黒田藩の茶の湯

2014-12-21 UP

12月 21日 黒田藩の茶の湯
 
ご機嫌よろしゅうございます。
 
2014年の大河ドラマ軍師官兵衛も
 遂に本日完結となります。
 
このメールマガジンでも、日曜日に一年を通じて
 官兵衛の時代にまつわる茶の湯のお話を
 ご紹介してまいりました。
 今日はその最終回ということで、
 その後の黒田藩の茶の湯についてお話ししたいと
 思います。
 
官兵衛や、その子長政、孫忠之と続き、茶の湯に
 深く親しんだ黒田家ですが、
 三代藩主となる光之の重臣であった
 立花実山(たちばなじつざん)が後の黒田藩の茶の湯に
 大変な影響を与えていきます。
 以前にもご紹介しました「南坊録」と呼ばれる
 利休の茶の湯の精神や心得を表した「茶道の聖典」
 を編纂しました。
 現在「南坊流」として、福岡の地にその流れを汲む
 流儀が残っています。

南坊録

2014-11-30 UP

11月 30日 南坊録

ご機嫌よろしゅうございます。

今日は黒田藩立花実山の編著といわれている
「南坊録」のお話しをしたいと思います。
月  日に立花 実山についてお話しをしました。

黒田忠之の江戸参勤の折、共をしていた実山が
利休の言葉を伝える伝書なるものを見せられ、
その後実山が書き写したとされる「南坊録」

以前は利休の教えを伝える第一の書とされていましたが、
記載年号の間違いや、南坊という禅僧の存在の確証がないこと
などから、実山の作った偽書との疑いがもたれていました。

書中あるエピソードのなかには、利休が実際に話したこともあると思われますが
利休没後100年に実山が、乱れた茶の湯の世界を
憂い、実山の思い描く利休像が投影されて
いるとも考えられます。
今後の研究が待たれるところです。

松岡正剛氏の千夜千冊にも「南坊録」について
詳しく書かれています。
よろしければこちらもご覧下さい。