七夕

2014-7-12 UP

7月12日 「七夕」

ご機嫌よろしゅうございます。

今日は遠州蔵帳所載の茶入で
「七夕」の銘を持つ茶入をご紹介します。

二代大膳宗慶が
これほどの茶入は、大切にして年に一度位に取り出すの
がよいという意味で「七夕」と名付けたと言われており、
内箱書付は大膳宗慶が「七夕」と書き付けています。

遠州公の茶会記には特に記載はありません。

小堀家から神尾若狭守元珍に伝わり、その後小堀家茶道頭
和田晋兵衛の所持となり、同家に伝わりますが
大正時代中村太郎吉の所蔵となります。
「神尾蔵帳」にも記載されています。

小堀家の家紋

2014-7-11 UP

7月11日 小堀家の家紋

ご機嫌よろしゅうございます。
今日は小堀家の家紋について

皆様ご存知の「七宝花菱」は小堀家の家紋であり
正式には「花輪違い紋」と呼ばれています。

もともと小堀家の家紋は、表紋として使われていたものが
「鶴の丸」、裏紋として「丸に卍」が使われていました。
当時の武家は二つの紋を持ち、用途で使い分けていました。
それを、遠州公が改めたのが七宝花菱と言われています。
そして今では遠州流の紋としても使用されていることは5月30日にご紹介
しました。

小堀家に伝わる道具には「鶴の丸」に形どった蓋置
が残っています。

遠州公の美意識によって定められた家紋
東京国立博物館に所蔵される甲冑にも
この「花輪違い」の文様をあしらっており
「武」の中にも遠州公ならではの綺麗さびの心を
織り込んでいることが伝わってきます。

今日お参りすれば一生分の御利益あり

2014-7-10 UP

7月10日  今日お参りすれば一生分の御利益あり
四万六千日

ご機嫌よろしゅうございます。
今日は7月10日

この日には観世音菩薩の縁日が開かれます。
この日に参詣すると、四万六千日分お参りするのと
同じご利益があると言われています。
年に換算すると、約126年に相当し、一年で一生分
参詣できたことになります。

東京では浅草寺や護国寺の四万六千日が有名です。
徳川時代以来、江戸の庶民はこの日に浅草寺に詣でて
雷よけの赤玉蜀黍や、盆の草飾りのほおずきや
つりしのぶを買って帰りました。

この縁日に合わせて、現在でも境内でほおずき市が
催されており、夏にかかせない風景です。

瓢箪(ひょうたん)

2014-7-9 UP

7月 9日 瓢箪(ひょうたん)

ご機嫌よろしゅうございます。

夏になると瓢箪がその実をつけ、愛嬌ある姿を見せてくれます。

瓢箪はユウガオの変種とされ
「ひさご」とも「ふくべ」とも呼ばれ、
初夏に白い花を咲かせ、実は昔から器などにして親しまれてきました。
縦に割り、水をすくったりもされたことから
柄杓も「ひさぐ」→「ひしゃく」となり
「ひさご」から由来する言葉ともいわれています。

4月 18日にご紹介しました、遠州公の好む形としても
代表的なもので、禅の教えに通づるものがあります。

小堀家歴代の印にも瓢箪の形が用いられているのも
この教えに由来するものと考えられます。

この瓢箪という字、実は「瓢」と「箪」別々のものであることを
ご存知でしょうか?

「箪」は竹で編んだ入れ物で、これにご飯を入れ器として使う
ものでした。
「瓢」には飲み物を。これがいつしか一つになり、
瓢箪という名称になったと考えられます。
「一瓢の飲 一箪の食」という言葉もあります。

素麺

2014-7-8 UP

7月8日 素麺(そうめん)

ご機嫌よろしゅうございます。
七夕の昨夜、皆さんは何を召し上がりましたか?

朝廷ではこの日の夜の食事には、中国の故事に基づき
索餅という小麦料理を食べていました。
索には縄をなうという意味があり、
細く紐状にし、二本の縄のように合わせたものだと
考えられています。
中国では7月7日に亡くなった帝の子供が疫病を流行らせ、
その魂を鎮めるために7日の日に
好物だった索餅が供えられていました。

この索餅が奈良時代に日本に伝わり、
麦の収穫期に麦餅を作る風習とともに宮中行事に取り入れられ、
一般にも広がっていきました。

そして索餅はのちに素麺に変わり、
七夕に素麺を食ベるようになったといわれています。

また、そうめんを天の川や織姫の織り糸に見立てて、
七夕に素麺を食べるという説もあります。

この素麺の具、筆者はシーチキンを入れるのが定番です。
コクがでておいしいので必ず入れます。
皆さんのお気に入りの具はなんですか?

