薬師寺 花会式

2014-3-31 UP

3月31日  薬師寺 花会式(はなえしき)

ご機嫌よろしゅうございます。
今日は奈良の薬師寺にて花会式が行われます。

正式には「修二会」といわれ、
三月末~四月の初めに七日間、
練行衆により懺悔を中心として昼夜に繰り返し行われる、
奈良・平安時代より続く行法です。

この修ニ会は奈良の色々なお寺で行われています。
例えば3月12日にご紹介した東大寺のお水取りも、
修ニ会の行事の一つ。
薬師寺修二会には十種の造花がご本尊に供えられるところから
「花会式」と呼ばれ、お水取り同様、奈良に春を告げる行事
として親しまれています。

嘉承2年(1107)に堀河天皇が皇后の病気平癒を
薬師如来に祈られ、その霊験を得て病気が回復したため、
10種類の造花を作り供えたことが
現在の華やかな「花会式」の始まりとされています。
現在の花会式においては、御家元がお献茶をご奉仕されることもあります。

また、例年 戸川宗彬先生が添釜をされていらっしゃいます。

官兵衛

2014-3-30 UP

3月30日  官兵衛  天正19年の出来事

ご機嫌よろしゅうございます。

今日は日曜日。
大河ドラマ官兵衛の時代の
遠州公のお話しを。

天正十九年(1581)
この年は、茶の湯にとっても
遠州公にとってもお大きな意味をもつ年でした。

1月22日に 秀吉の弟・秀長が亡くなります。
そして2月28日  千利休が切腹。
8月には士農工商が定められ、
身分制度が出来上がるのと同時に
下克上の時代に終わりを告げることとなります。

主君秀長が亡くなった翌年は遠州公の母
(磯野丹波守員正娘)が亡くなり
遠州公にとっても
苦難のときであったと思われます。

文禄22年15歳の遠州公は
その悲しみを乗り越えて、
大徳寺の春屋宗園禅師に参禅します。
茶道を古田織部に習うのもこの時期です。

遠州公の愛した茶入れ「凡」

2014-3-29 UP

3月29日 遠州公の愛した茶入「凡(およそ)」

ご機嫌よろしゅうございます。
今日は遠州蔵帳所載の
「凡(およそ)」をご紹介します。

不思議な名前だな?と思われるかたも
いらっしゃるかもしれません。
この茶入の姿に「凡」の字が似ているところから
遠州公がつけたと言われています。

遠州公が将軍茶道指南役の任を終え
伏見に戻ってから行った最初の茶会で使用されて
その後12回ほど使用した記録が残っています。
遠州公最晩年によく使用された茶入で
後に松平不昧の手に渡り
「雲州蔵帳」にも記載されています。

遠州公書き捨ての文

2014-3-28 UP

3月28日  遠州公書き捨ての文

遠州流の行事でしばしば
遠州公の遺訓「書き捨ての文」
を唱和する機会があります。

これは門人に茶の湯の極意を問われた遠州公が
答えたもので、わかったら捨ててしまいなさい
という意味で「書き捨ての文」という名が
ついているそうです。
遠州公が謙遜の意味で「書き捨て」とされたのかもしれません。

全文はホームページを参照していただき
こちらではその内容について触れさせていただきます。

家族を敬い
仕事に励み、友人を大切にしなさい。
四季折々の恵みを愛で、五感で味わい
心のこもった道具を選び使いなさい。
釜の煮え音を絶やさぬことを忘れずに。

遠州公の書かれたことは
決して特別なことばかりではありません。
普段通りの生活の中に、茶の湯の心が含まれている。
むしろその当たり前の日常に
茶の湯はあるのですよ。

そうおっしゃっているような気がします。
一日一日を大切に
心を豊かに過ごしたいものです。

千林処々花

2014-3-27 UP

3月27日  千林処々花(せんりんしょしょのはな)

ご機嫌よろしゅうございます。
先日、宗家のお稽古場にこの禅語が掛けられていました。

千林処々花

この言葉は
春入千林処々花 秋沈万水家々月
(春は千林に入る処々の花、秋は万水に沈む家々の月)

と対句になっています。
春の光は至るところに広がり、花々はその蕾をひらかせます。
秋には明月が、「万水」、海や湖水、川や庭の蹲などの水面に隔てなく
平等に月影を写し出します。

大自然の働きに喩(たとえ)て、
仏の慈悲は遍く平等に広がっていることを示した句です。

花ぐもり

2014-3-26 UP

3月26日 花ぐもり

ご機嫌よろしゅうございます。
今日は「花ぐもり」について

春は「かすみ」の多い月です。
遠州公も「書き捨ての文」に
「春は霞…」と書かれています。

霞がかかってくもったようになる様子を
「花ぐもり」と言ったりします。
三月から四月にかけて花の咲く頃は
冬・夏の季節風の変わり目で、曇りがちの日が多くなります。
空が薄く曇り、花々が霞んだ様子を
日本人はむしろ美しいと感じることが多いようです。

