千宗旦(せんのそうたん)

2014-12-19

12月 19日 千宗旦(せんのそうたん)

ご機嫌よろしゅうございます。

今日は利休の孫にあたる千宗旦について
ご紹介します。
遠州公の一歳年上、12日にご紹介した
宗和と共に、この時代を代表する茶人です。

父は千少庵、母は利休の娘亀と言われ、
天正六年(1578)に生まれます。

天正十九年祖父である利休の切腹、
父少庵は秀吉の許しがでるまで
蒲生氏郷に預けられます。
子供の頃の宗旦は大徳寺に預けられ、後に
遠州公も参禅する春屋宗園のもとで修行します。

遠州の「綺麗さび」、「姫宗和」の金森宗和
そして「むさし宗旦」と表現された宗旦の茶は
清貧・高潔を旨とした徹底した侘び茶でした。

祖父・父の生き様を目の当たりにしてきた宗旦は
決して士官することはありませんでした。
しかし、自分の子供達の行く末を案じ、
仙叟宗室の士官先を加賀百万石前田家とすべく
遠州公の弟・左馬之介に斡旋してもらったことが
わかる文章が今でも残っています。

龍光院(りょうこういん)

2014-10-5

10月5日 龍光院(りょうこういん)

ご機嫌よろしゅうございます。
日曜日になりましたので

軍師 官兵衛の時代のお話を。

官兵衛改め如水の子である黒田長政は
初代 黒田藩主となり、遠州公との深い縁もあります。

慶長九年(1604)三月二十日如水(官兵衛)は
京都伏見藩邸で亡くなります。
59歳でした。

1606年、如水の子・黒田長政が、三回忌のため
父の墓を塔頭・玉林院南に建てたました。
院名は、如水の院号「龍光院殿如水圓清大居士」から
龍光院とされました。
勧請開祖は春屋宗園、開山は江月宗玩。
1608年に春屋宗園の隠居所となり
1612年に遠州公が自らの菩提所として、
江月宗玩を開祖に、龍光院内に
「孤篷庵(こほうあん)」を建立しました。

1628年以降、現在の茶室「密庵」が建てられたと
されています。

毎年10月1日には開山忌法要が営なわれて、
宗実御家元もお参りされています。

遠州公の茶の湯

2014-5-18

5月 18日遠州公の茶の湯

ご機嫌よろしゅうございます。
本日は遠州公が茶の湯を始めたころの
お話を。

十五歳頃に大徳寺春屋宗園禅師に参禅し、
修行を積みながら
古田織部のもとで茶の湯を本格的に学んで行きます。

遠州公が十八歳の時に
「洞水門(どうすいもん)」を考案しました。
これは現在水琴窟と呼ばれているものの原形と言われています。

茶室に入る前には手と口を
蹲(つくばい)で清めます。

当時の蹲は水はけが悪く、
何度か使用すると、周りに水が溜まってしまい
大変使いにくいものでした。

これを若干十八歳の遠州公が
この蹲の地下に瓶を仕込み、
水滴が瓶の中に落ちる時に、水はけをよくし、
美しい反響音がする仕組みを考案しました。

遠州公の茶の湯の師であった
古田織部も遠州公の才に大変驚いたと
言われています。