9月28日 (月)中秋の名月

2015-9-28 UP

9月28日 (月)中秋の名月

ご機嫌よろしゅうございます。

昨晩は中秋の名月でした。
皆さんはご覧になりましたか?

この中秋の名月に当たる日
駒迎えという行事が、昔から行われていました。

宮廷用の馬を育てるための牧場(勅旨牧)から
毎年八月に馬が献じられ、紫宸殿の前で天皇が
ご覧になる「駒牽き」(こまひき)という儀式がありました。
この馬を馬寮(めりょう)の官人が
東国の玄関口である逢坂の関まで迎えに行きます。
これが「駒迎(こまむかえ)」です

逢坂(相坂)の関の清水に影みえて
いまや牽くらん望月の駒

『拾遺和歌集』

という紀貫之の詠んだ歌があります。
「影」と毛「(かげ)(馬の毛色)」、
「望月(満月)」と「望月の牧の駒」を掛けていて

満月の影が映る逢坂の関の清水
同じく影を映すように姿を見せて、信濃・望月から
出てきた馬を今まさに牽いているであろう。

という意味の和歌で、駒迎えの光景を描いた屏風絵に
賛として詠まれました。

9月 25日 (金)遠州公所縁の地を巡って

2015-9-25 UP

9月 25日 (金)遠州公所縁の地を巡って
「大池寺(だいちじ)」

ご機嫌よろしゅうございます。

先週ご紹介した水口にはもう一つ遠州公作
といわれている庭をもつ大池寺があります。

このお寺は天平年間行基の開山と伝えられ、
行基がこの地域の人のために溜め池を
造ったことから始まるといわれています。
後に臨済宗に改められます。

水口城築城に携わった遠州公が、
水口築城を祝して作庭したと言われ、
サツキの大刈り込みをした枯山水庭園です。
書院から見える庭は、宝船と七福神を表した大刈り込み、
大海の大波小波を表し、砂紋の白州は水面を、
宝船が大海原に浮かんでいる様を表現しているとされています。

サツキが咲き、緑とピンクの対比が美しい
5月下旬から6月中旬にかけてが見ごろですが、
夏は刈り込みの深緑、秋には背後の木々が紅葉し、
庭園の白、緑、赤の色が美しく映えます。

平成に入って茶室前に水琴窟がつくられました。
四季折々の美しさが400年近くもの間、伝えられ
保たれてきました。

9月 23日(水) 遠州流茶道の点法

2015-9-23 UP

9月 23日(水) 遠州流茶道の点法
「天目 その2」

ご機嫌よろしゅうございます。

今日は先週に引き続き、天目についてのお話を。

天目茶碗には、覆輪(ふくりん)の付いたものと
ついていないものがあります。
覆輪とは茶碗の口縁部を補強するために覆う
細い金属製の輪です。この覆輪のあるなしで
茶碗の清め方の扱いも少し変わります。

天目茶碗を天目台にのせて使用し、茶巾は
両辺裁ち切りのものを真にたたみ、
天目用の茶筅を使用します。
また茶杓は牙(げ)の真の茶杓を使用します。

また遠州流茶道では通常お茶の量にあった湯を
一度で入れて点てますが、台天目の場合は貴人に
対するご祝儀の意味で、茶を十分練った後
少し湯を加えます。(加え柄杓)
また亭主は挨拶する際に、通常点法座のまま挨拶しますが、
台天目では一膝貴人の方へ向いて挨拶をします。

そして袋天目点法とは、名物裂などの仕服が
ついている天目茶碗を、その仕服に納めて
天目台にのせて、濃茶を点てる点法です。

相伴のいる場合は別の茶碗で点てます。
この相伴付の点法についてはまた改めてご紹介します。

9月 21日(月) 秋分の日が動き出す

2015-9-21 UP

9月 21日(月) 秋分の日が動き出す

ご機嫌よろしゅうございます。

9月23日は秋分の日。
秋分の日に関しては昨年もご紹介しました。

彼岸の入りから中日の秋分の日をはさんで
秋の彼岸となります。
真西に太陽が沈み、仏の世界が近くなる
この期間にご先祖供養をするのがお彼岸です。

この秋分の日に関して国立天文台の面白い記事を見つけました。
「秋分の日が動き出す」というもの。

2012年から秋分の日は、実際には23日ではなく、
22日にずれているというものです。
これは116年ぶりとのこと。

なかなか難しい話ですが、簡単に言うと
1年は365日ピッタリではなく、365日と6時間弱
で、そのズレを閏年で調整しますが、
その調整の関係上4年後は、秋分通過点を通過する時刻が
早まり9月22日になるのだそうです

