東海道旅日記 上りの記 最終回

2020-11-20 UP

遠州公の「旅日記」から、東海道の道を
少しづつ進んでまいりました。
その昔、旅は一部の位の高い人のみが許されるもので、
人々の旅行は許可されていませんでした。
宿もない時代ですから、食料の調達や設営など考えれば
難しいこともあったでしょう。
平和が訪れ、次第に宿泊施設が整い、
「旅」は一般大衆も楽しめるものになっていきました。
「旅日記」に記された旅は、遠州公の私的な旅行とは異なりますが、
実際にその足で進んだ道中は、
旅のつらさも楽しみに変えている様子が日記から伝わります。
今年の始まりからステイホームの日々が続き、
これまでのように気軽な旅行もままならない状態となりました。
「旅」という非日常の時間は、日々の生活や私たちそのものに、
心の潤いと活力を与えてくれるものなのだと改めて「旅」というものについて深く考えさせられる一年となりました。
一日も早くコロナの収束を迎え、あるいはwithコロナでの新しい形のもと、
また安全で楽しい「旅」ができることを祈るばかりです。
遠州公の「旅日記」は今回ご紹介した「上りの記」の他に、
64歳の時に記した京都から江戸に向かう「下りの記」があります。
2021年新年より、「下りの記」をご紹介していく予定です。どうぞお楽しみに。

★新作★ 不傳庵宗実の温茶会 vol.3 \新作のご案内!!/

2020-11-19 UP

日頃より「綺麗さびの日々」メールマガジンをご愛読いただき有難うございます。
この度、ご好評いただいております不傳庵宗実の温茶会の新作「vol.3 初冬の取り合わせ -濃茶-」が11月21日(土)より、配信される事となりましたのでご案内申し上げます。
是非この機会にご覧いただきます様よろしくお願い申し上げます。

★不傳庵宗実の温茶会 vol.3「初冬の取り合わせ」濃茶★ \11月21日(土)より配信開始!!/

遠州茶道宗家13世 不傳庵 小堀宗実家元によるオンライン茶会。
風炉の季節に催されたvol.1「盛夏の取り合わせ」に続き、今回は炉の時季の到来と共に催される茶会でのvol.3「濃茶」をお届けします。
vol.3「濃茶」は、vol.2「初炭」に続く内容になっております。3編とも宗実家元の美しい点前をノーカットでご覧いただけます。
また、遠州茶道宗家に伝わる名品を詳しく解説。臨場感のある美しい映像と音のなか、特別な時間をお過ごしください。
「不傳庵宗実の温茶会」どうぞお楽しみください。

▼【新作】不傳庵宗実の温茶会 vol.3「初冬の取り合わせ」濃茶
www.enshuryu.com/online/onchakai003/

▼お問合せは…
遠州茶道宗家 事務局
TEL 03-3260-3551

「東海道旅日記」 旅の終わり

2020-11-13 UP

江戸の屋敷を出て13日、ようやく旅も終わりです。
逢坂山の紅葉も美しく遠州公一行を出迎えてくれます。長旅も終わりが見えてくると、その先に控えている公務が頭をよぎります。
元和7年(1621)、遠州公43歳の9月12日に江戸を出て、12泊13日の10月4日に京に到着。
三条にある屋敷に戻られたのではないかと思われます。(2015 5,7メルマガ 三条屋敷参照)
これ以後の遠州公は
元和9年(1623)伏見奉行となり、生涯務める。
        大坂城本丸仮御殿作事奉行
寛永元年(1624)二条城並びに行幸御殿作事奉行
寛永3年(1626)大坂城天守本丸作事奉行 
        伏見奉行屋敷完成
寛永4年(1627)仙洞御所の作事奉行
と多忙な40代となります。

「東海道旅日記」 三条大橋

2020-11-6 UP

旅の最終地点となる三条大橋は、
鴨川にかかる京都市三条通りの橋です。
室町時代には架橋の記述が残る三条大橋ですが、
天正18年(1590)に秀吉が命じ、
石柱の強固な橋に生まれ変わります。
日本の石柱橋としては最初のものでもあり、
秀吉の支配権の象徴ともいえる架設でした。
江戸時代にはいると、徳川幕府は三条大橋を
東海道五十三次の終点と位置づけて、維持管理を行いました。
17世紀半ばから幕末にかけては35回の改修工事の記録が残り、
鴨川の洪水の激しさと交通の要としての三条大橋の存在が伝わってきます。
架設されて以来、長い長い歴史を見守り続けてきた京都の橋です。
大正6年(1917)4月27日に日本で最初の駅伝「東海道五十三次駅伝競走」がここからスタートしたことを祈念して、碑が建てられています。