてください。

遠州流の柄杓

2014-11-26

11月 26日 遠州流の柄杓

ご機嫌よろしゅうございます。

炉を開いてそろそろ一ヶ月。
お茶のお稽古をなさる方は、風炉のお点法から
炉の点法にようやくなれた頃でしょうか。

炉の季節になると、釜や水指、色々なものが
風炉に比べてやや大振りになります。
柄杓は・・・

遠州流の柄杓は他のお流儀で使用されているもの
より、大きく、一杯でおよそ5人分の濃茶を
点てることができます。

そしてお茶を練っている途中
その加減をみてお湯を加えるお流儀もありますが
遠州流では、お茶の香りをなるべく損なわない
ようにするため、加え柄杓をしないのです。

近衛信尹

2014-11-25

11月 25日 近衛信尹

ご機嫌よろしゅうございます。
今日は江戸初期の公家・近衛信尹について
ご紹介したいと思います。

某人気コミックスで、豊徳合体を目指す織部が、
禁中で反徳川に燃える旗頭、前関白・近衛信尹を
「カリ」(今のカレー)でもてなすという
シーンが描かれていました。
この当時「カリ」が既にあったのかは謎ですが…

近衛信尹は関白や左大臣など歴任した重臣で、
後水尾天皇の生母の兄にあたります。

幼少時は武家との交流が深く、また織田信長に
可愛がられたこともあり公家社会に馴染めず
苦しみました。

朝鮮出兵の際、自らも朝鮮に向かおうとし
後陽成天皇の怒りを買い、薩摩に配流されるなど
波乱の多い人生だったようです。

若き日の松花堂昭乗が信尹に仕えていた時期もあります。
能書家として知られ、一派を形成し、近衞流、
または三藐院流と称されます。
本阿弥光悦、松花堂昭乗とともに
「寛永の三筆」に数えられる人物です。

慶長19年(1614)11月25日に亡くなります。

椿

2014-11-24

11月 24日 椿

ご機嫌よろしゅうございます。

今日は旧暦の亥月亥日です。
風炉から炉の季節に変わり、床を彩る花も
草花から椿へ。

特にこの口切の季節には、白玉椿とよばれる
白くふっくらとした椿を入れることが
慣例となっています。
遠州公の時代にも白玉椿か、薄い色の
椿を使用した例が残っています。

この立派な椿を入れる花入も
やはり格調高い古銅や青磁などを用いて
茶の正月といわれる炉開きに清々しさを
与えます。

また、炭斗で使われる瓢の用意がない時などは
その代わりに、瓢の花入を用いることもあり、
遠州公が作った瓢の掛け花入も残っています。

勤労感謝の日

2014-11-23

11月 23日 勤労感謝の日

ご機嫌よろしゅうございます。
今日は11月23日 勤労感謝の日
祝日です。

勤労感謝の日は、
「勤労をたっとび、生産を祝い、
国民たがいに感謝しあう」

という精神のもと1948年に制定されました。
これは戦前の「新嘗祭」の日を、そのまま
「勤労感謝の日」に改めたものと言われています。

「新嘗祭」は、古くから行われてきた重要な祭儀で
天皇が、その年にとれた新穀を天神地祇に供え、
農作物の収穫に感謝するとともに、
自らも初めて召し上がります。

同時に全国の農山漁村や、それぞれの地方で
神社に新穀を捧げ、その年の収穫を
神々に感謝し、収穫を喜び合う
全国民的な祭典でした。

そういう意味をもう一度考えて
今日は勤労、生産を祝うと共に、
毎日いただく米や野菜、食べ物への
感謝の気持ちも持ちたいと思います。

小雪(しょうせつ)

2014-11-22

11月 22日 小雪(しょうせつ)

ご機嫌よろしゅうございます。
今日は二十四節気の「小雪」に当たります。

立冬から数えて15日目頃にあたり、
日差しもしだいに冬らしくなり、
鮮やかに染まった紅葉も
散り始める頃です。
逆に銀杏や柑橘類は黄色く色づき始めます。

暦便覧には
冷ゆるがゆえに、雨も雪となりてくだるがゆえなり

と記されています。
暦の上では、雪も降り始め本格的な冬を迎える頃、
東京ではこの時期雪をみることはなかなかありませんが、
北の地域では初雪の便りが聞声始めていますね。

一休宗純

2014-11-21

11月 21日 一休宗純

ご機嫌よろしゅうございます。
今日は頓知でおなじみの一休さんについての
お話しをしたいと思います。

ボサボサ頭に、ボーボーの髭
一休宗純は後小松天皇の御落胤とも言われていますが、
室町時代、風狂の精神の下で、形骸化した政治や仏教を
風刺するなど、形式にとらわれない行動と
人間らしい生き方が庶民の評判となります。

侘び茶の創始・村田珠光(じゅこう)も一休の門下になりました。
修行を行う中、「仏法も茶の湯のなかにあり」
という一休の教えを受け「茶禅一味」(茶も禅も同じ)
の悟りに達しました。

茶の湯だけではなく、花や連歌などをする多くの
文化人が一休の下に集い、その影響を受けたと
言われています。

一休が臨終の際に、弟子に
「これから先、どうしようもないくらい
困難なことが起きたら開けなさい。」
と、手紙を渡しました。

いよいよその時、弟子が手紙を開けると
中に書かれていた言葉は
「心配するな。大丈夫。 なんとかなる。」
だったとか。

文明十三年(1481)十一月二十一日の今日
八十八歳で亡くなります。