ご興味のある方はこちらをご覧ください。
http://eco.mtk.nao.ac.jp/koyomi/topics/html/topics2012_2.html

9月 18日(金)遠州公所縁の地を巡って

2015-9-18 UP

9月 18日(金)遠州公所縁の地を巡って
「水口城」

ご機嫌よろしゅうございます。
今日は水口城についてご紹介します。

水口は都から伊勢へ通じる交通の要所で
中世後期にはすでに町並が形成されていました。
慶長5年(1600)の関ケ原の合戦後、
水口の地は徳川氏の直轄地となり、
東海道の宿駅に指定され、徳川家康も度々この地を通行し、
水口の寺院などに宿泊していたといいます。

三代将軍徳川家光は京都への上洛に先立ち、
寛永9年(1632)遠州公を作事奉行に任じて、
上洛する際の将軍専用の宿館として、
東海道の要衝の地である水口に豪華な本丸御殿を持つ
城を築かせます。

家光の威光を示すものであったため、
遠州公は延べ10万人の大工を動員し、
3年がかりで完成しました。

将軍家の宿館ふさわしく数寄をこらしたもので
その構造は二条城を小さくしたものでした。

この御殿は徳川家光上洛の帰途に一度使われただけで、
後に水口藩が成立、その居城となりました。

寛永十年はこの水口城の他にも、仙洞御所泉水奉行
伊庭御茶屋作事奉行、二条城本丸数寄屋作事奉行に
あたり、多忙を極めていた時期です。

遠州公はこの水口城の現場で直接指揮をとってました。

9月 16日 (水)遠州流茶道の点法

2015-9-16 UP

9月 16日 (水)遠州流茶道の点法
「天目 その(1)」

ご機嫌よろしゅうございます。

今日は台天目点法についてご紹介します。
この点法は貴人点とも呼ばれる格調高い点法です。
天目台と呼ばれる台に載せ、使用します。

茶の湯の初期、書院式茶礼・台子の茶では全て
天目茶碗でした。
この天目茶碗と天目台は鎌倉時代に中国の天目山
の禅刹に遊学した僧侶が帰国の際に持ち帰ったと
言われています。

他の茶道具が見立てから代用されたものであるのに
対して、天目茶碗は茶を喫する為に作られているため
の道具とも言えます。

遠州公にちなんだものには遠州蔵張所載の
「大名物 油滴天目茶碗」(北村美術館蔵)があります。
この茶碗は、遠州公が寛永十三年(1636)に
将軍の命を受け造営していた品川林中の御茶屋が
完成し、三代将軍家光をお迎えして披露の茶会
を催した折、家光へ献茶するために使用されました。

また遠州公が品川東海寺を始め由緒のあるお寺に
寄進した天目台があり、
その天目台と同じ水仙の蒔絵が施されたものが
遠州忌の際、拝服席で使用されています。

9月 14日 (月)鯖(さば)

2015-9-14 UP

9月 14日 (月)鯖(さば)

ご機嫌よろしゅうございます。

二十四節気の白露も過ぎ、いよいよ
秋の気配の感じられる頃となってきました。

暑さで疲れのたまった体には、旬の野菜や魚を
いただくことで体に負担をかけず体力を
取り戻していくことができます。

鯖もこの時期美味しくなる食材の一つです。
今日は鯖に関係するお話をご紹介します。

「サバを読む」と昔から諺に使われますが、
この魚の鯖のことを指していることは
皆さんご存知でしょうか?

