東海道旅日記 9月23日

2019-8-14 UP

043
23日天晴 
神奈河を立、帷里(かたびらのさと)
藤沢を過て 船渡を経て 大磯にかかる
そこをゆき過ぎて磯辺を通る 風静に
浪の音をだやか也 ひとに問へば爰(ここ)なむ
こゆるぎのいそといふをききて 
名所に寄する別といふ心を

こゆるぎの いそがぬ旅も すぎて行
      別路とめよ あしがらのせき

なをゆきゆきて夕方 山の端にかかると
きく河のさとを過 さ河を渡りて 小田原に着 一宿 
思の外友の入来て ひとりふたりして語て其夜も更けぬ
鶏鳴を聴くより雨振出 風烈(はげしく) 浪の音高 
忍ぶ別れ旅宿枕といふこころを

よるなみの 聲にめざます かり枕 
       忍ぶ別の 夢ぞみじかき

東海道旅日記「神奈川」

2019-8-13 UP

ご機嫌よろしゅうございます。

遠州公が江戸屋敷を出発して一泊目となる神奈川では、
親しい友人からの名残を惜しむ餞別が続々と届きます。

かへりこむと ちぎるもあだし 
人ごころさだめなき世の さだめなき身に

遠州公の返歌から、当時の旅行が現在に比べていかに
心細いものだったかということが伝わってきます。

遠州公の宿泊した神奈川は、東海道五十三次のひとつ
である神奈川宿、日本橋をでて3番目の宿場町で、
現在の横浜駅周辺でした。
この横浜駅、鉄道本数の増加や乗り入れ・地下化、
駅周辺の商業施設の参入などで駅の構造も大幅に変化し、
現在でも構 内のどこかで必ず工事が行われている
「完成しない駅」で、日本の「サグラダ・ファミリア」
とも言われています。

041

東海道旅日記~出発~

2019-6-23 UP

ご機嫌よろしゅうございます。
元和7年(1621)9月22日、午時
(うまのとき)、ちょうどお昼を
過ぎた頃。
遠州公は江戸駿河台の屋敷から出発し、
京都への旅が始まります。この時43歳。
前年には嫡子正之が誕生しています。 
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遠州公の屋敷は牛込と駿河台にあり、この駿河台の屋敷には秀忠の御成を迎えた
と考えられています。将軍にお茶を差し上げるにふさわしい数寄屋の整った屋敷
でした。
駿河台は江戸城に近く、武家屋敷が並んでいました。その屋敷の敷地は広く、
明治維新の際に政府に土地が返還された後は、大学等になったそうです。
遠州公の屋敷跡には後に中央大学の校舎が建ち、現在では商業ビルが建てられて
います。

東海道旅日記 

2019-6-22 UP

酉 9月
22日天快晴 午時許にむさしの江戸を立したしき人々のここかしこ 
馬の餞すとて 申時許 科河(しながわ)の里をいでて
いそぎけれども 酉時許に神奈河里に着
    此所に一宿 宵燭ほどに又ともだちの名残
おしみて馬の餞すとて 酒肴 小壺に茶を入 文添てをこせたり 
その返事 その返事 取集たる言種いひやる次に
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別といふ心を
かへりこむと ちぎるもあだしひとごころ 
さだめなき世の 定めなき身に

小堀宗慶著「小堀遠州 東海道旅日記 上り」
編集小堀遠州顕彰会  にっかん書房

東海道旅日記

2019-6-21 UP

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ご機嫌よろしゅうございます。
昨年に引き続き先月まで遠州公指導の茶陶をご紹介してまいりました。
今月から遠州公の旅日記として残る「東海道旅日記」に記される地の
今・昔をご紹介していく予定です。
遠州公は1622年9月43歳の時に上りの記、21年経て1642年64歳の時に
下りの記を書いています。
京都から江戸、江戸から京都までの旅路。
新幹線や飛行機を使って数時間で移動できる現在とは異なり、一日の移動時間約9時間半、
12泊13日という長い時間をかけて遠州公も旅をしました。しかしその道中を記す日記に
は、景色を愛で、旧友との別れや再会を想う心境が歌や詩でつづられており、
とても心豊かな旅であったことがわかります。