5月16日(月) 茶摘み

2016-5-16 UP

5月16日(月)茶摘み

ご機嫌よろしゅうございます。

茶摘みの目安となる八十八夜は

立春から数えて八十八日目と言われ、

今年は5月1日でした。

しかしこの頃に摘まれるのは露地茶園の煎茶で、

抹茶にされる覆下茶園の茶摘みは

被覆効果が十分にあらわれ緑の濃いお茶になるのが

時期的に言うと5月の中旬。

ちょうど今頃から、摘み始めの時期になります。

さてこのお抹茶ですが、従来の製法を変えて、

古田織部は青みの強いお茶を好み、

これを「青茶」と呼ぶようになりました。

但し、青茶は色が綺麗ですが味にはやや難があった

と言われていました。

対して、弟子である遠州公が好んだのは

従来の製法の「白茶」でした。そのことから、

遠州公は好みのお茶に銘をつける際には

「白」の字をつけて青茶と区別したといわれています。

また茶銘には「昔」の字が使われていることが多い

ですが、これは遠州公が昔の製法に戻したという

事に起因しているという説があります。

そして「初昔」「後昔」は当時の茶師が筆頭のお茶の銘としていた、

由緒ある銘となりました。

それ以降、優れた品質の濃茶には「昔」の文字を

使うようになっていったと考えられています。

 

5月 13日(金)能と茶の湯「二人静」その二

2016-5-13 UP

5月 13日(金)能と茶の湯「二人静」その二

 

ご機嫌よろしゅうございます。

 

先週は能曲「二人静」を御紹介しました。

今日はその「二人静」にちなんだ裂地を御紹介します。

足利義政が「二人静」を舞った際

紫地に鳳凰の丸紋の金襴の衣装をまとったことから、

この文様を『二人静金襴』とよぶようになったと伝えられ、

大名物「北野肩衝茶入」や「浅茅肩衝茶入」の

仕覆に用いられています。

ちなみに、能では「ふたりしずか」と読まれますが

裂では「ににんしずか」と読むのが通例となっています。

 

5月 9日(月)宗家道場の床の間拝見

2016-5-9 UP

5月 9日(月)宗家道場の床の間拝見

 

ご機嫌よろしゅうございます。

色とりどりの花達に目を楽しませてもらった後

次に目に飛び込んでくるのは清々しい新緑の青

季節は次第に春から初夏へと移りゆきます。

茶の湯ではそんな季節の動きをとらえ

床の間にその自然の姿が映し出されます。

5月1日は八十八夜でした。

この八十八夜についてはまた後日改めてお話したいと思います。

5月2

床  紅心宗慶宗匠筆 龍門登鯉

 

花  燕子花

花入 硝子 ポーランド

 

こちらの掛物は、端午の節句に因んだ画題

鯉の滝登りです。

「魚が三段の滝を登りきると昇天して龍になる」

という中国の故事に基づいています。

鯉のぼりを立てる風習や、「登竜門」という言葉も

この故事によるものです。

紅心宗慶宗匠が昭和丙申歳正月、男子出生を夢見、

描かれ(同年九月、宗実家元誕生)、

翌年、初節句の茶会に用いられました。

 

5月 6日(金) 能と茶の湯「二人静」

2016-5-6 UP

5月 6日(金)能と茶の湯「二人静」
 

ご機嫌よろしゅうございます。

晩春から初夏にかけて十字状にのびる4枚の葉の

真ん中からのぞく2本の花穂に,

白く小さな花が山林で咲く姿を見かけます。

この花の名は「二人静」

静御前の亡霊が舞う能曲「二人静」から

2本の花穂を静御前とその亡霊の舞い姿に

たとえて名づけられました。

今日はこの「二人静」を御紹介します。

吉野山の勝手神社の神官が、

正月七日に菜摘女(なつめ)に若菜を摘みに行かせます。

その菜摘女に静御前の霊が憑き、

神官のもとへ戻ってきます。

そして菜摘女に取り憑いた霊は、自分が静御前であることを

告げ、ここの蔵に自分の舞装束が仕舞ってあると言い、

それを身につけます。

菜摘女が舞い始めると、静御前の霊が現れ、

影のように寄り添って舞います。

静御前は義経の吉野落ちの様子や、鎌倉にて

頼朝の前で舞を舞わされた出来事を物語り、

神官に弔いを頼んで消えていきます。

5月2日(月) ちまきの話

2016-5-2 UP

5月2日(月)ちまきの話

 

ご機嫌よろしゅうございます。

5月5日は端午の節句

和菓子屋さんには節句にちなんだちまきや柏餅が並びます。

関西ではちまき、関東では柏餅が主流と

言われたりしますが、このちまきと柏餅については

以前メルマガで御紹介していますので、

今日は川端道喜のちまきを御紹介します。

爽やかな香りのする青々とした笹にくるまれた

とろんとした葛のちまき

「水仙粽」との名前で今も人々に愛されています。

このちまきの発祥は室町時代に遡ります。

この頃の朝廷は衰退し、お姫様も食べるものに

事欠く有様でした。それを見かねた,御所前に餅屋を

営んでいた川端道喜が朝廷に餅を運んだのだそうです。

以来この朝の慣例は東京遷都の前日まで、

350年にわたり休みなく続いたのだそうです。

さらに御所のために力を貸した道喜に感謝し

吉野から献上された葛を下賜します。

その葛で作られたのが「水仙粽」

 

ちなみに初代・道喜は千利休の同門で学び、

「利休百会記」にも二度ほどその名が登場する

風流人だったようです。

 