鯖は鮮度が落ちるのが早いため、水揚げされた鯖を
1匹、2匹と数えていてはせっかくの魚が腐ってしまいます。
そのため、大雑把に10匹、20匹とざっくり数える。
そこから数をいい加減に数える、ごまかすという
意味で使われるようになったのだとか。

そして今と違って冷蔵庫のない時代、
鮮度が落ちやすく、すぐ生臭くなってしまう鯖に
味噌で臭みを消して、濃い味付けで食べていたのが
おなじみの「鯖の味噌煮」の由来なのだそうです。

9月11日(金)遠州公所縁の地を巡って

2015-9-11 UP

9月11日(金)遠州公所縁の地を巡って
「 南禅寺・金地院(八窓席)」

ご機嫌よろしゅうございます。
今日は南禅寺・金地院をご紹介します。

黒衣の宰相とも称され、家康の側近として
絶大な権力を持ち活躍した以心崇伝。
その崇伝は応仁の乱でほとんど消失してしまった
南禅寺を再興します。その際、遠州公に複数の
建築や作庭を依頼しています。

崇伝の自坊であり、家康の東照宮が分祀された
金地院には、各大名や将軍が御成になることも
考えられ、遠州公は家康公への畏敬と崇伝の繁栄も
願って神仙蓬莱式の枯山水を構想しました。
各大名から寄進された名石を配したこの庭は
「鶴亀の庭」と呼ばれています

また三畳台目の茶室「八窓席」は
複数の連子窓や下地窓を機能的に配して
外からの自然光が茶室全体を回るように工夫がされています。
ちなみに全ての窓を数えても六窓ですが、
八窓席と呼ばれています。

遠州公が崇伝の依頼を受け、構想を始めたのは
先週ご紹介した大方丈の庭とほぼ同時でしたが
金地院の方が大方丈の二年後に完成しています。

9月 9日 (水)遠州流茶道の点法

2015-9-9 UP

9月  9日 (水)遠州流茶道の点法
「中置(なかおき)」

ご機嫌よろしゅうございます。
今日は九月九日、重陽の節句です。
宗家道場では着せ綿が床の間に飾られ
長寿を祝う設えを楽しみながらお稽古が
行われています。
そして少々早めですが今月から中置のお稽古が
始まります。

通常の位置より道具畳の中央に寄せて
風炉を置きます。
当流では、小間・広間どちらでも点法します。
尚この中置には二通りの点法があります。

一つは先月ご紹介した大板の上に小さい風炉・釜を
載せ、盛夏に行います。柄杓を勝手付に置きます。
こちらは四畳半切りでのみ行われるものです。

もう一つは名残の季節に大きな鉄の風炉を織部焼
などの敷瓦に載せて、水指を常とは逆に勝手付に
ニ・三目よせて点法します。
こちらはお客様に火を近く、水を遠くという
考えから生まれたと思われます。

いずれの点法でも、中置の場合には点前座が
狭くなることもあり、合柄杓といって
風炉の柄杓より柄が短いものを用います。

9月 7日 (月) 重陽(ちょうよう)の文

2015-9-7 UP

9月 7日 (月) 重陽(ちょうよう)の文

ご機嫌よろしゅうございます。

9月9日は重陽の節句です。
この重陽の節句については昨年
ご紹介しましたが、陽の一番大きい数である
9が重なり、おめでたいとされ、宮中でも
観菊の宴などが行われていました。
宗家では着せ綿を作り、親しい方にお贈りしています。

今日は大徳寺の江月禅師が遠州公にあてて贈った
重陽の偈をご紹介します。

九日重陽 籬在東 南山々下 興無窮

枝々洗出 蒲城雨 白菊白而 紅菊紅

毎年重陽を迎え、庭前の東にある籬には
白い菊は白く、また紅菊は紅に
相変わることなく咲いている

という意味の偈で、重陽の日に庭先に
紅白の菊が変わらず咲いている
今年も無事にその菊を愛でることが
出来る喜びを祝い、長寿を願う気持ちが
伝わってきます。