遠州公出生の逸話

2015-2-6 UP

2月 6日(金)遠州公出生の逸話

ご機嫌よろしゅうございます。

遠州公は近江小堀村で、新介を父に生まれた…
とご紹介しましたが、

実は、小堀遠州は浅井長政の忘れ形見である
という逸話が伝わっています。

浅井長政は、もともと遠州公の父新介が仕えており
織田信長に攻められ、落城した小谷城の悲劇は有名です。

その際、長政の長男万福丸は極刑となりますが
お市の方とその娘三人が助け出されます。

このとき実はお市の方にはもう一人、
生後間もない赤ん坊がいたのです。
その乳飲み子は、小谷城落城の際乳母に助けられ
無事脱出し、当時神照寺に出家していた
遠州の父新介に預けられたというのです。

そしてその乳飲み子が後の遠州公になったのだとか

真相は定かではありませんが、
遠州公が偉大な功績を残した故に生まれた逸話では
ないでしょうか。

豊臣秀吉

2014-8-18 UP

8月18日 豊臣秀吉

ご機嫌よろしゅうございます。

今日は8月18日 豊臣秀吉の命日に当たります。

秀吉と小堀家との所縁は深く、
浅井家が滅亡した天正元年以後、
秀吉が長浜在城の際、
出家の身であった遠州公の父・新介公を、見出して還俗させたと
いわれています。

昨日、また5月25日にも触れました通り
天正4年には信長に初めて茶道具を拝領し、6年に初茶会
その後は数々の大規模な、華やかな茶会の記録を残します。

異例の出世、天下取りの野望を果たしながら、
その後は幼い我が子の前途を案じて
慶長三年(1598)  六十三歳で、こんな歌を残してこの世を去ります。

露と落ち 露と消えにし 我が身かな
浪速のことは 夢のまた夢