4月8日(金)能と茶の湯

2016-4-8 UP

4月8日(金)能と茶の湯
「隅田川」

ご機嫌よろしゅうございます。
今日はこの季節によく演じられる能「隅田川」をご紹介します。
物語の舞台は春の隅田川の堤、
京で人買いにさらわれた我が子を捜し求める母の
絶望が描かれます。
息子をさらわれ、狂女となった旅の女は
隅田川にさしかかります。
舟にのるため先頭にもとめられて
『伊勢物語』の「都鳥」の古歌
名にし負はば いざ言問はむ 都鳥我がおもふ人は ありやなしやと
を引き、自分と在原業平とを巧みに引き比べ舞い

船頭ほか周囲を感心させ、舟に乗ります。その舟の中で、一年前の今日である三月十五日に対岸の川岸で亡くなった梅若丸という子どもの話を聞き、それが自分の探している我が子であるとわかります。
狂女に同情した舟頭の手助けで梅若丸の塚に案内され、弔いをすると梅若丸の亡霊が現れ触れようとしますが、その手に我が子を
抱くことはできず、消えてしまします。
母の悲しみは一層深まるのでした。
我が子の行方を尋ねてさまよう狂女ものは
他にもありますが、親子の再会をもって終わるものの中でこの曲だけは唯一悲劇的な結末で終わるものです。
梅若伝説については一昨年の3月15日のメールマガジンでご紹介しましたので、そちらもご参照ください。

3月 18日(金)能と茶の湯

2016-3-18 UP

3月 18日(金)能と茶の湯
「桜川」

ご機嫌よろしゅうございます。

春の訪れを感じ、桜の便りを心待ちに
している近頃。
今日は「桜川」をご紹介します。

九州の日向国、現在の宮崎県の桜の馬場
ここに母ひとり子ひとりの貧しい家がありました。
その子・桜子は、母の労苦に心を痛め、
東国方の人商人にわが身を売ります。
人商人が届けた手紙から桜子の身売りを知った母は、
悲しみに心を乱し、桜子の行方を尋ねる旅に出ます。

それから三年
遠く常陸国(茨城県)の桜川は春の盛りを迎えています。
桜子は磯辺寺に弟子入りしており、
師僧と共に花の名所の桜川に花見にでかけます。

折しも母は長旅の末、この桜川にたどり着いた
ところでした。母は狂女となって
川面に散る桜の花びらを網で掬い、狂う有様を
見せていました。
師僧がわけを聞くと、母は別れた子・桜子に
縁のある花を粗末に出来ないと語ります。
そして九州からはるばるこの東国まで、
我が子を探してやって来たことを語り、
落花に誘われるように桜子への想いを募らせ、
狂乱の極みとなります。

僧は母子を引き合わせ、母はその子が
桜子であるとわかり、正気に戻って嬉し涙を流し、
親子は連れ立って帰ります。

母子の深い情愛を謡いつつ、
また舞台や名前、季節、心理描写などを
「桜」を主軸に据えながら美しく切ない叙情を
表現されている点も見所です。

この名前を持った茶道具に古染付 桜川 水指等があります。

2月26日(金)能と茶の湯

2016-2-26 UP

2月26日(金)能と茶の湯
「尾上釜(おのえがま)」

ご機嫌よろしゅうございます。
先週に引き続きまして「高砂」に
ちなんだ茶道具をご紹介します。
今日は「尾上釜」です。

播磨(兵庫県加古川)尾上神社所蔵の朝鮮鐘
(ちょうせんがね)を形どって作った釜で
あることから「尾上」と名付けられ
五郎左衛門作と極められています。

鐶付が獅噛、共蓋に竜頭のつまみが通常の作りで
蓋裏に「尾上の鐘」の文字が鋳出してあります。

胴の正面に「播州」と「高砂」、
裏側に「尾上」の文字を鋳出しています。
能「高砂」では、竹さらいと杉箒を持った尉と姥が
囃子にのって静かに歩み出て、橋掛りで
向かいあい、

高砂の松の春風吹き暮れて
尾上の鐘も響くなり

と謡います。

2月22日(月) 飛梅・老松

2016-2-22 UP

2月22日(月) 飛梅・老松

東風ふかば 匂いおこせよ梅の花

主なしとて春な忘れそ

ご機嫌よろしゅうございます。

梅の花の咲く頃、天神茶会の行われる
季節となりました。

「東風ふかば…」の歌は昨年もご紹介しましたが、
菅原道真の歌としてとても有名です。

この梅には天皇に重用されていた道真をねたむ
藤原時平の讒言によって、太宰府に左遷となった
主・道真を慕って、都から太宰府まで飛んでいった
という「飛梅」伝説があります。
そしてその梅を追って松がやってきた。
桜は同じ籬にありながら主の思し召しがなかった
ことを怨み、一夜のうちに枯れてしまったといいます。

