遠州七窯(えんしゅうなながま)

2014-10-30

10月 30日 遠州七窯(えんしゅうなながま)

ご機嫌よろしゅうございます。

遠州公所縁の茶陶を俗に「遠州七窯」と
呼ばれることがあります。

これは幕末の美術商だった田内梅軒が
著した「陶器考」の中で初めて出てくる
言葉です。
しかし一般的に「七窯」挙げられるもののうち、
古曽部(こそべ)や赤膚(あかはだ)といった窯も
その数に数えられていますが、これらは遠州公が
亡くなって200年程経ってから出来た茶陶で
遠州公の好みの窯とはいえないものまで入っています。

遠州公は七窯に限らず、
高取、志戸呂、薩摩、上野、膳所、宇治田原等の国焼や、瀬戸、
信楽、丹波、伊賀、備前などの古い窯、
多くの窯の指導に当たったことがわかっています。