9月1日(金)茶の湯に見る文様「網」

2017-9-1 UP

ご機嫌よろしゅうございます。

先週まで水辺のものにちなんだ文様をご紹介してまいりました。

今日は「網」についてのお話を

漁業で使用する網代も茶の湯の中によく登場します。

志野や織部などの美濃焼には網干はよく描かれる文様です。

昨年ご紹介した能「桜川」を題材とした西村道仁作の

「桜川釜」は肩から胴にかけ網目を表し、羽落ち近くに

桜の花二輪。

これは我が子を探す狂女が、子供と同じ名の桜を網で掬う

様子を想起させます。

また名物裂では織田有楽の所持と伝えられる「有楽緞子」

の地紋に網目文様が見られます。

他、文様ではありませんが、風炉先に網代を用いて

涼しげな様子を茶席に取り入れますし、

茶室の点法座の天井には、網代天井がよく用いられます。

落ち天井になったつくりは亭主の謙遜の意を表したもの

と言われています。

8月 28日(月)やきにくの日

2017-9-1 UP

ご機嫌よろしゅうございます。

明日、8月29日は「焼き肉の日」です。

「8(や(き))2(に)9(く)」の語呂合わせと

夏バテの気味の人に焼き肉でスタミナをつけてもらおうと、

平成5年(1993年)に全国焼肉協会が定めました。

そこで今日は肉にちなんだお話を。

675年の天武天皇の時代、仏教における殺生の禁の思想から

肉食の禁止令が制定されます。

以後日本で肉食を禁ずる歴史は続きますが、

その禁をかいくぐるようにイノシシを牡丹、馬を桜、鹿を紅葉

と呼ぶ隠語も生まれます。

江戸時代には「滋養強壮」のための薬として食べられていたので

やはり日常的に口に入るものではなかったようですが

鳥は食されていました。(鶏はたべません)

茶の湯の会席にも山鳥や鶉、雉などの焼き鳥が登場し、

特に鶴は貴重で一番のおもてなしとされました。

将軍も正月には鶴を食したそうです。

ちなみに松屋会記で有名な松屋家は、手向山八幡宮の氏子で

神の使いが鳩であることから、鳥肉を食べることは禁じられていました。

そのため、遠州公も松屋久政を招いた茶会では、他のお客様に

鳥を出しても、久政には鯛などの別の献立を用意していたことが

会記を見ると分かります。

8月25日(金)茶の湯にみる文様「青海波」

2017-9-1 UP

ご機嫌よろしゅうございます。これまで波の文様を
幾つかご紹介してきました。
今日は「青海波」のお話をしたいと思います。

「青海波」は同心円を幾重にも重ねた波文で、

ペルシャ・ササン朝様式の文様が中国を経由して

伝播したといわれています。

唐楽から伝わった雅楽の舞曲「青海波」で舞人が、

この形の染文の衣装をつけて舞うのが

名前の由来と言われています。

元禄の時代に勘七という漆工がこの波形を刷毛で

描くのを得意とし、大いに流行したため世間で

彼を青海勘七と呼びました。

名物裂では本能寺所伝とされる本能寺緞子や三雲屋緞子

織部緞子などがあります。

本能寺緞子は二重の青海波に捻り唐花と8種の宝尽しの図柄で

大名物油屋肩衝の仕覆として

三雲屋緞子はその色替りとされる裂で中興名物の「染川」や
「秋の夜」の仕覆に。また織部緞子とも呼ばれる
青海波梅花文緞子は大名物の松屋肩衝にそっています。

8月21日(月)今月の菓子

2017-9-1 UP

無題
ご機嫌よろしゅうございます。
今月のお菓子は「緑陰」です。
葛に包まれたお菓子ですので、冷蔵庫ではなく保冷剤などを
使って優しく冷やし、お客様にお出します。
木々の緑がつくってくれる木陰に一休み。
夏らしい情景が浮かびますが、
今週の関東はまるで梅雨に戻ったかのよう。
木陰に雨宿りしたくなる日が続いています。

