茶の湯に見られる文様「桐」

2017-7-14 UP

初夏に花を咲かせる花として桐があります。中国の神話では有徳の帝王を讃え現れる鳳凰は梧桐にしか住まず、竹の実しか食べないといいます。これが日本に伝わり、桐が格の高い文様として鳳凰と共に意匠化されていきましたが、ここで鳳凰が棲むとされた梧桐は、日本でいうアオギリという全くの別種で中国では昔どちらも「桐」の文字を使用していたため、この二種が取り違えられたと考えられます。アオギリは小ぶりの小さい黄色い花を咲かせ、梧桐は花序をまっすぐに伸ばし、紫色の花を咲かせます。「枕草子」においても、紫に咲く桐の木の花を風情があると讃え、唐土で鳳凰がこの木だけに棲むというのも格別に素晴らしい」と述べていて、混同されていることがわかります。しかしながら格調の高い文様として浸透していった
桐の文様は、家紋や装飾文様、茶の湯の世界でも多く見ることができます。
すぐに思い浮かぶのは高台寺蒔絵。遠州好の「桐唐草蒔絵丸棗」は、前田家抱えの塗師
近藤道恵の作で朱地に桐唐草が蒔絵されています。また裂地としては遠州公によって選定された「中興名物 米一茶入」の仕覆「嵯峨桐金襴」や、大内義隆縁の「大内桐金襴」、他に戦国末期から安土桃山時代にかけて運ばれた「黒船裂」の桐文などがあります。
また、遠州公は種類の異なる材木を組み合わせ道具を作らせており、「桐掻合七宝透煙草盆」「桐木地丸卓」など、桐を使用した道具が多く残っています。

10月 21日(水)遠州流茶道の点法

2015-10-21 UP

10月 21日(水)遠州流茶道の点法
「中興名物(ちゅうこうめいぶつ)」

ご機嫌よろしゅうございます。

先週に引き続き今日は盆点の中興名物について
お話しします。

中興名物は先週ご紹介しました松平不昧の
『古今名物類聚』に
不昧が大名物以後の名物を選定した
遠州公に由来する名物茶入を鑑別して
中興名物茶入を定めています。

大名物と中興名物の点法での違いは、
盆の扱いに見ることができます。
点法のはじめや、拝見に出す際に
お盆の表・裏の清め方が異なります。
さらに中興名物では茶入を乗せたまま
盆を扱うことが多くありますが、
大名物では必ず盆から外して扱います。

遠州公と中興名物

2014-9-12 UP

9月12日 遠州公と中興名物

ご機嫌よろしゅうございます。

茶入などの名物道具には
大名物、中興名物、名物という格付けがありますが、
その中で、遠州公といえば中興名物。

しかしこの中興名物という表現は遠州公の時代に確立していたわけではありません。
中興名物という表現で名物の一つとして格付けたのは
江戸時代後期の大名茶人である松平不昧公です。
つまり遠州公が亡くなってずっと後のこと。
不昧公は遠州公に深く傾倒し、その遠州公が、
名物道具として仕服牙蓋をはじめとする付属品を調べ、歌銘を付け
箱書きをした道具を中心に中興名物として自身の蔵帳に分類をされました。

徳川という平和な時代の到来とともに、
茶の湯を新しく嗜む人が増え、必然的に
茶道具も必要となりますが、しかるべき道具は既に
大名などの手に渡ってしまっているか、戦乱の中で焼失してしまっていました。

そんな中、当時茶の湯の第一人者としての地位を
築いていた遠州公は新たな名物茶道具の選定や指導を受けた
新しい茶道具を生みだしていくのでした。

遠州公の好みによって生み出された「綺麗さび」
の茶道具たち。

これらが後に中興名物と呼ばれるようになるわけです。

空也

2013-11-13 UP

皆様ご機嫌よろしゅうございます。

本日は空也上人が東国教化のために寺を出立した日であり、忌日とされています。

京都空也堂では、11月の第2日曜に空也上人を偲んで法要が営まれます。

 

≪茶道具:空也≫

【中興名物「空也」後窯・新兵衛作茶入】

瓢箪茶入である空也は、その形から念仏僧・空也上人の念仏踊りに因んで、遠州がその銘を付けました。

というのも、空也上人の念仏踊りは、瓢(ひさご)を叩いて唱えながら市中を徘徊することで知られ、そのことが由来となっているのです。

注目されるのは、底の釉裾から土見へかけて文字が彫られていることで、その内容は「早く御やき 頼入申候 有」とあり、恐らく唐物屋・有来新兵衛がその焼成を急がせるべく彫り込んだものと見られます。

挽家、内箱書付共に遠州筆で、仕覆は鎌倉間道、鷹羽切の二つが添っています。