遠州公ゆかりの茶陶「高取焼」③

2018-8-1

ご機嫌よろしゅうございます。
インタビューの続きです。

初代が日本で窯を築いた場所は山間部にあり、
土を求めてというよりふるさとに似た景観を
探したのではないかと感じます。
そのようなことから初代は南出身、
山間部に育ち日本人の美意識を反映した器は
作っていたわけではなく、特殊な器である
祭器のみの陶工であったと思われます。
祭器を作っていたからといって、陶工で
あったかどうかは不明ではありますが。
日本人の美意識ということで高麗茶碗に関して
いくつか私の感じるままに申し上げますと、
例えば熊川(会寧)茶碗はもとは小ぶりな
鉢のような形であった物を見て、茶碗として
使用しやすい深さに作らせたのが真熊川茶碗
であり、鏡を小さくしたり砂目跡をつけたり
は皆お茶人の美意識でありましょう。
呉器などにつく4つの指跡の釉薬の抜けなどは
無造作の演出であり、粉引などの火間
(釉抜け)や高台から突き出ていく玄悦の
かんな削りなど同じ感性であり不足の美
ということを意識した作りだと思われます。
数多くの目跡も景色であり、または注文主を
明確にするための窯しるしであったのかもしれません。
初代はこのような注文茶碗を作っていた
窯場にはいなかったと思われます。