4月 29日(金)能と茶の湯~狂言編~「通円」
ご機嫌よろしゅうございます。
狂言では、話の中に茶の湯が登場するものが
いくつかあります。
今日はそのうちの一つ「通円」を御紹介します。
舞台は宇治ある旅の僧が平等院に参詣します。
無人の茶屋に茶湯が手向けてあるのでいわれを聞くと、
その昔、宇治橋供養の折、通円という人物が
大勢の客に茶を点て続けた挙句息絶えたのだとか。
今日がその命日に当たるのだと語り、
僧にも弔いを勧めます。そこで読経をする中、
通円の亡霊があらわれ自分の最期のありさまを語ります。
「都からの修行者が三百人もおしよせ、
一人残さず茶を飲まそうと奮闘するも、ついに茶碗、
柄杓も打ち割れて、もはやこれまでと平等院の
縁の下に団扇を敷き、辞世の和歌を詠んで死んでしまった。」
そう語り終え、通円は回向を頼んで消えていきます。
この通円現在でも宇治橋のたもとに通円茶屋があり、
一服されたことのある方もいらっしゃるのでは
ないかと思います。この通円茶屋の初代通圓は
主君源頼政に仕え、平家の軍と戦いました。
その後頼政が平等院にて討死、通圓もあとを追います。
狂言「通円」は、この頼政と初代通圓の主従関係を
物語った能「頼政」をなぞって大勢の敵をなぎ倒し、
末に滅んでいくていく様子を、何百人もの参詣客を
相手に茶を点て死んでいく通円を描いたものです。
4月25日(月)藤の花
ご機嫌よろしゅうございます。
桜が咲き、散っていく姿に人々が
目を奪われている頃、少しづつ少しづつ
己の花を咲かせる準備をしているのが「藤」です.
茶の湯では、その咲き始める一寸前の
藤の姿を切りとって「袋藤」として
床の間に飾り愛でます。
また、藤の花が咲き始め、風になびく様をたとえた
言葉に「藤波」があります。
遠州公が「藤波」を銘につけている茶道具が
いくつかあります。
瀬戸金華山窯茶入「藤波」
「かくてこそみまくほしけれ万代を
かけて忍べる藤波も花」
( 2014年 4月26日 メルマガ参照)
竹一重切花入
「ちはやぶるかもの社のふじ波は
かけてわするるときのなきかな」
たおやかに垂れるフジの花姿は、
華やかな中に気品を感じさせてくれます。
4月 22日(金)能と茶の湯
「くせ舞」
ご機嫌よろしゅうございます。
今日は能にちなんだ遠州公ゆかりの
お道具を御紹介します。
遠州蔵帳記載の茶杓に「くせ舞」
という銘の茶杓があります。
節の部分に波紋のような綺麗な模様が
出ており、数ある遠州公の茶杓の中でも
秀逸の一本です。
くせ舞は扇を持って鼓を持ち、一人から二人で
舞う中世の芸能の一つでしたが、この音曲を
能に取り入れ、能の「クセ」と呼ばれる小段が
成立したとされています。
織田信長が舞ったとされる「幸若舞」も、当時の曲舞
の一つだったようです。
この「くせ舞」の節回しが面白いということから、
「節おもしろし」にかけて、「くせ舞」
と命銘されました。後に益田鈍翁が所有し、
大いに自慢しました。
4月18日(月) 学習院創立百周年記念会館の茶室
ご機嫌よろしゅうございます。
昨日の日曜日は学習院大学にて
オール学習院が開催されました。
この茶会では例年立礼の気軽なお席で
無料にてお茶をいただくことができます。
この百周年記念会館は昨年改装され、
席披きが催されたお家元監修の茶室があり、
「櫻風庵(おうふあん)」と名付けられたその茶室において
金曜日に学生だけでなく一般の方もお稽古しています。
昭和五十五年
大学卒業後、禅寺修行を終えた御家元が、
櫻井和市院長先生にご挨拶にいかれた際、
当時完成していた百周年記念会館で、
お茶の稽古を始めることを勧めていただき、
当時御年80歳の櫻井院長先生は、
御家元の一番弟子になられお稽古をはじめられた
というエピソードがあります。
それがこのお稽古場の始まりで、
現在の御家元の直門・真甫会の前身にあたり
お家元にとって、この地はお茶を指導する
出発地となった場所なのです。