8月18日(金)茶の湯にみる文様「波文様」②

2017-9-1 UP

ご機嫌よろしゅうございます。

今日は先週に引き続き、波の文様についてのご紹介を

致します。

波の上ではねる、鯉のような魚の描かれた図柄

これを「荒磯」とよんでいます。

荒磯裂と呼ばれる名物裂には、有名な荒磯緞子がありますが

穏やかな水流と優しい魚の姿をしています。

一方、緞子に比べると知名度の低い荒磯金襴の

水流と魚形は、激しさと厳しさを持ち、

それぞれの裂地の生まれた土地柄や民間伝承を反映して

できた違いと考えられています。

ちなみにこの荒磯緞子ですが、遠州公がこれを好んで茶入の

仕覆としたことから、更に人気が高まったと言われています。

この仕覆の添う茶入は

中興名物 高取鮟鱇茶入「腰蓑」

瀬戸春慶「春慶文琳」

瀬戸金華山大津手本歌「大津」

丹波耳付「生野」

があります

8月7日(月)宗家道場の床の間拝見

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床  紅心宗慶宗匠筆

 日光霧降滝

 花  水引 遠州槿

花入  手付籠

ご機嫌よろしゅうございます。

暑さの厳しい季節が続きますが、床の間を拝見すると

勢いよく流れ落ちる滝と、心のあらわれるような白さの

槿に一時の清涼感を感じることができました。

この掛物は御先代が昭和41年10月直門の方と日光を訪れ、

霧降滝をご覧になり、落ちてくる水しぶきが霧となり、

全貌を現さない滝の姿に絵心を誘われ帰京して直ぐに

筆をお取りになり一気に描かれた一幅です。

8月4日(金)茶の湯にみる文様「蟹」

2017-9-1 UP

ご機嫌よろしゅうございます。
磯遊びも楽しい季節
今日は、先週ご紹介した「笹」と合わせて「笹蟹」などの
文様としても親しまれている「蟹」をご紹介致します。

七種の蓋置と呼ばれるものの一つに「蟹」がありますが
これはもともと筆架・文鎮を蓋置に見立てたものです。
足利義政が慈照寺の庭に十三個の唐銅の蟹を景色として
配置し、その一つを武野紹鷗が賜って蓋置として用いたことが
蟹蓋置のはじまりといわれています。
この蟹蓋置が後に遠州公に伝わり、七代目宗友政方の代に
酒井家に渡り、酒井宗雅がこの写しを13個作ったと箱書きに
記しています。
また昨年、宗実御家元は華甲を迎えられました。
この華甲とは昨年にもご紹介しました通り、
蟹の甲羅は干支の最初である甲を想起させることから歳を表し、
華の字は分解すると六つの十と一となることから、還暦を表す
言葉として用いられます。
その華甲にちなんだお道具として、菊と蟹をあしらった
「交趾臺菊蟹香合」や高台を六角形にした沓形の御所丸茶碗を
好まれています

茶の湯に見られる文様「竹・笹」

2017-7-28 UP

ご機嫌よろしゅうございます。

七夕の頃には「笹の葉さらさら軒端に揺れる..」

と歌われ、夏には笹や竹の風に吹かれる音が

爽やかに耳に届きますが、七夕の飾りや短冊を

笹竹に飾る風習は、もともと盆に先立ち精霊の

訪れる依代として立てたことに由来します。

またお正月には門松として竹を用いるなど、竹は

神の依代として欠かせない存在です。

文様としては松・梅とともに三友と呼んだり、

その高潔な姿を君子にたとえ四君子(梅・菊・蘭・竹)

と称されてきました。

以前ご紹介した名物裂の「笹蔓緞子」の文様は、松竹梅の

意匠化であり、茶人に大変愛された文様で、笹蔓手として

類裂が多く作られました。

また、冬の季節には雪との組み合わせで描かれた「雪持竹・笹」

などの姿で好まれて佂や茶器などに多く描かれています。

茶の湯の道具としての竹も、「竹に上下の節あり」と

あるように、その精神性からも非常に密接なつながりの

ある素材として親しまれてきました。

竹の花入や茶杓は、他の道具の中でもとりわけ作者の

人となりを表す道具として扱われます。

遠州公が削った茶杓にこんな歌が添えられています。

歪まする人にまかせてゆかむなる

これぞすぐなる竹の心よ

しなやかな中に、決して折れない真の強さ

竹の心が詠まれています。

落語 「 太閤と曽呂利」

2017-7-24 UP

ご機嫌よろしゅうございます。

今日は蛍にちなんだ古典落語をご紹介致します。

曽呂利新左衛門は、豊臣秀吉に御伽衆として仕えた

といわれる人物で、ユーモラスな頓知で人を笑わせ

る才がありましたが、元々堺で刀の鞘を作るのを

仕事としており、その鞘には刀がそろりと合うので

曽呂利の名がついたと言われています。

ある時公家衆から和歌を詠むように勧められた秀吉が

自分が猿面冠者と言われてたことから、猿丸大夫の歌を

本歌取りしようと思いつき

奥山に紅葉踏み分けなく鹿の

声聞くときぞ秋は悲しき

から「奥山に紅葉踏み分けなく蛍..」

と詠みました。蛍が鳴くのですか..?と公家衆のニヤニヤ

にたまらず「続きは明日」と言って秀吉は早々に退散します。

秀吉に呼び出された新左衛門は話を聞き終えると、

秀吉に策を伝えます。

「蛍は鳴くか」とふたたび問われたとき、古歌の

武蔵野に篠を束ねて降る雨に

蛍よりほか鳴く虫ぞなし

を引用し、さらに

奥山にもみじ踏み分けなく蛍

しかとも見えず杣(そま)のともし火

と、きこり(杣)が煙草を喫っている光景を「蛍」にたとえたと

強引にすり替え、秀吉は面子を保つことができました。

『続近世畸人伝』には秀吉の「なく蛍..」の歌に対して里村紹巴が

「蛍は鳴かない」と反論し機嫌を損ねた秀吉に、細川幽斎は

即興で「しかとも見えぬ光なりけり」

の歌を作ったという話も残っています

茶の湯に見られる文様「蛍」

2017-7-21 UP

ご機嫌よろしゅうございます。

この時期羽化をはじめる蛍が夜の闇に淡い光をうつす頃

夏の夕べの美しい水と蛍の光はとても幻想的です。

蛍狩りはこの時期の季語でもありますが、

昔は身近だった風景も今では限られた場所で観られる特別な

ものとなってしまいました。

さて、遠州公の所持していた茶入に「蛍」の銘を

もつものがあります。

瀬戸春慶に分けられるこの茶入には、遠州公の書状が添い

織部の同門であった上田宗箇に宛てられたもので、この茶入は

ことのほか出来が良く、五百貫ほどの値打ちがあり、後々は

千貫にもなるのであるといった内容です。

遠州公は浅井家家臣となり、広島に居した宗箇には色々と心を

配っており、その他多くの書状が残っています。

瓢箪の形をしていますが、上部は小さめで愛らしい印象を

受けます。土見せを大きく残し、黒釉がたっぷりかかっています。

この釉薬からの連想か、挽家に遠州筆で金粉字形「蛍」と

記されています。

また、蛍と茶の湯にちなんだ落語を来月7月にご紹介する予定です。

どうぞお楽しみに