富士の山にむかう途中、江月和尚からいただいた
一偈の一、二句目が脳裏に浮かぶ。
東行斯日巳初冬
為雪吟鞭指士峯
とあり、つくづくと山を見てみれば、真白い雲が群れて雪の色を奪おうとも、また遮ろうとても、その雪の白さにはかなわない。すそ野をめぐる高嶺の煙は、風にまかせてたなびいている。何か言おうと思うけれど、言葉は雪のように消えてしまい、ただただ茫然と佇むばかり。
つげやらん ことの葉もなし
年経ても まだみぬふじの 雪のあけぼの
と詠めば、傍らの人
ふじいづこ 雪にゆづりて やまもなし
と続ける
この山に心をよせて時がたち、吉原の里に留まり一泊。
11月 8日 遠州公の愛した茶入
「伊予簾(いよすだれ)」
ご機嫌よろしゅうございます。
今日は遠州蔵帳帳所載の茶入「伊予簾」
をご紹介します。
この茶入の形が編笠に似て、もの侘びた姿を
していること、また鶉のような斑模様をしている
ことからから遠州公が詞花和歌集 恋下の
逢ふことはまばらに編める伊予簾
いよいよ我をわびさするかな 恵慶法師
の歌の意味をもって銘命されたと言われています。
遠州公の茶会記では、
寛永十四年(1637)十二月二日夜に、江月和尚
松花堂昭乗を招いてこの茶入を用いています。
この茶入に添っている仕服の一つは「伊予簾」と
呼ばれています。
このように、茶入の銘から仕服の呼称がつけられたものを
名物裂と言います。
小堀家の手を離れ、所有者を転々とした後、
現在では昭和美術館の収蔵品となっています。