7月 20日 (月) 鵜飼(うかい)

2015-7-20 UP

7月 20日 (月) 鵜飼(うかい)

ご機嫌よろしゅうございます。

日々続く夏の暑さの中、日本人は様々な楽しみを
見つけ、涼をとる工夫をしてきました。
今日はそんな夏の楽しみの一つ
「鵜飼」についてご紹介します。

鵜飼という漁法で捕獲する「川狩(かわがり)」は
長良川が有名ですが、古くは日本各地で行われてきました。
古来から日本の伝統漁法として守られ、
現在でも夏の風物詩として親しまれています。
夏以外は鯉や鮒などをを中心に昼間漁師が
川に入り、鵜をあやつって魚をとっていましたが
捕獲量も低く、次第に夏の夜に鵜匠が鵜を遣う
技術を楽しむ鑑賞用の遊猟となっていきました。

遠州公も、伏見奉行屋敷の傍を流れる宇治川で
鵜飼の鑑賞を楽しんだことがわかる書状が
残っています。

七月十九日付の五十嵐宗林に宛てた書状には
昨日もお会いしましたが、今日の宇治川の
鵜飼へお招きし、夕食を共にしてゆっくり
語りたい…としたためています。
この書状の宛先となる五十嵐宗林は
生没年も職業も不明な人物ですが、晩年の遠州公の
茶会記には度々登場する人物で、この鵜飼の
文を詠んでも、相当に深い親交があった
ことが伝わってきます。

遠州公の国焼指導

2014-10-19 UP

10月 19日 遠州公の国焼指導

ご機嫌よろしゅうございます。
日曜日になりました。
軍師官兵衛に関連して
今日は遠州公の国焼き指導のお話を。

秀吉が行った朝鮮の役で茶の湯を愛好していたため、、多くの武将が
朝鮮に上陸し帰国の際に、現地の陶工を日本につれ、それぞれ自分の領地で釜を作り、作陶を始めます。
これが御庭焼と称されるものですが、
なかなか茶の湯の心にかなったものが出来ません。
そこで注目されたのが遠州公です。
当時既に茶の湯の第一人者として活躍していた
遠州公の伏見奉行屋敷に、自国の領地で御庭焼と
して始めた陶窯で働くナンバーワン陶工を
派遣し指導を受けました。

遠州公は指導の要請があると、
まず「切形」と呼ばれる型紙を送ります。
陶工はその型紙通りに焼いたものを持参し
京都伏見まで向かうのでした。

そういった遠州公の好みや指導を受けた窯を
後に遠州七窯などと称すようになります。

遠州七窯についてはまた後日。