やさいの日

2014-8-31

8月 31日 やさいの日

ご機嫌よろしゅうございます。
きょうは8月31日、やさいの日です。

16世紀に来日したイエズス会士たちの報告には
当時の日本の食事について

―本来甚だ肥沃にして僅かに耕作することにより、
多量の米を得、即ち当国の主要なる食料なり。
又、麦、粟、大麦、カイコ豆、其の他豆類数種、
野菜は蕪、大根、茄子、萵苣(ちしゃ)のみ、
又、果物は梨、石榴、栗等あれども甚だ少なし。
肉は少なく、全国民は肉よりも魚類を好み、
其の量多く、又、甚だ美味にして佳食なり。
(永禄9年ビレラ書簡)

とあり、大根、茄子などを食べていたことがわかります。

それらももとは外来種で、日本原産の野菜と考えられるのは
フキ・ミツバ・ウド・ワサビ・アシタバ・セリなど。

白菜やトマト、玉ねぎのような
現在私たちが毎日のようにいただく野菜のほとんどは
江戸時代~明治以後に日本に入ってきたもの
ということに驚きます。

白花秋海棠(しろばなしゅうかいどう)

2014-8-30

8月 30日 白花秋海棠(しろばなしゅうかいどう)

ご機嫌よろしゅうございます。

そろそろ秋の気配もかんじられるこの頃
籠に入れる茶花も徐々に秋の風情を帯びてきます。

秋海棠というと一般的には淡紅色の花ですが
当時、信濃町にあった宗家の裏庭には
白花の秋海棠が咲いていました。

この秋海棠は八世宗中公が江戸屋敷で愛玩していた
もので、その種子を蒔いて繁殖させたものです。

淡紅色の秋海棠よりも葉の色が濃く、また葉裏の
葉脈が濃紅色で色映りが大変美しく、
また背丈も高いのが特徴です。

宗中公以来百年以上の歴史を持つ花で
近くに紅色の秋海棠が植わっているとその
色に染まってしまう性質があるため
白花は大変貴重です。

ご先代はこの白花秋海棠の写生をされています。

遠州公の白

2014-8-29

8月 29日  遠州公の白

ご機嫌よろしゅうございます。

8月8日に、遠州公が抹茶の製法を
「白茶」に戻したお話をいたしました。

そして織部の緑
これには茶人の好みが反映されています。

それぞれの茶人の好みをシンプルに色で表すとするなら
利休の「黒」
織部の「緑」
遠州の「白」
とお家元は表現しています。

全てを包有する、他の存在を許さない「黒」
己の感性を先鋭に表した「緑」
「黒」も「緑」をも受け入れることのできる「白」

利休、織部の茶は己の精神.主観性を追求するもの。
それに対して
遠州はその日のお客様に合わせて
その好み・趣向を考え、道具の取り合わせを自在に
変えるなど相手の心を映した茶でした。

オリンピック招致で話題となった
「おもてなし」の日本の心ですが、
茶の心、とりわけ
この遠州公の「白」の好みが生きているような気がいたします。

道元禅師

2014-8-28

8月28日 道元禅師

ご機嫌よろしゅうございます。

茶道は禅の精神と深い関係がありますが
今日は曹洞宗の開祖道元禅師のご命日にあたります。

若くして両親を失い、出家して後、中国に渡り
修行を積んだ道元禅師は、将軍の帰依を受けながらも
権力に染まることを拒み、
福井の永平寺でひたすら仏道に励まれます。
鎌倉時代に定着していった禅宗の規律は
茶法にも大きな影響を与えていきます。

さて道元禅師と共に中国に渡り、
帰国した陶工がいます。
この人物が加藤四郎左衛門景正(かとうしろうざえもんかげまさ)
瀬戸焼の祖といわれています。

茶入はもともと中国の小壷などが転用されて、
茶道具となりましたが、瀬戸焼が生まれ、
日本で最初から茶入として焼かれるようになりました。

初代の作を古瀬戸と呼び、名前を略して藤四郎と
いわれることもあります。

虫聞き(むしきき)

2014-8-27

8月 27日 虫聞き(むしきき)

夏の夜
虫の音が聞こえると、
暑さも少し和らぐような気がします。

東京向島の百花園では例年「虫ききの会」
が開かれます。

虫ききの会の始まりは、
天保二年(1831)
仏教の不殺生の思想に基づいて、
捕らえられた生き物を、山野や沼地に放って
供養する仏教の儀式「放生会(ほうじょうえ)」
が原型。

向島百花園では、天保二年に没した
初代佐原鞠塢(さはらきくう)を追善するために、
縁者が「放生会」を行ったことが始まりといわれ
明治には来園者が虫の音を楽しむという企画ができ
今日の夕涼みをしながら楽しむ夏の風物詩
「虫ききの会」になったそうです。