能「老松」では、間語りで
「梅は飛び 桜は枯るる 世の中に
何とて松は つれなかるらむ』
と詠まれます。
この「老松」は長寿の象徴である松・春、
先駆けとして咲く梅のめでたさを讃える祝言能です。
かつて徳川幕府でも正月三日に諸大名によって
祝いの席が設けられ、観世太夫がこの「老松」
を謡いました。

2月19日(金)能と茶の湯

2016-2-19 UP

2月19日(金)能と茶の湯
「芦屋(あしや)高砂釜」

ご機嫌よろしゅうございます。
今週は「高砂」にちなんだ釜を
ご紹介します。

現在五島美術館に収められている
芦屋の高砂釜は鴻池家伝来で、
同家にはもう一つ高砂地紋釜があり、
江戸時代中期には二つ揃えであった
といわれています。
一面に尉と姥を、
他面には竹林に鶴を配しています。
鐶付は亀です。そして、

我見ても久しくなりぬ住吉の
岸の姫松幾世経ぬらむ

この歌が尉と姥、竹林の模様の間に
鋳出されています。

「私が見てからも久しいこの住吉の姫松は
一体どれだけの御代を経たのであろう。」

この歌は高砂から住吉に移り、住吉明神が
現れて謡ます。
また「伊勢物語」や「古今集」にもこの歌が
みられます。

2月12日(金)能と茶の湯

2016-2-12 UP

2月12日(金)能と茶の湯
「染付高砂花入」

ご機嫌よろしゅうございます。
先週は「高砂」のご紹介を致しました。

この「高砂」にちなんだ道具でよく
知られるのが、
「染付高砂花入」です。

図柄と形が大変インパクトのある花入で
花入の首の裏表に描かれた二人の人物が
尉(じょう)と姥(うば)に見立てており、鯉耳のついた
砧型をしています。鯉も日本では
祝意を表すものとして好まれます。
肩には蓮弁文、胴部分に水藻文が施されて
いて、この手の類のものは「高砂手」と
呼ばれています。

日本以外にはこの手のものが見当たらないこと
から日本からの注文品と考えられ、
本歌は中国・明代末期とされています。

2月5日(金)能と茶の湯

2016-2-5 UP

2月5日(金)能と茶の湯
「高砂(たかさご)」

ご機嫌よろしゅうございます。
今日は「高砂」についてご紹介します

平安時代前期の延喜(えんぎ)の頃。
都を見物しようと九州からのぼってきた友成一行は、
高砂の浜辺に立ち寄り、松の落葉を掃く老夫婦に
出会いました。
老夫婦は相生(あいおい)の松のいわれについて、
高砂の松は『万葉集』、住吉の松は『古今和歌集』
をあらわし、歌が盛んに詠まれ世の中が
平和であることを象徴する松なのだと語ります。
そして我ら夫婦は、それらの松の精なのだと
正体を明かし、住吉で待とうと告げて小舟に
乗って姿を消します。友成らが月夜に船を出し、
住吉の浜辺にやってくると、西の波間から
住吉明神が現れます。明神は長寿をほこる
松のめでたさを称え、さっそうと舞を舞います。
澄んだ月明かりのもと、舞につれて、
松の梢に吹き寄せる心地よい風の音が聞こえ、
明神は平和な世を祝福するのでした。
(※日本芸術文化振興会参照)

「高砂」は、祝いの曲として広く知られ、今でも
祝言やおめでたい席でうたわれます。
次週はこの「高砂」に関連した茶道具を
ご紹介します。

1月29日(金)能と茶の湯

2016-1-29 UP

1月29日(金)能と茶の湯
「翁」

ご機嫌よろしゅうございます。

新年を迎えると、「翁」とよばれる演目が
必ず各地の能舞台で演じられます。
「翁」は能の中でも神能の特殊な演目で
「能にして、能にあらず」と言われ
霊的な力を授けられた”神の使い”である翁の舞は、
国家安静、五穀豊穣を祝う神事とされています。

「とうとうたらりたらりら
たらりあがりららりとう…」

という謡にはじまり、舞の間に翁が翁面を
つけるのですが、観客の前で演者が面をつけるのは
この曲だけ、この面をつけることにより
翁は神格を得ます。

遠州公がこの「翁」にちなんで銘をつけた
茶入があります。「大正名器鑑」には
「作行の古雅なる、黄釉のなだれの物寂びたる
人をして翁の面に対する想いあらしむ」
と記されています。

瀬戸破風窯のその茶入には挽家蓋・内箱蓋・仕覆蓋
の書付を遠州公自らしており、愛蔵ぶりが伺えます。