7月8日 (金)能と茶の湯

2016-7-8 UP

7月8日 (金)能と茶の湯

「関寺小町」

 

ご機嫌よろしゅうございます。

昨晩は七夕

天の川はご覧になれましたでしょうか?

 

さて、先週ご紹介しました「関寺小町」は

老女物といわれるものの中でも最奥の曲と

され、なかなか上演されることはないのだそうです。

この「関寺小町」に関係の深い茶道具をご紹介します。

 

中興名物の伊部茶入「関寺」

青味を帯びた榎肌と、他面は赤味を帯びた

伊部釉とで片身替りをなしています。

茶入全体の佗しい景色を衰残の姿の小町

に重ねての銘と言われています。

舟橋某所持、細川越中守、三河岡崎藩主本多中務

に伝わり、明治初年松浦家に入りました。

7月 4日 (月) 宗家道場の床の間拝見

2016-7-4 UP

7月 4日 (月) 宗家道場の床の間拝見

 

ご機嫌よろしゅうございます。 7月に入り、暑さもきびしくなってきました。

7月7日は七夕。旧暦よりひと月程早いので まだ梅雨空の中に天の川を見つけるのは なかなか難しいことと思います。

今日の床の間は七夕にちなんだ飾りです。

 

床 其心庵宗明宗匠・宗吟大姉・紅心宗慶宗匠他筆   七夕色紙・短冊貼雑

花  梶の葉 五色の糸

花入 ベネチアングラス

掛物の解説 其心庵宗明宗匠の青山道場の頃、七夕が稽古日の際、

お弟子さんに短冊、色紙を書いてもらい、 玄関に立てた笹につけてもらいました。

その色紙や短冊を用いて紅心宗匠が掛物に仕立てられた一幅です。

紅心宗匠が笹を描かれ、中廻しは墨流し、軸棒は竹を用い、 七夕尽くしとなっています。

天

2月15日(月)想(おも)い葉

2016-2-8 UP

2月15日(月)想(おも)い葉

ご機嫌よろしゅうございます。

昨日2月14日はバレンタインデーでした。
バレンタインはもともと、西暦269年に
兵士の自由結婚禁止政策に反対した
バレンタイン司教が、ローマ皇帝の迫害によって
殉教した日を記念した祭日(2月14日)と
むすびつけられて出来たもので、
今では女性から男性にチョコレートを贈るという、
日本独自の習慣が生まれ人々に受け入れられています。

さて、そんな日にちなみまして
茶畑からこんなお話を。

茶葉の中で、二枚の葉がくっついたものを
「想い葉(おもいば)」と呼ぶのだそうです。
四つ葉のクローバーのように珍しいもので
これを見つけると恋の想いが、相手に伝わる
といわれているそうです。

茶摘みはかつて若い娘さんの仕事で、
新茶時期には茶農家に泊まりこみで働いたの
だそうです。
茶摘みをする娘さん達も、偶然見つけた想い葉に
心を躍らせていたのでしょうか。

1月 25日 (月)君がため…

2016-1-25 UP

1月 25日 (月)君がため…

ご機嫌よろしゅうございます。
今日はこの季節にちなんだ和歌をご紹介します。

君がため 春の野に出でて 若菜摘む

我が衣手に 雪は降りつつ

あなたにさしあげるため、
春の野原に出かけて
若菜を摘んでいる私の着物の袖に、
雪がしきりに降りかかってくる。

光孝天皇がまだ時康親王だった若い頃、
大切な人の長寿を願い春の野草を贈った際
添えた歌です。
昔から、新春に若菜を食べると邪気を払う
ことができると考えられてきました。
現在でも、1月7日に「七草粥」を
いただく習慣が残っています。

11月 9日(月) 茶の湯と足袋

2015-11-9 UP

11月 9日(月) 茶の湯と足袋

ご機嫌よろしゅうございます。

明後日11月11日は靴下の日なのだとか。
これは日本靴下協会が1993年に制定しており、
わりと新しい記念日です。
靴下を2足並べた時の形が11 11に見えること
から考えられたそうです。

さて茶の湯では白い靴下を履くのは、着物で
足袋をはくのと同様の考え方からで、
素足は失礼と習います。

しかし、昔は風炉の時期は素足、炉の時期は
足袋を履いていたようです。
その足袋も天正時代位には木綿の白足袋が
必需品として挙げられますが、常用されていたのは
革足袋でした。
江戸時代にはそれまで主流だった革足袋が廃れていきます。

また明治時代には紺の足袋といえば、
書生の代名詞にも挙げられ、汚れの目立たない
紺足袋は、男性の日常品でしたが、
千宗旦の時代にも既に存在して、
「コンノ足袋茶湯ニハキテモヨシ」と、
侘び茶人には茶湯へ履いていくのが
許されていたようです。

11月 4日 (水)遠州流茶道の点法

2015-11-4 UP

11月 4日 (水)遠州流茶道の点法
「茶壺について」

ご機嫌よろしゅうございます。

11月を迎え、茶壺に入った抹茶を取り出す
口切の季節となりました。
通常のお点法から少し離れて、
今日はこの口切で使用する茶壺についての
お話をしたいと思います。

