8月10日 柴田勝家と茶道具
ご機嫌よろしゅうございます。
今日は日曜日ですので、官兵衛の時代のお話を。
浅井家滅亡後、信長の妹お市の方を妻とし
信長が倒れて後に、秀吉と対立する柴田勝家。
勇猛な武将とされていますが、秀吉に先んじて
刀狩りのような取り組みもしていたり、智将でもありました。
柴田勝家といって思い浮かぶ茶道具といえば
柴田井戸、そして芦屋姥口釜(あしやうばぐち)です。
侘び茶の流行した当時
野生的なたくましさのある高麗茶碗、とりわけ
井戸茶碗は武将にとても好まれました。
その名品を信長より拝領し、後に柴田井戸と呼ばれ、
現在は根津美術館に所蔵されています。
昨年、同館で開催された井戸茶碗の展覧会でも展示され、
記憶に新しいところです。
また勝家は、織田家に伝わる秘蔵の姥口の釜を所望して
いましたが、信長もこれは手放すのが惜しかったのか
なかなか拝領できず、数年して越前平定後、
こんな歌とともに与えられました。
なれなれて添ひあかぬ仲の姥口を
人に吸はせんことをしぞおもふ
8月 9日 遠州公の愛した茶入
「唐大海(からたいかい)」
ご機嫌よろしゅうございます。
本日は遠州蔵帳所載の茶入「唐大海」を
ご紹介します。
大海とは大振りで口が広く、内側が大きいので
それを海に例えたことからこう呼ばれています。
唐物大海茶入を所有していたうちの一つで
遠州公自身が「唐大海」と箱書きしています。
小堀家に代々伝わり、八世宗中の時代
尾関文右衛門の懇望により譲り、
その後木津宗隆、松井左兵衛と伝わり、
現在は香雪美術館に収蔵されています。
8月8日 遠州公と抹茶
ご機嫌よろしゅうございます。
今日はお抹茶のお話を。
抹茶の銘には「~の昔」「~の白」という名前が
よくつけられているのをご存知でしょうか?
遠州公の師匠である古田織部は、
抹茶の色をヨモギ餅の緑色(青)を見てより鮮やかな色にしようと
抹茶を作る際、茶葉を少し茹でることにしました。
これを「青茶」などと呼びます。
こうすることで見た目は綺麗な緑になるのですが、
香りがなくなり味が多少落ちてしまいます。
そこで遠州公は茹でない以前の製法に戻しました。
この製法で出来た抹茶は「青茶」に比べて白っぽいため
「白茶」と呼ばれました。
現在抹茶として製造されているものはこの「白茶」で
昔の製法に戻ったことから「~の昔」「~の白」
という銘がつけられることが多いというわけです
8月 7日立秋(りっしゅう)
秋きぬと目にはさやかにみえねども
風の音にぞおどろかれぬる
ご機嫌よろしゅうございます。
まだまだ暑さ真っ盛りですが、
暦の上では今日が立秋、秋になります。
先ほどの歌は古今集の秋歌上のはじめに
おかれている藤原敏之の歌です。
詞書には「秋立つ日によめる」とあるように
立秋の日の歌で
秋になった兆しは、まだ目に見えないけれども、
風の音の中にその気配を感じて驚いた
という意味の歌。
当時の人も、立秋の日に同じように感じていたのですね。
立春からちょうど半年が経過したことになり
この立秋から立冬の前日までが秋となります。
暑中見舞いも立秋を境に残暑見舞いに。
暑い夏もあと少しと思って名残を惜しみたいですね。
8月 6日 解夏
ご機嫌よろしゅうございます。
今日は「解夏」という言葉について
なんと読むかお分かりになりますか?
正解は「げげ」
夏が解けるとは一体どのような意味でしょう?