七夕

2014-7-7 UP

7月7日 七夕(たなばた)

ご機嫌よろしゅうございます。

今日は七夕
五節句のうちの一つです。
この夜、天の川を隔てて暮らす牽牛(けんぎゅう)と織女が、
一年で一度だけ会える日とされています。
この伝承は奈良時代に中国に伝わり、
平安時代には供え物を庭に並べ、裁縫や管弦などの上達を願いました。

七夕は、この牽牛・織女星の伝説と、
そこから発達した乞巧奠(きっこうでん)の行事に、
日本古来の「棚機つ女(たなばたつめ)」の信仰が
混ざり合って形成されたものです。

このたなばたつめは機で織った布を神におさめ、
病気や災厄が起こらないように、そして裁縫の手が上達するよう
願ったとされていて
もともと7月7日の夕方を表して七夕(しちせき)
と呼ばれていましたが、
この「棚機つ女」がもとになり「たなばた」と
呼ばれるようになりました。

例年曇りがちで、なかなか空がすっきり見られないのが
悩ましいところです。
さて、本来この七夕は旧暦の7月7日でないと星座が違ってしまいます。
従って、残念ながら実際の所
二人が会えることは極めて稀ということになります。

朝顔市が始まります

2014-7-6 UP

7月6日 朝顔市が始まります

ご機嫌よろしゅうございます。

今日から三日間、下町入谷で毎年恒例の
朝顔市が始まります。

朝顔は牽牛花(けんぎゅうか)の別名があり
七夕の牽牛・淑女の、牽牛の花と書くことから
七夕の前後の三日間、開催されるようになりました。

例年、土日は人が行き来出来ないほどの賑わいをみせ
夏の風物詩にもなるお祭りですが、
入谷の名物となったのは明治に入ってからで、
十数件の植木屋が朝顔を造り、鑑賞させたのが
はじまりといわれています。
江戸時代末期から、花粉の交配によって様々な花を咲かせる
「変わり咲き」が大変流行し、
当時は一千種類もの朝顔があったといいます。

その後、一度姿を消した朝顔市ですが、
戦後地元の人々の協力によって、
現在の朝顔市が蘇りました。

今年の朝顔市に行かれましたら
是非ご感想をお聞かせください。

遠州公の愛した茶入「瀧浪(たきなみ)」

2014-7-5 UP

7月 5日 遠州公の愛した茶入「瀧浪(たきなみ)」

ご機嫌よろしゅうございます。

本日は遠州蔵帳所載「瀧浪(たきなみ)」
についてご紹介します。

この茶入の正面に流れる釉薬の景色が
瀧浪のように見えることから
遠州公が名銘しました。

なるほどよく見ているとまるで
目の前に滝がしぶきをあげて流れ落ちるような
景色が思い浮かびます。

家臣である勝田八兵衛が
この茶入を遠州公に献じたところ、
その褒賞として青江の脇差を与えたことから
「青江(あおえ)」とも呼ばれています。

青江は豊富な鉄資源の産地である備中の刀工の一派です。

後に松平不昧公にも伝わり、
「雲州蔵帳」にも記載されています。

テディベアと遠州流

2014-7-4 UP

7月 4日 テディベアと遠州流

ご機嫌よろしゅうございます。

皆さんはテディベアご存知でしょうか?
このクマのぬいぐるみは、子供から大人まで
広く愛されています。

シュタイフ社(Steiff)は、1880年にドイツで誕生し、
世界で初めてテディベアを作りました。
職人の手作業で一体ごと丁寧に作られています。
このシュタイフ社では世界限定ベアを制作しています。

例年この限定物は瞬時に売り切れてしまうそうです。

この夏
お家元監修の茶道テディベアがシュタイフ社発売されます。

詳細はまた後日に

今回の限定テディベアは世界限定1500体。シリアルナンバーが刻まれた証明書が付いているそうです。

山開き

2014-7-3 UP

7月 3日 山開き

ご機嫌よろしゅうございます。

例年7月1日には富士山の山開きがされ、
登山愛好者の待ちに待った登山の解禁となります。

昨年、世界文化遺産認定で話題となりました富士山ですが
かつてはそれ自体が御神体であり、多くの行者が修行する
信仰の山でした。

江戸時代には富士講と呼ばれる信仰が庶民にまで広がり
参拝登山するようになりました。
白装束に身を包み、「六根清浄」と唱えながら登ります。

その山開きが
残雪などを理由に
今年から山梨側、静岡側の登山ルートで開山期間が異なり、
静岡側が7月10日からとなることが決まったそうです。

同じ山なのに登る場所によって
山開きの日が異なるとは
なんだが不思議な気がしませんか?