口切の茶事で、躙り口に茶壺が置かれた場合、
その茶壺を床の間に持って行って飾っておきます。
そしてお茶壺拝見となった際には水屋で茶壺に
掛けられた紐を外し、茶壺だけを持っていって
皆さんにまわします。
この際、お客は手の熱が中に伝わらないよう、
掌を茶壺につけないように、指を広げて持つ
ようにします。
また遠州流茶道では、お客様の前で茶壺の封は
開けないということは昨年お話しました。

茶壺は古くから茶道具の第一として大変重要視され
ましたが、徐々に茶入にその座を奪われていきます。
壺飾りをしたのも利休の頃くらいまでで、
遠州公も初めの口切の時だけ壺を飾ったようで、
その他に壺に触れる茶会記は見つかりません。

また本来茶壺は、茶葉を保存しておくために
使用されるものなので、壺の中に空気が通る
ように釉薬がかかっていないものを使用します。
そのため呂宋、信楽、丹波などのようなものが使われ、
仁清などのように釉薬がかかり絵付けされたものは
飾りとしての茶壺ということになります

11月 2日(月)口切の文

2015-11-2 UP

11月 2日(月)口切の文

ご機嫌よろしゅうございます。

11月に入り、炉を開く季節になりました。
また茶壺の封を切る口切の季節でもあります。

古くは霜が降りてから、落葉樹の葉の色づき加減を
みるなどして炉を開くなど、その時々の四季の
変化に応じて茶の湯も行われていました。

古田織部も自邸の柏の木の葉が色づくころ
炉を開いたと言われています。
遠州公もまた同じく、自然の変化に応じて
いたようで、こんな文が残っています。

壺の口切めでたく存候
茶すぐれ申候  竹の花入出来候而
気相もよく候之由様可為本望
委曲久左衛門可申候                        恐惶

九月二十五日              遠州花押

くれ竹のま垣の秋の色に香に
はやここちよしちよの白菊

9月25日付の文には、既に口切を済ませ、
お茶の具合もよく、また自作の花入も満足な
ものができたと喜んでいます。
9月には既に寒さが早くやってきたのでしょう。
先人の茶の湯は現在のそれとは異なり、
自然とともに流れ、変化に応じていく
ゆるやかで豊かな心が感じられます。

10月 28日(水) 遠州流茶道の点法

2015-10-28 UP

10月 28日(水) 遠州流茶道の点法
「無盆唐物点(むぼんからものだて)」

ご機嫌よろしゅうございます。

遠州流茶道では名物の茶入でも肩衝のものは
盆にのせて点法しないことはご紹介しました。
その唐物の点法についてご紹介します。
まず漢作と唐物という語について事典を見てみましょう。

漢作
中国産茶入のうち年代古く上作な類をいい、
単なる唐物と分けている。
いずれも古来重宝され大名物に属している。

唐物
中国茶入の総称
唐物を初代藤四郎が中国から土と薬を持ち帰り焼いたもの
と『古今名物類聚』では定義するが、
その分別は判然としない。…
漢作は宋代を中心とする中国産で、唐物もやや時代は
下るが中国産との見解が強い。…
「角川茶道大辞典」

「漢作唐物」と「唐物」の分類は曖昧で、
その分類は伝来に依っています。

遠州流では無盆唐物と点いう点法があります。
盆を使用しない肩衝の唐物点の際は、
その格調にあった格の高い道具組がされます。

これまでご紹介した天目、相伴付がこの点法に加わると
台天目(袋天目)無盆唐物相伴付
という非常に長くて難しそうなお点法になります。

10月 12日(月)秋の七草

2015-10-12 UP

10月 12日(月)

秋の七草

ご機嫌よろしゅうございます。 春に七草があるように 秋にも秋の七草があります。 この秋の七草を山上憶良が詠んだ歌が 万葉集に載っています。 秋の野に 咲きたる花を指折り(およびをり) かき数ふれば  七種(ななくさ)の花   萩の花 尾花葛花 撫子の花   女郎花 また藤袴   朝貌(あさがお)の花 春は食べて楽しむ七草、 秋は観て楽しむ七草とも言われますが、 昔から  萩は垣根に使われ 尾花(すすき)は屋根に葺く材料に、 葛からはでんぷんをとり 撫子は種にある利尿作用が 女郎花(おみなえし)と桔梗は咳の薬に 藤袴は乾燥させて寝床にいれ、 香りを楽しみました。 先人の知恵のつまった七草です。

9月28日 (月)中秋の名月

2015-9-28 UP

9月28日 (月)中秋の名月

ご機嫌よろしゅうございます。

昨晩は中秋の名月でした。
皆さんはご覧になりましたか?

この中秋の名月に当たる日
駒迎えという行事が、昔から行われていました。

宮廷用の馬を育てるための牧場(勅旨牧)から
毎年八月に馬が献じられ、紫宸殿の前で天皇が
ご覧になる「駒牽き」(こまひき)という儀式がありました。
この馬を馬寮(めりょう)の官人が
東国の玄関口である逢坂の関まで迎えに行きます。
これが「駒迎(こまむかえ)」です

逢坂(相坂)の関の清水に影みえて
いまや牽くらん望月の駒

『拾遺和歌集』

という紀貫之の詠んだ歌があります。
「影」と毛「(かげ)(馬の毛色)」、
「望月(満月)」と「望月の牧の駒」を掛けていて

満月の影が映る逢坂の関の清水
同じく影を映すように姿を見せて、信濃・望月から
出てきた馬を今まさに牽いているであろう。

という意味の和歌で、駒迎えの光景を描いた屏風絵に
賛として詠まれました。