銀茶会(ぎんちゃかい)

2014-10-26 UP

10月 26日 銀茶会(ぎんちゃかい)

ご機嫌よろしゅうございます。

今日は銀座で「銀茶会」が行われます。

銀座の街そのものが野点の会場となる
という大胆な行事ですが、今年で13回目。

遠州流茶道をはじめ、表千家・裏千家など茶道五流派が
一堂に銀座の十数か所で野点を開催します。

「茶の湯」という一つの形のもとに
それを愛する人々が流儀を問わず銀座に集う
聞いただけでもなんだかワクワクするイベントです。

老舗の和菓子屋さんがこの日のために作る
和菓子も見所の一つ。

普段の街並みが今日は一味違った姿を見せる…
「銀座」のもう一つの顔をお楽しみ下さい。

袱紗をつける位置

2014-9-5 UP

9月5日 袱紗をつける位置

ご機嫌よろしゅうございます。
今日は袱紗を腰につける位置について

お茶を点てる際、点法で使う袱紗を
腰につけますが、これを右につける流儀と
左につける流儀があります。

遠州流は右側です。その理由は

近衛家の待医師であった山科道安が、近衛予楽院の言行を
日記風に著わした「槐記」という
文献の中にこんな記述があります。

宗旦は生まれ付き左利きにてあり故に…

千宗旦は利休の孫にあたり、後にその子供達が表千家、
裏千家、、武者小路千家をつくっていきます。

つまり宗旦から広まった千家流では
袱紗を左につけているということのようです。

要するに利き手の違い。
右利きだった茶人は、当然右につけていたと考えられます。

その違いが今お流儀の点法の違いにつながっていく
のだとすると、面白いですね。

前田利常公

2013-10-12 UP

皆様、ご機嫌よろしゅうございます。

本日は加賀百万石を築いた前田利常公についてお話いたします。

 

≪人物エピソード4:前田利常≫

前田利常は遠州の14歳年下で、文禄2年(1593)11月25日に前田利家の四男として生まれた。

9歳で兄・利長の世嗣となり、徳川秀忠の二女珠姫を正室として迎えている。

そして兄が引退したため、13歳で家督を継ぎ、119万石を領した。

先日のメルマガでもお送りした通り、利常は茶の湯を大変好み、遠州とも懇意であった。

そのため遠州は道具の目利をしたり、墨蹟を表装したり様々な面で利常からの厚い信頼を得ていた。

また、利常の嫡男である光高も遠州に茶を習い、茶会にも参会している。

何よりも挙げておきたいのが、遠州、利常、千仙叟の関係である。

裏千家を興した仙叟は、千宗旦の四男として1622年に生まれた。

仙叟は加賀藩前田家に召し抱えられるのだが、その斡旋をした人物が、前田家の茶頭として仕えていた遠州の弟・佐馬助正春であった。

長いこと仕える先を探し続けていた仙叟であったが、31歳にしてようやく大藩に就職ができ、76歳の宗旦はそれを大変喜び、小堀佐馬助にも礼状を出したという。

これらのエピソードは『元伯宗旦文書』の中に記録され、裏千家創世と、また裏千家と遠州流とを繋ぐ重要な資料として今でも残っている。

 

 

本日10月12日は前田利常の命日である。

享年66であった。