これは仏教用語で
夏の一時期、僧達が籠って修行する
安居(あんご)が明ける日
のことを指す言葉です。
迷いの中にいるものが、
迷いを抜けた瞬間にみる
強い夏の光
そんな印象が残ります。
小説「解夏」という題名の小説を
さだまさしが書いています。
8月5日 虫干し
ご機嫌よろしゅうございます。
梅雨が終わり湿度が下がる7月から8月下旬
しまっておいた着物や書籍、掛物などを
陰干しして虫がついたりカビがつくことを防ぎます。
これを「虫干し」といい、湿気のある日本ならではの
習慣です。
夏の土用の頃にあたることから土用の虫干し
とも言われています。
秋の虫干しは十月下旬から十一月下旬が一般的なようです。
整理も兼ねてと手をつけてみると
しまいこんで忘れてしまっていたものを
思いがけず見つけ、こんなものもあったか
としばし読みふけってしまうこともありませんか?
虫干しはよく晴れた日の午前十時から午後二時
くらいまでに行うのが良いようです。
皆さんも是非なさってみて下さい。
8月4日 権十郎篷雪命日
ご機嫌よろしゅうございます。
今日は権十郎篷雪の命日です。
寛永二年(1625)遠州公の次男として生まれ、
後に小堀を改めて小堀家と所縁の深い浅井姓を称し、
権十郎篷雪と称しました。
兄の大膳宗慶とは5歳離れた弟になります。
正保四年(1647)遠州公が没すると、
父の遺領のうち近江国浅井郡の千石を分地されました。
茶会でもよく名を目にする通り、
道具の目利きに優れていたので、その鑑定眼にかなった
道具の箱書が多く伝来しています。
元禄七年(1694)8月4日江戸でなくなります。
70歳でした。
8月3日 明智光秀(あけちみつひで)
ご機嫌よろしゅうございます。
今日は日曜となりましたので
官兵衛の時代のお話しを。
主君信長に反逆する裏切り者としての
一面が目立つ光秀ですが、文武両道で
和歌・茶道の嗜みも深い文化人でした。
天正十年(1582)
6月に本能寺の変の起こる年ですが、
この年の正月7日の朝、
光秀は山上宗二と津田宗及を招き、
茶会を開いています。
床の間には信長直筆の掛物
通常床の間に掛ける掛物は墨跡や唐絵、古歌など
を掛けることが一般的でした。
主君の筆による掛物を飾り、恩恵に感謝していた
ように感じられます。
この数ヶ月後、その主君を討つことになるとは
当時の光秀は思いもよらなかったのではないでしょうか。
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8月2日 ねぶた
ご機嫌よろしゅうございます。
この時期、青森では有名な「ねぶた祭り」が
行われます。
このねぶたの由来は諸説あるようで
もともとは酷暑でたまった疲れや眠けを、
秋の農繁期の前に水に流そうという
「眠り流し」の行事だとされています。
これに七夕祭りの灯籠流し、送り火の要素が加わって
現在の形につながったようです。
歴史上の人物をかたどった巨大な張り子の
中に灯りをともし、笛や太鼓の音と共に練り歩く
姿は迫力満点です。
賑やかな練り歩きと張り子の灯りも、もとは眠けを
飛ばすためのもの。
その狙い通り、夜の静けさを吹き飛ばす人々の熱気が
今年も祭りを包みます。
ねぷた(弘前)についてはまた改めてお話したいと思います。
8月1日 八朔(はっさく)
ご機嫌よろしゅうございます。
今日から8月。
8月は「葉月」とも言われ、
木の葉が紅葉して落ちる月ということから
「葉落ち月」「葉月」となったという説があります。
また8月1日には
昔から農家では早稲の穂を恩人に贈って
「田実(たのむ)の祝い」といわれる
豊作祈願を行いました。
お世話になった人に贈り物をし、
よろしく「たのむ」日とされ、この風習は
後に武家にも伝わりました。
またこの8月1日に秀吉により関八州を与えられた
徳川家康が江戸入城の日でもあり、後に江戸幕府の
大事な式日、八朔御祝儀の日となりました。
この話はまた後日改めてお話したいと思います。