江戸後期、仙台出身の骨董商だった
佐原鞠塢(さはら きくう)が開いたのが
植物庭園「向島 百花園」です。
太田南畝や酒井抱一などの文化人が
佐原鞠塢のもとに集いました。

鶏卵素麺

2014-8-26

8月 26日 鶏卵素麺

ご機嫌よろしゅうございます。

夏になると食べたくなる素麺。
今日はその素麺の姿をした甘いお菓子
「鶏卵素麺」をご紹介したいと思います。

「鶏卵素麺」はその名の通り氷砂糖と卵黄で、
素麺状つくられたお菓子で、安土桃山時代にポルトガルから
伝来したといわれています。

江戸時代に出島で製法を学んだ松屋利右衛門が
1673年に博多に戻って販売を開始し、
延宝年間に福岡藩三代目藩主の黒田光之に鶏卵素麺を献上し
御用菓子商となったといわれています。

森八の「長生殿」、大和屋の「越の雪」に並び
日本三大銘菓の一つに挙げられることもあります。
(鶏卵素麺のかわりに「山川」が数えられることもあります。)

卵のコクと甘み、しゃりっとした食感が独特で
一度食べるともう一つ食べたくなる銘菓です。
お茶席でもいただきやすいよう、
最近では素麺を昆布で束ねた形のものも
販売されているようです。

旧暦 の8月1日

2014-8-25

8月25日 旧暦 の8月1日

ご機嫌よろしゅうございます。

今日は旧暦でいう8月1日

この日は秀吉により関八州を与えられた
徳川家康の江戸入城の日でもあり、
後に江戸幕府の大事な式日、
「八朔御祝儀の日」となりました。

江戸城は太田道灌が築城して以後、
荒廃が進んでいました。
要地からも離れ、長年徳川の領地であった
三河を発ち、入った江戸という未開の地。

天正十八年(1590)の8月1日
徳川家康が駿河から始めて江戸城に移った日、
家康とその家臣全員は白装束に身を固め、
城に入ったといいます。

この日から江戸の繁栄はスタートしたのでした。

大膳宗慶命日

2014-8-24

8月 24日 大膳宗慶命日

ご機嫌よろしゅうございます。

今日は遠州公の後を継いだ二代目大膳宗慶のお話を。

元和六年(1620)2月15日、父遠州公四十二歳の
時、藤堂高虎の娘を母として、伏見奉行屋敷で
誕生します。

小さい頃から能書の誉れ高く、そのエピソードは
4月1日にもご紹介した通りです。

茶道修業にも熱心で、父遠州公にその茶法を学び、
二十代前後で大先達の御相伴も勤めるほどでした。

公職を離れた晩年五十三歳
江戸屋敷で連日連夜に渡り33回の茶会をするなどしています。
父遠州公より受け継いだ茶道の正統を文書に残し、
諸道具の整理・遺物帳等も作成しました。

延宝二年(1674)8月24日
五十五歳で江戸屋敷でなくなります。

処暑(しょしょ)

2014-8-23

8月 23日 処暑(しょしょ)

初秋や海も青田の一みどり
芭蕉

ご機嫌よろしゅうございます。

今日は24節気でいう「処暑」
処暑とは、暑さが終わるという意味です。

『暦便覧』では
「陽気とどまりて、初めて退きやまむとすれば也」
とあります。
台風襲来の特異日ともされており注意が必要です。

とはいえまだまだ昼間は暑い日が続きますが、
朝夕は涼しい風が吹いて、
過ごしやすい日も増えてくる頃ではないかと
思います。

それにしても今年は5月から30度を超える日が
続き、夏が長く感じられます。

2014-8-22

8月 22日 あるエピソード

ご機嫌よろしゅうございます。

19日にご紹介した定家様にちなんで
エピソードを一つご紹介します。

当時大変な人気のあった定家の一幅を
なんとか手に入れようと皆必死になっていましたので
本物に混ざって定家の筆では無いものも出回っていました。

ある日、加賀前田家でも一幅手に入り、
定家様の権威である遠州公が茶会に招かれました。
遠州公がどんな批評をされるのか
襖の奥から皆注目していましたが、
とうとう茶会の最後まで遠州公はその
掛け物について何もおっしゃいませんでした。

不思議に思った前田公は、茶会の後遠州公の屋敷に
使いを出し
「先ほどの定家はいかがでしたか?」
と尋ねますと
「あれは私が書いたもので、誰かが手に入れて
定家にしてしまったのでしょう。
自分の字を褒めるわけにはいきません。」
と話されたといいます。