荒木村重(あらきむらしげ)

2014-6-22

6月 22日 荒木村重(あらきむらしげ)

ご機嫌よろしゅうございます。
今日は日曜日。
軍師官兵衛の時代のお話を。

官兵衛を有岡城に幽閉した荒木村重は
有岡城落城の際には妻子、家臣を置いて
背中に 兵庫壷と呼ばれる茶壷を、
腰には立桐鼓という鼓(つづみ)をくくりつけて
わずかな家来と共に脱出したと言われています。
安岐の毛利を頼り、信長の死後まで生きながらえますが、
城に残された妻子、家臣は信長によって惨殺されてしまいます。

本能寺の変の翌年、「津田宗及茶湯日記」に
堺で荒木道薫という人物の昼会が記されています。
この道薫は剃髪した村重その人で、毛利と秀吉の講和がなされ
堺に戻ってきたと考えられます。

戦に敗れ入道となり、茶湯三昧の日々を送った村重は
後に、利休七哲にも数えられ(十哲とも)る茶人となるのでした。