桜の名所である
奈良の吉野山の景色は
「照らず降らずの花曇り」
と称されます。

菅原道真公

2014-3-25 UP

3月25日  菅原道真公

ご機嫌よろしゅうございます。

本日は旧暦のでいう2月25日
菅原道真公のご命日です。

先月の2月25日に道真公を偲ぶ天神茶会が行われました。
道真公といえば梅が思い浮かび、
茶会の趣向としては大変ピッタリなのですが、
旧暦のご命日である今頃には
既に梅は見頃を終えるころです。

現在でも旧暦のご命日にご供養が行われているところも多く
この時期を盛りに咲く菜の花をお供えものに
載せていました。
そのため道真公のご供養は
「菜の花の御供(ごく)」と呼ばれています。

また江岑宗左「千利休由緒書」承応二年(1653年)によれば
利休が堺に追放された時、出発に際し

利休めはとかく果報のものぞかし 菅丞相になるとおもへば

という狂歌一首を書いたことが記されています。
菅宰相とは道真公のことを指します。

利休が最後に生けた花も菜の花なのだそうです。

公開討論会

2014-3-24 UP

3月24日

公開討論会「懐石と菓子」

ご機嫌よろしゅうございます。
昨日は公開討論会がございました。

前半は古い文献を紐解いていきました。
古くはお菓子として、果物など以外に
大根を醤油で煮たものなどの野菜がでた
ということが実際の会記をみてわかります。

また、時にお菓子のない懐石もあり、
その場合は、箸と共に楊枝が出るとお菓子がでないという
暗黙の合図にすることもあるそうです。

遠州公は当時食べ切れないほどの料理の量を
良しとせず、小盛りにしてお出ししたという記録もありました。

後半は、先代と当代宗実御家元の実際行った茶事の記録と
共にその様子を楽しみました。

池内氏の紹介されたエピソードに
先代のいけられた朝茶の朝顔が、
席入れした瞬間蕾が綻んだそうです。
はっと息を飲む瞬間だったと当時の思い出を語られました。

懐石の一つの味噌汁については
たっぷりとかつおをいれてとった煮汁に、
味噌を入れてぐつぐつ煮て灰汁を取ると
とびきり美味しいお味噌汁が出来るのだとか

また、遠州流では懐石の箸に青竹を使用し
焼き物には、中節を    煮物には天節、
それ以外には節なしの青竹を使い、
八寸には両細と、節の位置をそれぞれに変え、
誰が出すにも間違えないように、またお客様にも
箸を変えていることが分かるような工夫がされています。

昔も今も、亭主の心づくしのもてなしで懐石が行われたことがわかります。
他にも様々なお話が伺うことができ、大変楽しい討論会でした。

さて今回の主題でありました「懐石」ですが、
「懐石」と「会席」
この違いについて冒頭、お家元がお話しくださいました。
皆さんはこの違いご存知でしたか?
このお話はまた改めて…。

今回ご参加出来なかった方、
是非次回をお楽しみに。

秋には10月13日(祝・月)第九回秋季講演会(江戸東京博物館において)
「遠州の憧れた定家の世界」というテーマで
國學院大学の豊島秀範先生のお話を伺います。

公開討論会

2014-3-23 UP

3月 23日 公開討論会

今回の討論会のテーマは
「懐石と菓子」です。

昔日本では自分で味を調整し、食事をするスタイルでしたが
茶室で食事をお出しする茶事では予め
味つけをしてお客様にお出ししました。
これが日本料理の原型となります。

また菓子もその昔は砂糖が希少な時代。
干し柿などの自然な甘みのものを菓子としていました。

この二つの歴史を辿りながら
合わせてそれにふさわしい器についても
ふれていきます。

お家元はじめ、4人の講師の先生が
それぞれの立場からお話し下さいます。

ご興味のある方は是非事務局までご連絡ください。

詳細
第27回公開討論会

日時:平成26年3月23日(日) 午後1時~4時
会費:お一人様2,500円
テーマは『懐石と菓子』
申込方法 電話(03-3260-3551)にて受付
郵便振替:00190-5-770872 財団法人小堀遠州顕彰会

相坂

2014-3-22 UP

3月22日 遠州公の愛した茶入「相坂」

ご機嫌よろしゅうございます。
今日は遠州蔵帳所載の茶入
「相坂(おうさか)」をご紹介します。

瀬戸の窯で丸壺はあまりないようで
大変珍しいものです。

大切なお道具には、本体そのものは小さくても
仕服や蓋、盆など様々な付属がつき、
、その何倍にもなる大きな包みにくるまれていたりします。
この「相坂」もが仕服が四種に牙蓋が七枚、盆なども
作られ、その遠州公の愛憎ぶりが伺えます。

茶会では12、3回ほど使用しています。

「逢坂の嵐の風は寒けれど 行衛しらねば侘びつつぞぬる」
古今集 読み人知らず
の歌による銘で
これほどの茶入にまた合うことはないだろうとの
意味がこめられています。