4月 29日(金)能と茶の湯~狂言編~「通円」

2016-4-29 UP

4月 29日(金)能と茶の湯~狂言編~「通円」

ご機嫌よろしゅうございます。

狂言では、話の中に茶の湯が登場するものが

いくつかあります。

今日はそのうちの一つ「通円」を御紹介します。

舞台は宇治ある旅の僧が平等院に参詣します。

無人の茶屋に茶湯が手向けてあるのでいわれを聞くと、

その昔、宇治橋供養の折、通円という人物が

大勢の客に茶を点て続けた挙句息絶えたのだとか。

今日がその命日に当たるのだと語り、

僧にも弔いを勧めます。そこで読経をする中、

通円の亡霊があらわれ自分の最期のありさまを語ります。

「都からの修行者が三百人もおしよせ、

一人残さず茶を飲まそうと奮闘するも、ついに茶碗、

柄杓も打ち割れて、もはやこれまでと平等院の

縁の下に団扇を敷き、辞世の和歌を詠んで死んでしまった。」

そう語り終え、通円は回向を頼んで消えていきます。

 

この通円現在でも宇治橋のたもとに通円茶屋があり、

一服されたことのある方もいらっしゃるのでは

ないかと思います。この通円茶屋の初代通圓は

主君源頼政に仕え、平家の軍と戦いました。

その後頼政が平等院にて討死、通圓もあとを追います。

狂言「通円」は、この頼政と初代通圓の主従関係を

物語った能「頼政」をなぞって大勢の敵をなぎ倒し、

末に滅んでいくていく様子を、何百人もの参詣客を

相手に茶を点て死んでいく通円を描いたものです。

4月25日(月)藤の花

2016-4-25 UP

4月25日(月)藤の花

ご機嫌よろしゅうございます。
桜が咲き、散っていく姿に人々が
目を奪われている頃、少しづつ少しづつ
己の花を咲かせる準備をしているのが「藤」です.
茶の湯では、その咲き始める一寸前の
藤の姿を切りとって「袋藤」として
床の間に飾り愛でます。

また、藤の花が咲き始め、風になびく様をたとえた
言葉に「藤波」があります。
遠州公が「藤波」を銘につけている茶道具が
いくつかあります。

瀬戸金華山窯茶入「藤波」
「かくてこそみまくほしけれ万代を
かけて忍べる藤波も花」
( 2014年 4月26日 メルマガ参照)
竹一重切花入
「ちはやぶるかもの社のふじ波は
かけてわするるときのなきかな」

たおやかに垂れるフジの花姿は、
華やかな中に気品を感じさせてくれます。

4月 22日(金)能と茶の湯

2016-4-22 UP

4月 22日(金)能と茶の湯
「くせ舞」

ご機嫌よろしゅうございます。

今日は能にちなんだ遠州公ゆかりの
お道具を御紹介します。
遠州蔵帳記載の茶杓に「くせ舞」
という銘の茶杓があります。

節の部分に波紋のような綺麗な模様が
出ており、数ある遠州公の茶杓の中でも
秀逸の一本です。

くせ舞は扇を持って鼓を持ち、一人から二人で
舞う中世の芸能の一つでしたが、この音曲を
能に取り入れ、能の「クセ」と呼ばれる小段が
成立したとされています。
織田信長が舞ったとされる「幸若舞」も、当時の曲舞
の一つだったようです。

この「くせ舞」の節回しが面白いということから、
「節おもしろし」にかけて、「くせ舞」
と命銘されました。後に益田鈍翁が所有し、
大いに自慢しました。

4月18日(月) 学習院創立百周年記念会館の茶室

2016-4-18 UP

4月18日(月) 学習院創立百周年記念会館の茶室

ご機嫌よろしゅうございます。

昨日の日曜日は学習院大学にて
オール学習院が開催されました。

この茶会では例年立礼の気軽なお席で
無料にてお茶をいただくことができます。
この百周年記念会館は昨年改装され、
席披きが催されたお家元監修の茶室があり、
「櫻風庵(おうふあん)」と名付けられたその茶室において
金曜日に学生だけでなく一般の方もお稽古しています。

昭和五十五年
大学卒業後、禅寺修行を終えた御家元が、
櫻井和市院長先生にご挨拶にいかれた際、
当時完成していた百周年記念会館で、
お茶の稽古を始めることを勧めていただき、
当時御年80歳の櫻井院長先生は、
御家元の一番弟子になられお稽古をはじめられた
というエピソードがあります。

それがこのお稽古場の始まりで、
現在の御家元の直門・真甫会の前身にあたり
お家元にとって、この地はお茶を指導する
出発地となった場所なのです。

4月 15日(金)能と茶の湯

2016-4-15 UP

4月 15日(金)能と茶の湯
「隅田川(すみだがわ)」

ご機嫌よろしゅうございます。

先週は「隅田川」のあらすじをご紹介しました。

「伊勢物語」で在原業平が抱く望郷の思いを
隅田川まで我が子をたずねきた母の思いに
重ね、悲しみの上にも詩的な世界が広がります。

劇中に桜が登場するわけではありませんが
設定の季節と物語に展開される、
あまりに悲しい運命が、
桜の花のおぼろげな雰囲気と対象をなして、
人々の心を捉えます。

この曲そのものを直接的に表したものでは
ありませんが、隅田川を題材にした茶道具に
「染付隅田川香合」があります。
安政二年(1855)に作られた「形物香合番付」
で、西四段目十四位に位置しています。

明代末期の染付で
やわらかなふくらみのある四方の形
上部には風に揺れる柳が、下部には川を進む
屋形船の姿が描かれており、
隅田川に舟を浮かべた風情を想起させます。