4月 15日(金)能と茶の湯
「隅田川(すみだがわ)」
ご機嫌よろしゅうございます。
先週は「隅田川」のあらすじをご紹介しました。
「伊勢物語」で在原業平が抱く望郷の思いを
隅田川まで我が子をたずねきた母の思いに
重ね、悲しみの上にも詩的な世界が広がります。
劇中に桜が登場するわけではありませんが
設定の季節と物語に展開される、
あまりに悲しい運命が、
桜の花のおぼろげな雰囲気と対象をなして、
人々の心を捉えます。
この曲そのものを直接的に表したものでは
ありませんが、隅田川を題材にした茶道具に
「染付隅田川香合」があります。
安政二年(1855)に作られた「形物香合番付」
で、西四段目十四位に位置しています。
明代末期の染付で
やわらかなふくらみのある四方の形
上部には風に揺れる柳が、下部には川を進む
屋形船の姿が描かれており、
隅田川に舟を浮かべた風情を想起させます。
4月 11日(月)お稽古場の風景
「直入軒の床の間拝見」
ご機嫌よろしゅうございます。
暖かな日差しの中、
宗家道場へお稽古にいらっしゃる門人の方は、
まず春を床の間から感じ、
そして春ならではのお点法の稽古に臨まれています。
この季節は釣り釜や、透き木釜、茶箱の設えがされ、
稽古場はさながら花見に野点の趣向を楽しむかの
ように終始明るく賑やかなな様子です。
床 紅心宗慶宗匠筆 三十六歌仙・紀貫之
さくらちる木の下風は寒からで
空にしられぬ雪ぞ降りける
花 加茂本阿弥椿 袋藤
花入 備前 旅枕
掛物は貫之の代表歌として知られる『拾遺集』所載の一首です。
「桜が散る木の下を吹く風は寒くはないが、
空には知られていない雪、落花の雪が降っている」
という意味の歌です。
桜が散り急ぐ木の下をゆく風はもちろん寒くはない、
という前提は、下句で「空にしられぬ雪」という、
しゃれた落花の比喩を用いるための準備です。
4月8日(金)能と茶の湯
「隅田川」
ご機嫌よろしゅうございます。
今日はこの季節によく演じられる能「隅田川」をご紹介します。
物語の舞台は春の隅田川の堤、
京で人買いにさらわれた我が子を捜し求める母の
絶望が描かれます。
息子をさらわれ、狂女となった旅の女は
隅田川にさしかかります。
舟にのるため先頭にもとめられて
『伊勢物語』の「都鳥」の古歌
名にし負はば いざ言問はむ 都鳥我がおもふ人は ありやなしやと
を引き、自分と在原業平とを巧みに引き比べ舞い
船頭ほか周囲を感心させ、舟に乗ります。その舟の中で、一年前の今日である三月十五日に対岸の川岸で亡くなった梅若丸という子どもの話を聞き、それが自分の探している我が子であるとわかります。
狂女に同情した舟頭の手助けで梅若丸の塚に案内され、弔いをすると梅若丸の亡霊が現れ触れようとしますが、その手に我が子を
抱くことはできず、消えてしまします。
母の悲しみは一層深まるのでした。
我が子の行方を尋ねてさまよう狂女ものは
他にもありますが、親子の再会をもって終わるものの中でこの曲だけは唯一悲劇的な結末で終わるものです。
梅若伝説については一昨年の3月15日のメールマガジンでご紹介しましたので、そちらもご参照ください。
4月 1日(金)能と茶の湯「忠度(ただのり)」
ご機嫌よろしゅうございます。桜にちなんだ演目としてあげられるものに「忠度」があります。
行き暮れて 木の下陰を宿とせば
花や今宵の主ならまし
世阿弥の新作能である「忠度」は平清盛の末弟であり、壇ノ浦で討ち死にした平忠度が詠んだこの歌が、
「千載集」に詠人不知(よみびとしらず)として取り上げられた心残りを、
亡霊となって旅の僧に語るというあらすじです。壇ノ浦で打ち取られた若い青年の名は分からず箙につけられた短冊から、
かの武にも文にも秀でた忠度であるとわかるのでした。平家は朝敵とされ、
「読み人しらず」として名を削られてしまうのでした。
昨年にご紹介しましたが、この忠度が薩摩守だったことから細川三斎が命銘した薩摩茶入「忠度」があります。