2月8日(月)珠光茶会

2016-2-8

2月8日(月)珠光茶会

ご機嫌よろしゅうございます。

今日2月8日から14日の7日間、
村田珠光(むらたしゅこう)のゆかりの地である奈良で、
「珠光茶会」が催されます。

奈良では、古より様々な文化が育まれてきました。
そのうちの一つである「茶の湯」を通して
奈良の魅力を発信することを目的に行われる
このイベントは今年で三回目となります。

遠州流茶道は第1回から参加し、
お家元も第1回目は来賓として招かれ、
昨年は元興寺でお献茶をご奉仕されています。

奈良市内の世界遺産を含む八社寺や、
歴史的な街並みが残る「ならまち」のお茶室を
舞台に、今年は七流派(遠州流茶道、表千家、裏千家、
武者小路千家、石州流、藪内流、宗徧流)が一堂に会し、
普段からお茶に親しんでいる方だけでなく
お茶に馴染みのない方、観光客の方にも
楽しんでいただける茶会になっています。

遠州流は2月11日(木)に薬師寺まほろば会館にて掛釜
また14日(日)には水之江 福智院店にて、
初心者に向けた講座「扇子の使い方と薄茶席」の
体験を行います。

村田珠光

2014-5-15

5月15日 村田珠光(むらたしゅこう)

ご機嫌よろしゅうございます。
今日5月15日は村田珠光の命日です。

珠光は応永三十年(1423)に生まれ、文亀二年(1502)の
5月15日に亡くなったといわれています。

少年のころ奈良の称名寺に入り出家
その後30歳の頃に大徳寺の一休和尚に参禅します。

月も雲間のなきは嫌にて候
藁屋に名馬繋ぎたるがよし
など
「冷え枯るる」精神を茶の湯に吹き込み
侘び茶の創始ともいわれています。

それまでは部屋に茶道具を飾り、別の部屋でお茶を点てて
運んでいた茶室が、珠光によって
主客同座となり、床の間に墨跡を掛け、
禅の精神で茶を喫する場に変わっていきます。

珠光という号は剃髪し僧となってからの号なので
俗名である村田と並べて呼ぶのは本来おかしいのですが
現在では、村田珠光と呼ぶのが通例となっています。

一休宗純

2013-11-21

皆様、ご機嫌よろしゅうございます。

本日は、「一休さん」という愛称で有名な一休宗純の命日です。

 

≪人物:一休宗純≫

侘び茶の祖・村田珠光の師とされ、また破格奔放で知られた一休は、茶人の間で大変尊敬されています。

現在、「一休寺」の愛称で知られている酬恩庵ですが、もとは南浦紹明が創建したあと荒廃したままであったのを、一休が宗祖の遺風を慕って堂宇を再興し、師恩に報いるという意味で「酬恩庵」と命名しました。

一休は応永元年(1394)に生まれ、それまでの戒律に縛られない風狂な生き方で天皇や民衆から愛され、晩年を酬恩庵で過ごし、文明13年(1481) 88歳で没しました。

出自は後小松天皇の御落胤とされており、現在、酬恩庵に置かれる一休の墓は宮内庁の管轄となっているため一般の立ち入りは禁止されています。

遠州の茶会にも、一休の墨蹟は茶会で度々掛けられており、そこに尊敬の念が見て取れます。

そして、酬恩庵の境内に黙々寺を建立し、晩年を過ごしたのが、遠州の親友であった佐川田喜六でありました。

豪胆な武人として知られ、関ヶ原の戦のあとには、石田方でありながらも徳川家康の重臣・永井直勝に招かれ、家臣に加えられました。

遠州と同い年で、遠州に茶の湯を学んだ佐川田喜六は風流人としても知られており、共通の友人である松花堂昭乗と共に交流を深めました。

佐川田喜六は寛永20年(1643) 8月3日に、黙々寺で没します。

酬恩庵を起点にすることによって、様々な繋がりを見て取ることができます。