遠州公と中興名物

2014-9-12 UP

9月12日 遠州公と中興名物

ご機嫌よろしゅうございます。

茶入などの名物道具には
大名物、中興名物、名物という格付けがありますが、
その中で、遠州公といえば中興名物。

しかしこの中興名物という表現は遠州公の時代に確立していたわけではありません。
中興名物という表現で名物の一つとして格付けたのは
江戸時代後期の大名茶人である松平不昧公です。
つまり遠州公が亡くなってずっと後のこと。
不昧公は遠州公に深く傾倒し、その遠州公が、
名物道具として仕服牙蓋をはじめとする付属品を調べ、歌銘を付け
箱書きをした道具を中心に中興名物として自身の蔵帳に分類をされました。

徳川という平和な時代の到来とともに、
茶の湯を新しく嗜む人が増え、必然的に
茶道具も必要となりますが、しかるべき道具は既に
大名などの手に渡ってしまっているか、戦乱の中で焼失してしまっていました。

そんな中、当時茶の湯の第一人者としての地位を
築いていた遠州公は新たな名物茶道具の選定や指導を受けた
新しい茶道具を生みだしていくのでした。

遠州公の好みによって生み出された「綺麗さび」
の茶道具たち。

これらが後に中興名物と呼ばれるようになるわけです。